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08/05/2005

何か近所が騒がしい

 ここ数日、近所に警官が多い。ASEM外相会議というのがあって、中国と韓国の代表が来ているからと言う。このところ、中国や韓国が嫌いな人が多いらしい。

 北京の故宮の中に暢音閣という京劇用の舞台がある。劇場というより、舞台だけが独立して建っている。その写真を撮ろうとしたら逆光だった。
 日本にも歌舞伎の舞台だけの建物があるが逆光になったことはない。なぜなら、舞台照明が発展する以前の建物だから、太陽光を利用できるよう、南向きに建てられている。
 清朝の建物で、北向きの舞台はリクツにあわない。いわゆる「天子北辰南面」のせいなのだろうかと専門家に聞いてみたら、その通りだった。「面子を重んじて損をする」という例だと、笑いながら言われ、中国にそんな言い回しがあるのを知った。
 たぶん、出された料理を残すというマナーも「面子を重んじて損をする」のひとつなんだろうし、琉球王朝と中国の関係もそうだったのかと思う。
 さて、日中国交回復の際、中国人は「面子を重んじて損をした」と思っているのだろうか。台北政府が賠償を取らなかったことで、北京政府も取らなかった。「軍国主義者は日中両国人民の共通の敵」ということで手打ちにした。つまり損をして重んじた面子があるわけで、それを潰すようなことをすると怒るのかと思う。もちろん怒りの表現は中国人それぞれによって違うだろうけど、マスコミではデモ隊と政府首脳の2種類しか報道されない。人数で言えば13億人のうち、何人だろう。
img057 このように、私の中国のリアルなイメージというのは、北京の京劇舞台を、中国の研究者や学生と観て回った際のもので、それが中国を考える手がかりになっている。左の写真は大学の先生と研究生。
 その時に会った人、研究者や学生、卒業生で車を提供してくれたアニメ会社の社長、京劇団の人、宿の近所の間口1mの食品店の親父、その裏の四会院で昼間から現金を積み上げて麻雀してたオヤジ達、夜中に健康体操に集まっていたオバチャン、王府井で声をかけてきたポン引きのねえちゃん、こちらも13億人のうちの数人だ。
 そして何より、中国に芝居好きのぽっちゃり目のメガネっ子がいて、自分の個性をアピールする手段をわきまえていたということが、私が考える中国の「民度」の基準だ。

 韓国についてはリアルなイメージはない。その上で韓国を理解する上で、ヒントになっているのが、韓国には、日本の歌舞伎、中国の京劇に相当する芸能、つまり近世演劇がないという話だ。そういった芸能の土壌となる近世市民社会がなかった。文化史的には中世からいきなり日帝36年になったという話を聞いたことだ。
 中国の映画は馴染めるのに、韓国の映画に馴染めないのは、近世演劇の蓄積がないことによって、何らかの違いがあってのことだろうかとか考える。そうすると、私が韓国映画になじめないし、韓流ドラマを見る気もしないのは、日本のせいなのかと思う。
 もうひとつ馴染めないのがインド映画で、通称「ぼんなご」という映画だけしか、最後まで楽しめなかった。だが、こういうページを見つけた。インドの近代化も植民地として行われた。つまり文化面での市民社会の成立は、独立後になるわけで、現代のインド映画が歌舞伎みたいな位置づけになるのか、と思うと、あのインド映画の様式がわかるような気がする。
 だから、韓国は、近世と近代と現代が同居している国というイメージがあって、ノムヒョンさんは、その中の立ち位置に苦労してる人で、イムグォンテクさんは失われた近世や近代への訣別を考えている人というイメージを持っている。

 日本の伝統といった場合のイメージは、古代と近世の文化だ。周囲の歴史的なリアルなモノは戦争で焼けてしまい、近代以降に再建されたものばかりだが、近世の様式だ。平安文学の世界や歌舞伎の世界というのは感情移入が出来るということで、リアルになる。中世や近代には馴染めない。歌舞伎や文楽というのは荒唐無稽な話だが、中世の規範と近世の情の葛藤が描かれる。近代と現代の葛藤に置き換えて観てしまう。
 だから、マンガの日野西の殿様のような、平安のなれのはての近世の「負け組」のオヤジにはあこがれてしまう。以前の目標はバカボンのパパだったが、最近はこの人が目標だ。薫子もカワイイ。
 現代がいかに近代を乗り越えるかと考えた場合、先のことは考えにくい。現代においてはムラの社会というのは再建が不可能に思うし、自分は「勝ち組」ではない。だから「伝統」というと、平安的な「負け組」のサロン文化、近世の市民社会の文化みたいなところをイメージしてしまう。
 リアルな世界で出合っていれば、おそらくお友達にはならなかったろうと思う人で、ネット上で知り合ったためにお友達になった人がけっこういる。おそらく、ネットの世界というのが都市的であり、さらにそのコミュニティが「負け組」的なためだと思う。「勝ち組」はリアルでつるむ。「共有できるものだけ共有すればいい」というのが都市のリクツだ。
 そういう所で「共有すべきだ」という「ムラのリクツ」に出合うのは悲しい。

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