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10/01/2006

千年の恋・ひかる源氏物語

img063 ある人に「デビルマン」と「北京原人」を見たのなら、「千年の恋・ひかる源氏物語」を観なくちゃと言われた。
 この東映3大傑作を制覇した勇者こそが、東宝の「幻の湖」や日活の「落陽」への挑戦者に相応しいらしい。。。というほどの名作らしいので、観ないわけにはいかない。
 見てみたら、なるほど笑える。「デビルマン」の笑いは、東映特撮のチープさやイージーさを誇張した再発見の笑いであり、いわば中川家のような笑いだった。「北京原人うぱー」の場合は、ボケに対してツッコミによる異化を許さず、さらにボケを重ねて暴走するという笑い飯のような笑いだった。
 それに対して、この「千年の恋・ひかる源氏物語」は、南海キャンディーズの笑いに近い。全く異なった脈絡の出会いによるズレやスカしによる笑いなのだ。


 「不倫」じゃないかと責められる物語を書いていた紫式部が、「京都」から、父が「長官」となって赴任した「福井」に旅するシーンから始まる。この「」内の語彙は、そのまま映画の中で語られる。最初に現代の京都の俯瞰から始まるわけであり、現代の視点から源氏物語の世界に入って行くのか、と思った。
 そして、タイトル。しばらくしてわかった。単に語彙というか台詞に脈絡がないだけだった。というか、全てに渡って脈絡がない。
 台詞に脈絡がない、というのは、意味上の繋がりがない、ということではない。ひとつのドラマを描く上でのスタイルがないということ。現代語を使っていい。当時の語彙に拘る必要もない。しかし、ある世界に使用されている言語、表現としての統一性が全くないのがこの映画。「女性」を「にょしょう」と読むなら「不倫」などの語彙は使わない、紫式部の父を「受領」と言うなら「長官」と言わずに「国司」と言うというような配慮だ。そういう脈絡がないから、場違いな語彙がスカしたギャグとなって笑えてしまう。

 台詞だけじゃない。別に、時代考証なんかどうでもいい。大文字が出てきても許そう。何を描きたいのかという脈絡が見えれば、どうでもいいことかも知れない。だけど、そお脈絡が見えないから、スタイル上の脈絡に逸脱したシーンが場違いにしか思えず、失笑を漏らしてしまうのだ。
 衣装だって「キレイ」と言える。ただ「キレイ」なのがゴチャゴチャ出てくるだけで、絢爛というほどでもなく、装束屋の虫干しかいっ、という感じで、美意識としての脈絡がない。風景だって、カットごとには「キレイ」なんだろうし、咲いてる花も「キレイ」。でも、展開とは無関係に、メリハリなしに出てくると、かえってうるさいだけ。
 全体に明るいだけで変化のない照明だから、思い出したように暗さを演出すると、場違いに思えて失笑。

 鶴太郎のモノマネ芸も笑える。肖像画や平安時代というのは彼のモノマネのレパートリーにないらしく、子供の水彩画みたいなのが出てきて、似てねぇと笑ってしまった。

 唐突に2回ほど出てくる清少納言は何だろう。構図としては、彰子と紫式部に対し、定子と清少納言という形。こういう構図があって、紫式部が彰子の教育のために源氏物語を聞かせるというストーリーになってるわけだから、紫式部が感受性や情緒を教育するのであれば、対比として、清少納言が洞察力や才気を教育するということならわかりやすい。いずれにせよ、清少納言の意味は、対比によって、源氏物語の何を描くかを強調する存在のはず。ところが、この映画では源氏物語の何を描くかの焦点が定まらず、対比させるべきものが見えない。さらに、清少納言も枕草子の冒頭部分だけを台詞にしているわけだから、唐突に持ちネタを披露する芸人みたいで笑える。

 そして「千年の恋」であり「好き」と「愛」は違うという台詞もあるから、光源氏の恋物語を描くのは重要なはずなのだ。
 ところが、その物語に出てくる人たちの「感情」が描かれず、台詞だけですますから、恋愛のリアリティがない。
 光源氏はウパーの帝の皇子であるが、母がいとやむごとなき際にはあらぬため、嫉妬を受けて早死にし、マザコン少年となる。政略結婚の相手を愛せず、母と二役の藤壺中宮に憧れ、想いを遂げるも結ばれず、多くの女と逢瀬を重ねても満たされず、既製品じゃダメだとばかりに、幼い紫の上を自分好みの女に仕立てようとするわけだ。
 けれども、どの女性との絡みも、その光源氏の感情の違いが表現されていない。エロくも美しくもない。当時の人は烏帽子を被ってセックスしたのだろうか。実際はどうかわからないが、絵面は間抜けで笑える。
 光源氏を女性が演じるのだから、限界はあるにしても、その藤壷や紫の上とか、彼の「想い」の上で重要なセックスと、南野陽子との物語の展開上に重要なセックスと、その他、諸々の関係にメリハリがない。その上に、物語のシーンと紫式部のシーンに行ったり来たりで、ただ散漫なだけの展開だ。
 そして現れた、源氏を追放する役割の大后が、まさに「姐」そのままの迫力と存在感で笑える上に、行った先の明石のCGに妙に力が入っていたり、意味不明の水中遊泳とか水中出産なんて印象的なシーンがあり、細川ふみえが重要な役割に思える。なので、この映画じゃ明石の君にスポットを当ててるのか。不思議なと思う。
 でも、老いた光源氏が、死んだ紫の上とのラブレターを焼くシーンで、源氏物語の方は終わる。やっぱり、紫の上が最も重要な女性だったのかと思い直すが、彼女が最も印象が薄いのだ。

 源氏物語の怨霊の代表といえば六条御息所なんだが、その竹下景子の演技やショボいCGより、もっと不気味なのが松田聖子。源氏物語にこんな妖怪って出てたのか。その不気味さがあまりに唐突なので最大の笑いどころになってる。

 映画の中では、紫式部の夫は福井の海岸で、娘を拉致しようとした外国の工作員に殺される。その夫と二役なのが娘の彰子の教育係に紫式部を起用した道長で、彼は式部に愛を告げる。彼女は道長に惹かれてはいたが、受け入れずに福井へ帰り、恋愛に男の思いだけが優先されることに恨み言を言って終わる。
 ところが、紫式部にとって実在の女である彰子が懐かしの「うなづきトリオ」みたいで、ひたすら、相づちと鸚鵡返しだけ。だから人間性が描かれていないため、男の勝手な恋愛というのは源氏物語の世界に描かれたことだとしか思わない。そこで「オマエがそう書いたんだろ」と突っ込んで終わる。

 東映オールスター時代劇というのが、昔、あったようで、その女優版なんだろうけど、脈絡が見えないためにオールスター仮装大会みたい。笑えるのはいいが、あまりに詰め込みすぎ。4作品に分割したらいいのに。「紫式部物語」「ひかる源氏物語」「王朝の妃(おんな)達」「陰陽師・歌う妖怪偏」

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Commentaires

ウパーは凄いっすよマジで。
やつだけはガチです。

Rédigé par: 瑠璃子 | le 10/01/2006 à 17:51

 あの凄さがあるんで、これはウパーな脚本、大和はウパーな演出を期待しますからね。
 亡国のイージスのキャストに、小松ウパーみゆきが出てるんですが、どの役だったんだろ。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 10/01/2006 à 21:11

アキラさんとこから飛んできました(挨拶)

私は年始にTVで見せられました。
相方に「好きでしょ?」って。

本棚に与謝野晶子訳『源氏物語』があるってだけで。
#そんなに好きじゃないのですが
まだ笑えたら良かったんですが......
飛んで歌う妖怪怖かった(T_T)

南郷さんのせいで「紫式部物語」みたいな形なら
面白かったかもって妄想しちゃいました。

Rédigé par: ロスト | le 11/01/2006 à 09:49

 ナスの他にたまごでもお見かけしたと思い、勝手にrss取得してます(挨拶)
 私は、「紫式部物語」みたいな形もいいけど、「陰陽師・歌う妖怪偏」の方がヒットしそうです。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 11/01/2006 à 18:14

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