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13/06/2006

正しい日本語を考える

 「日本語の乱れを憂う」件で何かデジャヴ感があって、思い出したのが「景観を憂う」人たち。しのぶさんちで知った「美しい景観を創る会」というのがある。
 そのサイトを見ると「美しい景観とは」とか「どう創るか」なんてことは一切、書いていない。むしろ「悪い景観100景」とか「悪い景観」について載せている。
 トップページもいきなり悪い景観の事例写真だ。老朽化したアパートにお店が入って、好き勝手に出窓ごとショーウインドウ化してるもんだから、木に竹を接いだような無秩序さだ。おまけに、歩道の片側が並木で片側はベターっとした花壇。住商混在だから、私空間を分けるような生け垣にも、歩行者を引き込むような開かれたスペースにもできないため、緑化はいいとしても中途半端な花壇になってる。老朽化した外装を改修できなかった住利用のフトコロのまずしさと、外観に調和したウィンドウにしない商利用のココロのまずしさを象徴するようなチープな緑化だ。
 こういう景観なら、誰でも悪い景観とわかるんだろうが、現在、70サンプルの「悪い景観100景」の方は、テキトーに思いつきで並べてる感が漂う。しのぶさんは人格者なので、この例から悪い景観の条件とかを斟酌してあげてるようだけど、じゃあ逆にすりゃ「美しい景観」になるのかと言うと、そもそも「逆」という選択肢がない場合、逆よりゃましという例もある。
 63。工場地帯だから遮音壁がない。だから工場が見える。それで眺望阻害だってさ。そもそも新幹線の利用者に眺望が必要なのか。津軽海峡線の竜飛・吉岡間の眺望を問題にするくらいのばからしさと思うが。住む方にとっての迷惑施設はまとめてしまうというのはいいことだ思うが。
 62。低層と高層の住宅が混在するって、住んでる側からすると問題はあると思う。けれども景観といった場合、ベターっとした低層住宅がただ続くとか、高層アパートだけが並ぶのって、不気味という感覚がないんだろうか。むしろ問題は、不細工な勾配屋根かと。
 とか、考えてたら、自分のサイトであげられた事例を褒めてる人がいた
 この「悪い景観100景」がツッコミ所満載なのは、彼らが考える「良い景観」とは何かが提示されてないこと、なぜ「悪い景観」になってるかに考えが及んでないからだろう。
 これって、日本語の乱れを憂う人にありがちなスタンスに思う。
 「乱れた」日本語を使うには理由がある。意識的な場合と無意識の場合。意識的な場合は、例えば、違和感による印象付け。だから誤った用法という自覚があるし、読み手も誤ってると思うからこそ効果がある。むしろ、正しい用法を前提にしているわけだから「乱れ」とは言えない。「モーニング娘。」もそのひとつ。
 無意識の場合、例えば、「…。」の"。"を省略してしまうような乱れは、鉛活字時代の名残だそうだ。今でも、"。」"という字体が日本語フォントになくて電子メディア上では間延びしてしまうからという理由がある。こういう乱れに対しては、文字コードを規定しフォントを作ればすむ。
 「こんにちわ」と書くのは、単独の言葉として認識されており、「今日はご機嫌いかが」「今日はお日柄もよく」などを省略して言っているという意識が少ないからだ。昨日、会って「こんにちは」と挨拶したから、今日は「こんんちも」と挨拶するということはない。副助詞なら「は」と表記するが、単語の部分なら「わ」でいい。
 「さようなら」や「おはよう」は正しいだろうか。「さようなら」は「左様ならば(失礼する)」、「おはよう(いらっしゃいました)」を省略した形だ。「左様」という言葉を他に使う人はあまりいない。普通は「そう」とか「そういうこと」と言う。なら「そうなら」とか「そういうことなら」の方が相応しい。「おはよう」だって、挨拶以外では「おはやく、おいでですね」とか言ってるなら、「おはやく」が相応しいことになる。「さようなら」や「おはよう」は、単独使用されるようになって語源とは別の進化をとげた、というより進化しなくなったわけだ。語源に無関係に単独で使用されるから「こんにちわ」と別の進化をしたわけで合理的な理由がある。それでも「は」でなくてはいけない、より合理的な説明がないと「乱れ」はなくならない。
 ら抜き表現の場合、以下のように並べてみよう
 食べる 食べられる 食べれる
 見る 見られる 見れる
 着る 着られる 着れる
 切る 切られる 切れる
 走る 走られる 走れる
 こうして、並べてみる限り、ら抜き表現の方が、受身表現と可能表現を分ける上では便利そうだ。「昨日、○○しているところを見れた。」話者が見られたのではなく、誰かがしているところを見ることが出来たんだとわかる。「見られた」ではわからない。規範の文法からは間違っていても、機能的には優れた表現ということになる。となると「乱れ」を正すのは大変だ。
 これまでの規範にない用例だからと、「乱れ」と言うのは簡単だけど、理由も考えないと、乱れなのか合理的な変化なのかわからない。
 正解はひとつだけではない。たいていのことには複数の正解がある。なので、明らかに非合理であったり事実と乖離している場合じゃなきゃ、誤ったとか悪いという言い方はしたくなくて、好きだキライだと言うことにしている。世の中にはそうでない人もいる。左様ならば、合理的な説明をしないと、マイルールの押しつけとしか思われないし、「乱れ」はなくならないと思う。

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Commentaires

>>しのぶさんは人格者なので

ちょっとなにこれ、いやみ?

「何をもって美しい景観とするのか」というのは
サイトでは「準備中」になっているんでそのうち語られるんでしょう。
他のページがどれも準備中になってるんで
見る側は何とも判断のしようがありません。

選出された悪い景観がどれも選出者の独断だったり、
地域の生活事情などが考慮されてないのは別に良いと思うんです。
問題なのは、言いっぱなし&ご意見無用の「何様っぷり」じゃないか思います。

まずは主観でいいからいろいろ並べて、
それを多くの人に見てもらって意見募集・公開するなり、
外向きの動きがあってこそサイトで公開する意義があると思うんですよね。
そこから「これで良いじゃん」とか「これにはいろいろ事情があって」とか
もしかしたら会員の石井幹子さんが
「景観を良くするためにタダでライトアップします」
とか言ってくれるかも知れないじゃん。
これからなんかやる予定なのかも知れないけど
少なくとも現時点では書いたっきり、ってのが
内向きというか、独りよがりというか、オチなしかよ!というか。

しっかし南郷さんが「日本語の乱れ」とか言ったり
「。」や「、」の位置や使い方まで
こだわる人だとは思いませんでした。
こだわってる訳じゃないんだろうけど。
正しい日本語っていつの時代のどこの言葉よ。って言うのももう飽きた。
「モー娘」おじさん、真面目な良い人じゃん。
たまたまモー娘ヲタに読まれて
よってたかって吊るし上げくらっただけじゃないの?
良く読んでないから分からないけど。

Rédigé par: しのぶ | le 13/06/2006 à 23:01

 まあ日本語のことについて書く気はないのです。何事によらず憂うだけの人へのいやみです。
 「モー娘」おじさん、よく知らないので、真面目な良い人かどうかわかりません。書いたことについて言えばいいかげんなヤツです。
 モーヲタだって悪口は聞き飽きてるのに、なぜ反応したかは、たぶん「書いたっきり、ってのが、内向きというか、独りよがりというか、オチなしかよ!というか。」で、なおかつ前提がいいかげん。
 で、このおじさんは、コメント欄があったばっかりに、総反撃を喰らったわけで、景観云々はそうならなかった。
 まあ、こいつら何を勝手なことを言いっぱなしで何様よ。と思いつつも、その趣旨を汲んであげようとするのは人格者でしょう。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 15/06/2006 à 01:04

件のトップページは表参道の同潤会青山アパートですね。私は、あの雑然とした雰囲気が嫌いじゃありませんでした。よそよそしく威圧的な建築の多いあの界隈にあって、人の生活が感じられる特異な空間だったと思います。
先年取り壊されて現存しませんが、「何とか残せないものか」という声も高かったと記憶しています。

Rédigé par: 非国民 | le 17/06/2006 à 01:24

 おそらく他の「悪い景観」も嫌いじゃない人は多いんでしょう。
 それに写真だと、不調和な感じを強調し、反転写真まで添えて醜さを強調してますが、実際に行った雰囲気はそうでもないんでしょうね。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 18/06/2006 à 00:49

あるものが美しいのか美しくないのかという問題と、美しくないものを一方的に排斥していくのが良いことなのかという問題は、全く別に論じられなければなりません。
件のページは、どうもそのことに気づいていないのではないかと危惧します。
二つの問題を一緒くたに考えていると、猥雑な看板どころか、茶髪もガングロもホームレスも排除されて、平壌みたいな清潔な都市になってしまいます。

プランに無いノイズを徹底的に排除していった先には、どのような景観が残るのでしょうか?
私たちは、映画のセットに住むことは出来ません。

Rédigé par: 非国民 | le 19/06/2006 à 01:11

 件のページは、どうもワカラナイことが多すぎです。何をしたいのか。「美しい景観を作る」を新しい利権にしたいんでしょうかねぇ。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 20/06/2006 à 19:37

ああなるほど。それなら良く分かります。
ただ、それにしたって、もう少し美的センスのあるメンバーを集めなきゃ説得力が無さ過ぎます。

Rédigé par: 非国民 | le 21/06/2006 à 00:48

 たぶん、本人たちは「肩書」に説得力があると誤解しているんでしょう。シロートにはわからないことなら「肩書」の説得力にも期待できるんでしょうけど、景観というような話だと、誰でも内容で判断できますから。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 22/06/2006 à 21:07

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