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05/07/2006

アルミに倦む日日

桶狭間こちらの記事のコメント欄でアルミニウム合金をアルミニウム鋼というかが問題になっている。おそらく些細な問題に違いない。残念なことに、私はアメリカのアニメーションについて述べるほどの見識は持ち合わせていない。日本のアニメーションについても似たようなものだ。しかしこの記事でアニメにおけるメカニックの写実性をリアリズムという用語を使用して説明しているのは不用意と言うべきだろう。アンバランスな写実性と言った方がいいのではないか。コフィーちゃんにおける桶狭間先生を歴史的リアリズムと言わないようにだ。アンバランスな写実性ということは、そこに何らかの意図が介在するということだ。キャラクター化が起きなかったのではない。写実化が起きたのだ。

リアルアンバランスな写実性はアニメにだけ起きるのではない。例えば春画だ。浮世絵のスタンダードな抽象化では、腕においても首においても浮き出た血管は描かれることはない。そして性器においては浮き出した血管が描かれ、陰毛が一本ずつ描かれるというアンバランスな写実化が見られる。クローズアップの技法だろう。兵器にアンバランスな写実性が見られるとするならば、それは春画における性器と同じ役割ではないか。それだけではない。抽象化の破綻は時としてリアリティの破綻をもたらす。リアルドラえもんはドラえもん世界におけるリアリティの破綻だ。それはアニメにおけるリアリティから現実に開く扉になるからだ。兵器のアンバランスな写実性には現実への扉の役割もあって、宮崎アニメの風景と同じ役割でもある。

枕絵かの記事で紹介しているアメリカアニメの兵器は現実のものではない。空想の兵器を過剰な写実性で描いているのだ。その写実性は現実世界にではなく、空想世界に通じる写実性だ。このようなアンバランスな写実性の要因を戦時下という状況に求めるのは、納得がいかない。戦時下であるから兵器をクローズアップすることは当然だ。アニメの世界から現実の戦争や未来の戦争との間に関係性を埋め込むことも当然だ。しかし技法としては、浮世絵の時代からのものであり、今日のアニメでは、兵器以外のものに使われているだけではないのか、車や人形のドレスに使われる技法ではないか。そう思えてならないのだ。

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