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17/04/2004

中村津多七・松本団升

 またまた、OCNのブログの日本沈没のネタで、今度は岐阜県だ。岐阜というと、なぜか牛の胃の焼き肉を連想する。第1胃がミノで、第3胃がヒダがいっぱいあるのでセンマイと言うから。
 それはともかく、どこそこに芸能を見に行ったという話になるとコメントが付くからでもなく、やはり岐阜に行ったというと、多いのが村芝居を見に行った機会だ。
 最も、多いのが福岡町の常磐座か加子母の明治座だと思う。白川町の東座と下呂の鳳凰座、各務原の村国座も複数回行った。下呂の白雲座はあまりに交通が不便で一度きりだ。見に行こうとして、まだ機会がないのが、上矢作の熊野座というところだ。
 岐阜の村芝居は、だいたいが中村津多七さんか松本団升さんのどちらかが指導している。見に行くと、芝居の進行にあわせて出演者の世話をしたり、ツケを打ってる黒子姿の人がいるが、顔の長いのが津多七さんで、丸いのが団升さんだ。津多七さんの奥さんや、団升さんの奥さんや息子さんは、どちらが指導している村芝居でもよく見かける。
 こういう村芝居だと、今の歌舞伎で見られない古い形が見られる。例えば、岐阜の歌舞伎では幕を下手に引き込む。今の歌舞伎は上手に引き込み、文楽は下手に引き込む。昔の上方歌舞伎は文楽式だったらしい。今の歌舞伎は幕を閉めて行くと、まず浄瑠璃の床が隠れてしまうが、やっぱり義太夫狂言だと、逆に引いてほしい時もあるなと、岐阜の村芝居を見て感じた。
 団升さんがよく演す芝居に「松王下屋敷」がある。菅原伝授手習鑑の増補物で、かつては流行ったらしい。
これはプロの浄瑠璃を聞いたことも、芝居を見たこともないが、素人の義太夫で聞いたり、村芝居では見た演目で、アマチュア向けには普及してたんだなぁとか思う。
 岐阜ではないんだけど、埼玉の村芝居に、山崎街道の面白い型が残ってるという話を聞いた。山崎街道というのは6月の話。今の暦でも7月末だから、藁が積んであるのはおかしいということなのだ。舞台二重になっていて、山際か堤防風の拵えになっている。定九郎は二重の上に現れ、下を通る与市兵衛を上から襲う。で、鉄砲に撃たれるシーンでは、二重の上からトンボを切って下に落ちて倒れるという。江戸の美意識だと、いわゆる仲蔵式の定九郎が受けたんだろうけど、こういう農村ならではのリアリティへのこだわりや、派手さも面白いと思った。実際に見てみたいもんだ。

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