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10/05/2005

ロンギとディベート

 ここはクダラナイことばっかり書いているようで、皆様、放置プレィ気味だが、たまにロンギが行われる。直近のロンギというのは、同じ目的、つまり近頃の世相を考えるのに、違うコトを言い合い、聞き合い、イメージを固めるロンギだった。
 世間には、どっちがイイかというロンギもある。イイかワルイかというロンギもある。でも、そのイイの基準がたまに微妙に違うこともある。
 例えば、ある人と相撲を取りたいとしたら、嫌だと言う。相撲が絶対に嫌いならしようがない。今日はもう眠いもしようがない。相撲は嫌いじゃないがあんたと取るのが嫌いというのもしようがない。でも、簡単に相撲を取る人間と思われたくないとか、相撲好きと誤解されたくないとか、取ったのが親方に知られるとマズイとか、今日はマワシを持っていないとか、相撲をとるにヤブサカではないが「取らない理由>取る理由」ということもある。こういう場合には解決法がある。
 さらには相撲は嫌いだから嫌という場合でも、レスリングやボクシングをするくらいなら取ってもいいということになるやもしれない。
 同じように、イイ・ワルイのロンギでも、イイの基準が違う場合は、どっちもイイという解決法を出すのがロンギの成果だ。
 相撲の例だと、解決法があればいいと思いつつ、嫌と言う相手なら、解決法が探しやすい。解決法があるのに、最初から取らないと決めてかかってる相手だと解決法が探しにくい。
 そこで、テクニックが必要だ。いい相撲を取る自信がなく、取らないと決め込んでいる相手だったら、「自信を持て」と言うのは無意味だ。「キミはこれこれで、いい相撲が取れる人だ」と褒めると勝手に自信を持ってくれる。さらには、相手が自分より相撲下手と思いこんでる人を例示し「あの人はこれこれこうで、いい相撲が取れる」と言うと、もっとワタシはいい相撲が取れると自信を持ってくれる。相手の身になって考えれば、簡単にわかることだ。
 ロンギにおける、こういうテクニックをトレーニングするためにディベートというものがある。一種のゲームだから勝ち負けを決める。
 相撲取りがシコを踏むのはトレーニングのためだ。たくさん踏める方が相撲には有利だろう。だから、たくさん踏む競争とかもするんだろう。でも、「シコの回数、抜群につきヨコヅナに推挙す」ということにはならない。
 ロンギが勝ち負けを決めるために行われることは少ない。だから、ディベートで勝つのは、ロンギで有利になるだけで、勝つことを考えていても、ロンギの結果がいいことになるとは限らない。
 ロンギは目的を達するためのものなのだ。だから、自分の目的と相手の目的を把握するのが出発点になる。そして、ロンギ好きには、トレーニングにすぎないディベートが実が好きという人も多い。こういう場合は、相手が勝ったと思い、こっちの目的を達するのが到達点だ。つまり、ロンギというのは、自分の言うことを考えるより、相手の目的を考えることが大事なのだ。
 世の中のロンギには、相手に勝つことより、どういうカタチで相手を勝たせるか、を考えた方がいい場合が多いと思う。

 ところで、ロンギ、ギロン、どっちの用語を使うのがいいんだろう。ギロンしてみるか。

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Commentaires

>>ロンギが勝ち負けを決めるために行われることは少ない
 そ、そうだったのか、禅問答とは自分の教義を相手に対して正当化するためにするものだと思いこんでました(;_;)「ロンギ」は勝ち負けではなく、とりあえず自分の思うことを相手に「そんなもんか」と思わせればいいのでしょうか??

 ちなみに放置プレイをされて
 1.我慢できなくなって自縛を始めたあげく、自分の首をしめて半死半生になって救急車をよばれてご主人様に迷惑をかける奴隷
 2.「ご主人さまはもう自分を必要としてないのね・・」と泣き崩れて自分を責め立てて勝手に自己完結したあげく他のご主人様にいっちゃう奴隷
 どっちがましでしょうか??
 いや、もっと良い愛奴はいるだろうけど(^^:

Rédigé par: 龍 | 11/05/2005 01:10

 龍くん、ひさしぶり。
 だって、勝つより、トクする方がいいでしょうが。例えば、ワタシは、龍くんと相撲を取ろうというロンギは仕掛けない。龍くんがロンギに勝った結果、相撲を取らなきゃいけなくなるようなロンギを仕掛けると思う。

 迷惑かけると、その分、ちゃんとオシオキが頂けるでしょ?

Rédigé par: 南郷力丸 | 11/05/2005 01:18

禅問答が何かについては、京極の「鉄鼠」にあるからいいとして。と、私の場合、殆どの人が知らなくてもいいことを、さも「そんなん知ってるの当たり前でしょ?」と書くのをトラップにしています。オタク的トラップ。

ディベートとロンギはかなり違うと思いますよ。私はロンギは好きだけど、ディベートは大嫌いです。確かにテクニックなんだけど、実際の場面だとイヤなテクニックばっかりなので。

あと、別エントリの話になってしまいますが、ネットは最初並列的な「異文化」を作るようなことを言われてましたが、実際は階層化を進めたというのは同意です。

Rédigé par: コバヤシ | 11/05/2005 12:52

 たぶん、トラップやフィルターやイリュージョンは、タネ・仕掛けちょこっとある、わかっても「なるほど」ですむからじゃ?
 ディベートのテクニックって、仕掛けがばれるとバカだから、恥ずかしい。
 ところで京極の「鉄鼠」って、どのへんですか? 御池と四条の間なら、ちょいちょい行くので見てきます。。。。。ってこういう「ボケ」も私のトラップかな。

Rédigé par: 南郷力丸 | 11/05/2005 14:35

>>京極の「鉄鼠」って、どのへんですか
札幌から歩いて20時間。商工会館の10メートル先です。

Rédigé par: 龍 | 11/05/2005 18:02

 ビルーの町にチュー、夜のハイウェイにチュー。。。。

Rédigé par: 匿名希望 | 13/05/2005 02:28

やって参りましたァ。
そうか、勝ち負けを決めるのはディベート、ギロンするなら良い結果を得るために、ですね。心がけよう。つい勝ち負けを考えちゃうけど、日常では、決着を大事にするべきですもんね。
(うわーメアドが必要なんですね、ココ。)

Rédigé par: 伍堂町 | 15/05/2005 20:43

 おいでやす。
 まあ、日常では、キリストの清貧を真理として受け入れるべきかなんてギロンはしませんから。
 相手と自分の立場がわかれば「そらしゃーない」ですんじゃうことの方が多いでしょう。たぶん。

Rédigé par: 南郷力丸 | 16/05/2005 00:23

なんか、ディベートと口喧嘩がごっちゃになっている人がいるようで。

ディベートの諸テクニックは、全て議論の論理性を補完するためにあるんですわ。さらに、勝ち負けを決めるのは第三者の投票なので、口喧嘩と違って、「他人を説得する術」なのです。

別に、誰彼かまわず殴りかかる人=ディベーターではないです。ハイ。

Rédigé par: tomcat | 18/05/2005 12:39

>tomcatさん
それって私のことですかね?
「議論の論理性を補完する→他人を説得する」というのは現実的なロンギでは結構イヤな感じですよ。現実のロンギでは論理のための材料は全て自前でなきゃならず、その自前の材料の質のほうがよっぽど問題になります。
ディベートの本当の意義は、自分のロンギがうまくなることではなく、他人の論理が見抜けるようになることじゃないですか?
ロジックなテキストを書いておりますが、いつも必ず用意するのは「逃げ道」、ということで、今回も逃げ。

Rédigé par: コバヤシ | 18/05/2005 13:48

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