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22/10/2005

ローレライ

img092 とあるblogでも話題になっていて、見に行こうかと思っても、結局、行かなかった「ローレライ」がレンタルDVDに出ていたので、見てみた。
 ここ数年、アニメの実写化映画というのがよく作られている。中には、キャシャーンやデビルマンのように、従来の映画の常識に挑戦するような「話題作」もあるようだ。
 そして、この「ローレライ」もアニメの実写化のようである。ただし、アニメの「ローレライ」は存在しない。
 もちろんフィクションなんだから「何でもアリ」でいいはずだ。荒唐無稽な新兵器を前提にしての物語だから、そこにはリアリティーは必要ない。でも、物語のシンの荒唐無稽さを納得させるのは周辺のエピソードのリアリティである。ところが、その周辺部分までがあまりにご都合主義に作られているとシラケてしまう。戦争映画では、相手の魚雷は全く当たらず、主人公側は百発百中なんてのはよくある話だけれども、それが「新兵器」のためとしても、こう極端に描かれているとあまりに都合よすぎなのだ。誘導弾でもない砲撃がB29に都合よく命中したりと、おそらくアニメじゃ通用しても、実写だと「説明」や「経緯」がないと唐突にすぎてしまう。
 おまけに、夏休み最後の日曜のプール並みの密集艦隊なんて、アニメでは許される絵面でも、実写の中のCGでは変だ。そして、その密集の故に艦船どうしが衝突してストーリーが成立するんだから、都合よすぎ。
 他にも、なぜB29が観測機の随行もなしで、単機で離陸するんだとか、そのB29以外の航空戦力、特に哨戒機や雷撃機米海軍機が全く出てこないのはなぜとか、ツッコミ所は満載だ。
 アニメだったり、昔々や未来の話だと、見過ごすようなツッコミ所が、実写で1945年という設定と、見ている方が「リアリティ」を想定できるために、ひっかかってシラケてしまう。
 登場人物の行動のリアリティを支えるために小道具を使うという手法がある。過去の行動や体験、つまり物語を小道具に象徴させるわけである。この映画、そういう小道具がやたらに出てくる。腕時計、野球のボール、あやとり、カメラとか。でも、その小道具には物語があるのだと思わせるだけで、それは描かれない。単に「キャラを立てる」だけの小道具に成り下がっている。だから、そういう小道具の存在も唐突なのだ。存在しないアニメ版には、その小道具のストーリーがあるんだろうけど、この映画ではストーリー上のノイズになっており、ボールやあやとりに至っては、持っていた人物が死ぬシーンで違和感を与える効果しか担っていない。
 つまり、この映画、アニメ版が存在しないのに、アニメの実写化によくある違和感、リアリティの在処の違いを消化してない、いっそ切ってしまえばいいのに部分を下手に端折ることで、唐突にしかならないとか、そういうところが満載で、それを差し引けば、何も残らないのだ。
 どうせ荒唐無稽な話なんだし、アニメ版も存在しないんだから、おバカ映画に徹すれば、救いようもあったろうに、どこかに山下泰文大将でも出すとか。ともかくも、おバカ映画としても楽しめない半端な映画だった。

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Commentaires

はじめまして。
売り物のリアリティが欠けているのでは
回転しない回転寿司みたいなものですね。
松本零士のリアル漫画でも無意味な一台のトラックに機銃掃射ではなく巨大爆弾落として、
全員死んだのに主人公だけは何の説明も無く
無傷で、その後命より大事な書類をうっかり落とす話がありました。これは実写ではないから
セーフかというとアウトだと思います。

Rédigé par: 砂野 | le 23/10/2005 à 21:06

 フィクションでの「リアリティ」は、「現実感」というよりも、「説得性」や「一貫性」という意味合いが強いですからね。
 その松本零士の漫画を知らないのですが、おそらく、主人公がバカボンのパパなら問題ない展開なんでしょう。「これでいいのだ」で。でも、松本零士なら微妙ってことはあるでしょうね。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 24/10/2005 à 01:21

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