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06/01/2006

説得力か納得力か_2

 映画や演劇、特に演劇におけるリアリティというのは、写実性よりも説得力によっている。
 その昔の名優が、盗み聞きの演技は額から聞きに行く、と書いている。盗み聞きだから、観客が「聞いていない素振りをしている」ことと「聞いている」ということがわかるような芝居じゃなきゃいけない。
 最も写実的なのは「聞いていない」演技であり、映像メディアだとそこに、聞いている内容をかぶせたり、その内容に応じて目が動いたりするのを捉えることで、つまり「聞いている」という情報を付加すればいい。でも、そういう処理が出来ない舞台だと「聞いてない」演技をしただけでは、「盗み聞きをしている」ことを表現できない。
 かと言って、耳から聞きに行ったのでは「聞いてないフリ」が表現できない。そこで、額から聞きに行くという表現になるわけだ。
 舞台という制約の中では「写実」だけでは、というより、むしろ「写実」したのでは表現ができないので、こういった記号的表現が行われる。
 テレビに出てきた谷村新司の前髪が動かないのに違和感を感じる人がいる。実物の谷村新司の前髪は動かないらしい。なのに、前髪の動く清水アキラのモノマネの方が「谷村新司らしい」リアリティがあるらしい。
 モノマネ芸において、「谷村新司のヘアスタイル」にある「写実」だけでは伝わらない「何か」を前髪を動かすという記号で表現し、説得力を得ているわけだ。神田正輝のモノマネをする場合も、前髪を動かせば「ある伝説」を表現できるわけだ。
 映画であっても「写実」に徹すればいいというわけではない。やはり、実際に人が死ぬような映像を撮るわけにはいかず、過去のモノを完全に再現することもできず、いろんな制約がある。やはり、説得力のある記号的表現が必要だ。
 先日の「男たちの大和」のエントリーへのトラックバックを辿って行くと、私が全くリアリティがないと感じた戦闘シーンにリアリティを感じている人もいる。ともに、実物はおろか、似たような状況さえ見たことはないわけである。だから、余計に写実性よりも説得力の方がリアリティには重要なのである。
 さて、私が「説得力」がないと感じたシーンに「説得力」を感じた人もいるわけである。そうなると、ひょっとして、私が説得力がないと感じたのは、このシーン自体に「説得力」がないのではなく、私に「納得力」がないのかも知れないと思うのは当然だ。それで、なぜ「説得力」もしくは「納得力」がないのか考えてみたりする。だから、その理由を感想に書き加える。残念ながらリアリティがあると思った人で、なぜ、そう感じたかの記述が見つからないので、比較はできない。
 「亡国のイージス」だと、爆発シーンがチャチというのは多くの人が指摘している。つまり、こちらは「納得力」の問題ではなく「説得力」の問題だと考えていいようだ。だから、チャチと感じた理由は省略した。

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