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10/11/2005

チェックしないと

 さて、先日以来の大峰山に関するエントリーに関して、気になることがある。
 1872年の太政官布告、「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス」(明治5年太政官布告第98号)だ。
 この年、修験道廃止令が出されており、「僧侶肉食妻帯蓄髪並ニ法用ノ外ハ一般ノ服着用随意タラシム」(明治5年太政官布告第133号)というのも出されている。
 国家神道という新興宗教をでっち上げようとしていた明治政府の、1868年からの一連の神仏分離令により、神道強制、廃仏毀釈の動きが行われたが、1871年頃には有力寺院との妥協が成立しだしたが、土着の根強い信仰への弾圧は、さらに強化された。というのが教科書的な時代背景だ。
 その中でも、国家神道の権威を高めるために、仏教寺院の俗化につとめ、さらに修験道への弾圧は継続され、17万人の修験者が山を降りた。
 この「女人結界」の廃止はその一環と見るのが、最も素直な解釈であり、私も、修験道破壊のためと解釈している。少なくとも、明治政府がこの時期に女性差別の解消を図ったというのは無茶な解釈だと思う。

 気になったのは、源淳子という人の説で、「これは、1876年(明治9)、東京で開催される初めての内国勧業博覧会に先立ち、来日する外国人たちが京都を訪れるであろうことを意識して布告されました。」という説だ。
 第1回内国博覧会については、「大久保利通は岩倉具視らと欧米の政治・経済・文化についての視察の際,日本から24人の技術伝習職人が派遣されていたウィーン博覧会(1873年)に立ち寄った.当時の日本の産業の発展や貿易振興には,内国博覧会の開催が必須なことを認識した大久保は,自ら建議を行い,また総裁となって博覧会開催を推進した.」〔参〕石塚裕道《日本資本主義成立史研究》という記述を見つけた。
 この記述通りだとすると、1872年には、内国勧業博覧会は企画以前ということになる。
 女性差別の解消を推進する立場から、この太政官布告を好意的に解釈したのか、それとも何らかの根拠があるのか、気になるところだ。
 内国勧業博云々はともかくも、外国人の観光というのがいつ頃から意識されだしたのか、国家神道確立のための他宗教への干渉以外の可能性があるのか、そのうち、調べようと思う。

11/11追記
 1867年、大政奉還の1ヶ月前に、イギリス公使パークス (Harry Smith Parkes)が、夫人同伴で、当時女人禁制だった富士山に登った。。。。という記事を数多く見かける。ということは、外国人が夫人同伴で「女人禁制」の地に入る可能性は、1872年には認識されていたようだ。
 なお、富士山には、1832年には、高山たつという女性が男装して富士講行者とともに登っている。(旧暦9月26日)
 にもかかわらず、パークス夫人を以て「女人禁制が破られる」という記事が多い。普通、「Parkes」は「パークス」と表示するが、この件に関する記事は、皆「ハリー・S.パーク」と表示しており、ネタ元は同一のようだ。「男装」したなら「女人禁制」に触れたことにならないという解釈だろうか。
 

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