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12/05/2005

今度はギロンについて

 打ち切るつもりだったblogのハナシだけど、追加で考えたこと。というか、とあるコメントへの返事代わり。
 従来、日本語の話しコトバによるギロンというのは、あまり耳にする機会はなかった。アタリマエで、会議室や寝室、酒場や床屋で行われてきたからだ。ところがネットが普及すると書きコトバのギロンが目に付きやすくなる。
 ネット上で行われるギロンで、誰でもが参加できるのは、政治や世相についてのギロンだ。こういった社会に関するギロンは、こうするのがイイというハナシになっても、現実の社会とは相当の距離がある。飲み屋で「この後、相撲を取りましょう」「いやそれはマズイです」とギロンするのとは、はるかに切実感が違う。
 だから、社会に関するギロン、特に政治的なギロンは、成果に結びつきにくいがゆえに、単純に「勝った・負けた」というディベートになりやすい。そして、ディベートのテクニックというのは、えてしてゴマカシと混同されがちだ。理解させる技術と錯覚させる技術は全く違うのに。

 難しい話が苦手な私は、「社会というのは、お約束で成り立っている。法律だとか慣習とか。だから社会に関するギロンというのは、お約束が適切であるかどうかをギロンするものだ」と、はなはだシンプルに考えている。
 例えば、夫婦別姓問題というのは、つきつめれば「夫婦は同姓」というお約束が適切かどうかだ。「適切だからお約束にする」ままか、「守りたくない人もいるからお約束にしない」かというギロンだと思う。その場合、どちらがイイか判断する理由の方は、人によってとても複雑だ。だから、どの理由を優先して言うか、複雑に言うか、シンプルに言うかというのはテクニックの範疇だ。
 ところが、「100%」か「100%でなくていいか」のギロンに、同性と別姓とどっちがイイだのどっちが多いだの話を持ち込むのは、ギロンのスタートに立ってないか、もしくはゴマカシだ。
 稚拙なゴマカシを使うのは、とても恥ずかしい。
 例えば、「お約束」が不適切だというために「太陽が西から昇ると決めれば、西から昇るのか」といったり、適切と言うため「太陽が昇る方向を西と決めれば、それに従うのがルールだ」というのが、最も稚拙な例だ。
 こういう「お約束」と「事実」を混同させたり、「お約束」自体のギロンに「お約束」は守るものと言い出すようなゴマカシは、簡単にカラクリがばれる。だから、たいへん恥ずかしい。中にはゴマカシだと自分でも気付かずに使っている人もいる。使ってる本人は恥ずかしくないが、一緒にギロンするのは恥ずかしい。
 ディベートにゴマカシを持ち込むと、そのゴマカシの通用する度合いが同じ程度でないと、とても恥ずかしい。それゆえに、ギロンの場合には、参加者を選別するためのフィルターとして、ゴマカシを使うという方法もあるのだが。
 靖国問題も、つきつめれば「半世紀前のお約束」と「一世紀前のお約束」のどちらが適切かという国内の問題になると思う。その一方で、日中共同宣言というお約束があるために、そっちのお約束を、首相が「守ってない」か「守ってる」かという外交問題になってしまっている。
 この2つの問題を混同し、「内政干渉」とか「周辺諸国への配慮」というのは、本来の問題のギロンにとっては、スタートに立っていないかゴマカシのどちらかだ。そして、現実には、自覚的か無自覚は別に、本来のギロンをしないためのフィルターとして機能しているように思う。

 ネットのギロン、特に社会的な問題を扱ったギロンは、異文化を理解しあうための努力よりも、ギロンのスタートに立てない人、ゴマカシより負けるのが嫌という人に、どうおひきとりいただくかの努力が必要になってしまったように思う。
 その結果、あるblogでは、必ずしも一般的でない社会科学の書籍への共通理解を内部のコミュニケーションツールと外部へのフィルターの両方に使用し、淡々と社会問題についてのギロンが進んでいる。そういうところに、いかにも反知性主義というコメントをするのは恥ずかしい。
 その一方で、あるblogでは「ブサヨvsネットウヨ」のレッテル合戦や、勝手に勝利宣言をしている人がいる。こういうところに、まともなことを書くのは、それこそ「空気嫁」だ。

 こういったネットのギロンの状況は、やはり、異文化並立より以前に、まずバカっぷりの階層化を目立たせたように思う。より正確には「バカの自覚レベル」の階層化なんだけど。
 それが、なぜかというのが、実は、最近、考えていたことなのだ。やはり、自覚レベルということで「勝ち組@元祖」に見られるリアルな階層化の影響だと考えた方が合理的なのだ。それを文章にするのは「アホ言うヤツがアホや」みたいなので、どうにも面白くない。

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Commentaires

夫婦別姓問題では話がかみ合わなくて困ります。
「別姓も夫婦として認めて」というのに
全員が同姓でないとだめならしくて。。。

Rédigé par: 夫婦別姓を待つ身 | le 16/05/2005 à 19:09

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