鵜呑みにする人
今さら書かなくてもわかるだろうけど、このblogは、それなりにエエカゲンに書いている。ここで書いても一銭にもならない。「読んで感動したので、一夜の伽なとお申し付けを」なんてこともない。かと言って、見境のない羞恥プレイの場ともしたくない。
だから、マスコミに対抗できるジャーナリズムとして位置づけているようなココロザシの高いところとは違う。かといって、下流社会や希望格差社会の「自分は優秀」妄想を確かめるために「全くその通り」とコメントしあうような場にも、何ちゃらジャナーリストと自称しつつ学級新聞みたいなことを書く、そういう恥ずかしいこともしたくない。
中途半端にエエカゲンなスタンスである。
だから、エエカゲンに書きつつも、ネットで調べられる程度であるが、それなりに「裏を取る」という作業が発生することもある。先日に書いた「東郷ビール」はblog用じゃないが、ああいう作業だ。
研究者だと一次資料にあたるのが原則である。私は研究者じゃないから、普段もそんなことはしない。お金になる原稿だと、まずネットでチェックはするとしても、もう一歩踏み込んで調べることもある。先日の食用蛙の件は、ネットでチェックした段階でボツにした例だ。
ところが、このblogだと、それなりにエエカゲンなので、ネットで一通りあたる程度ですますことが多い。
例えば、浄瑠璃の詞の部分がどうだったかとかだと、研究者なら最古の写本や複数の写本を比較検討する。私の場合、有料の原稿だと、もしあれば明治時代の稽古本程度のチェックはする。blogだと八介さんの床本ライブラリーをあたる程度。という感じだ。
「サーロイン」の語源が、17世紀のイングランドの国王、ジェームス1世かチャールズ2世が、そのうまさに感激し、「sir」の称号を与えたことによるという俗説を今でも信じている人がいる。1911年版の百科事典(版権が切れてるのでネット上で公開されている)に、語源がフランス語の「surloin」で、腰(loine)の上(sur)という意味であるが、この俗説が後にできたという記述があるから、100年も出回ってる俗説だ。
そんな俗説が100年も出回っているのは、俗説の方が面白いからだ。面白いからと確かめもせずに紹介をしている人が多いわけで、理由は読む人へのサービスだ。
靖国神社の件で、極東軍事裁判のことを調べた際に、パール判事のことも少しだけチェックした。彼は「マヌ法典前のヴェダおよび後期ヴェダにおけるヒンズー法哲学」によって学位を得ているらしい。
ところが「国際法で学位」と「パール判事」でand検索してみると131件がヒットする。「国際法の学位」や「パル判事」でも何件かhitするが、私には「ヒンズー法哲学」が国際法だとは思えないし、他の成果によって学位を得たという記述も発見できなかった。なのに「唯一、国際法で学位をとったパール判事」といったような文を書く人が多い。
理由は、おそらく、パール判事の少数意見の結果だけを正当なものと主張するため、誰かが書いたゴマカシをそのまま鵜呑みにして転載しているためだろう。
私とて、パール氏のその後の経歴から国際法についての見識がある人だという推測はできるし、極東軍事裁判に問題があるということは理解しているし、国際法での学位はどうでもいいことだと思う。
どうでもいいことであっても、こういう経歴をチェックもせずに紹介している人というのは、自分の主張に都合のいい記述は鵜呑みにしているわけで、読者へのサービスでなくて、単に自己満足のためだろう。
こういう、都合のいい記述だけを鵜呑みにする人というのは、その主張が結果として正当であったとしてさえ、全てに疑ってかかる必要があると思われてしようがないだろう。
まあ、このblogもエエカゲンに書いているわけではあるが、そういうみっともないことはしたくないので、「裏」を取ったり、断定を避ける傾向がある。
それでも、信用して不利益を得ても、私は責任を持ちませんから。
Commentaires
TB、ありがとうございました。
ウラをとるときにも、自分の都合のいいウラだけとったり、都合のいいようにウラをヘンに繋げて見せたり出来ますものね。
オッカナイです。
Rédigé par: アキラ | 31/12/2005 21:36
私も「ネタ」を作るのは好きで、ギリギリでウソとわかるようなのが。
ところが、下記のエントリーのコメントのように、ただ紹介しただけのサイトまで、私の作ったネタだと思われてしまうことがあるようで。。。。。
http://lapsang-souchon.tea-nifty.com/pokopon/2005/11/post_b768.html#comments
Rédigé par: 南郷力丸 | 02/01/2006 00:52