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13/12/2005

ピストルオペラ

img037 最初は、江角マキコに腹が立った。下手すぎ。主役が映画をぶち壊しにしてると。
 別に下手でもいい、「お人形さん」に徹すればいい。韓英恵だって「下手」だが、棒読みの台詞と、おそらく振り付けられただけの演技で、きちんと存在感があり「はまって」いる。歌舞伎の子役が棒読みなのと一緒で、こういう様式的な映画では、下手でも下手なりの役割がある。江角マキコだって、棒読み、無表情のロボットに徹すれば、全体をぶち壊すことにならなかったろうに。
 次に、江角マキコが哀れになった。これじゃ晒し者じゃないかと。
 ロングでの静止した画面じゃ、江角マキコも絵になる。ところが台詞を喋り、表情を見せるとトホホ感しかない。江角マキコが時々、青木さやかに似てるなと思った。下品さが鼻につくのだ。
 ストーリーはあってないし、ひたすら「こんなのどうだ」と作り手の「趣味」だけをコラージュにしたような作品だ。その「趣味」がオリジナルでまとまりがあるから、共感できれば気持ちいい。
 その中で出演者も「なりきっている」。「こんなワタシはどうだ」という感じで、ストーリーの制約から離れて、自分の観せ方を競っている。山口小夜子はワンショットごとに絵になっているし、金魚の話に無意味な説得力を与える樹木希林、場の空気を一瞬で作る加藤治子、意味ありげだけの平幹二郎、沢田研二に至っては「顔」とメイクだけで見せてる。それぞれに「劇的な」表現力を競う。当時10歳だという韓英恵さえ、その表情による表現力を見せてくれる。
 その中で、振り付けられた一瞬でしか絵にならない、猫のジェスチャーもタコ踊りにしか見えないキレのなさで、表情のバリエーションに乏しく、一本調子の台詞と、江角マキコの表現力の貧困さがやたらに際だつ。見せるべき身体はあっても、見せ方の技術があまりに乏しい。素養だけで才能がないと、彼女をイジメるために作った映画なのかとさえ、思える。
 では、なぜ、江角マキコなのかを考えてみた。
 例えば、宝塚出身の女優を使えば、江角マキコ程度の絵にはできるし、さらに表現技術もあるわけで、そうなると破綻はないだろう。それで、ひとつの「趣味」は完結するだろうけど、考えてみれば、その「趣味」というのは、実は「いかがわしさ」の中の美なのだ。
 つい「清順美学」なんてコトバで、洗練された美意識に錯覚してしまうけれども、殺し屋がランキングを巡って殺し合うというバカバカしいストーリー、ペラペラのセット、茨城の列車が走る日常的な風景の中での様式美なのだ。洗練された「美」を追求しているわけじゃなく「低俗」や「悪趣味」の中に見える様式化の美であって、むしろ徒花の「美」なのだ。
 そう考えると、江角マキコが「たまに絵になるが、下品でぶちこわしている」のじゃない。逆なのだ。もともと「低俗」で「悪趣味」な映画であり、表現力もろくにないような女優が主役であるべきなのだ。「くだらない映画であるが、いろんな所で、劇的であり、美しさがある」と考えるべきなのだ。
 つまり、映像美を見せる映画じゃない。「高尚」なもんじゃない。所詮「ピストル」のオペラなんだ。江角マキコのような主役でいいというか、その方がいいのだ。それでも、刹那に劇的であり、美を感じることができる。そういうことなのかと思った。
 ちゃんとした女優を使い、破綻をなくせば、気持ちいい気分で見られただろう。けれども刺激的じゃないし、何か書いておこうとも思わなかっただろう。

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Commentaires

少しの論理の転調はあるものの、破綻にまではいたらず
ぽこぽん「ピストル日記」には鳴らなかったのですね。
ちょっと残念(笑)

Rédigé par: ピンク | le 14/12/2005 à 07:43

 それだけメダパニな映画だったわけで。ラリホーなのよりいいけど、やっぱり、DVDで見るならウパーな方がいいや。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 14/12/2005 à 17:59

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