謎は深まる
「女人禁制」ついでにネットを漁ったところ、富士山に最初に登った女性についての謎に当たってしまった。
「1867(慶応3)年、イギリス公使ハリー・S.パークが、夫人同伴で、当時女人禁制だった富士山に登ったことで、婦人運動家が10月15日を「女人禁制破りの日」と提唱した。」こういう記事が多く見られる。一般的に「パークス」と表記されるところを、「ハリー・S.パーク」と表記しているので、元ネタは一緒だろう。
ところで、登山史関係の記述では、パークス一行の登山は、旧暦で慶応3年9月10日、新暦で1867年10月7日とされている。この10月15日が新暦なのか旧暦なのか、そして、なぜ日付に食い違いがあるのか。さらに、この婦人運動家って誰。
もうひとつは、この記念日が、高山たつの登山日である旧暦の万延元年9月26日、新暦で1932年10月25日を根拠としなかった理由だ。
セクシャリティとしての女性では、高山たつが先だが、ジェンダーとしての女性ではパークス夫人ということなんだろうか?
太政官布告の原文もまだ見てないし、ネットだけじゃこれ以上は調べられないな。。。と思っていたのだが、調べてどうするんだ?
どうもしないけど、わからないと調べないといけないような気になる。もし、興味を持った人がいたら、調べて教えて下さい。
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