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29/08/2006

97日目

モリアオガエル こちらは、知らない間に上陸して、近所をうろついていて、産地放流から漏れたやつ。回収して、容器に収納。
 100日目くらいになったら、数匹、残すのを決めて、名前でもつけようか。いっそネーミングライツを売ってみるか。「名誉会長の世界平和への貢献を記念して」とか「偉大な発明家に敬意を表して」とか「理由」も込みだと5割り増し。

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28/08/2006

95日目

モリアオガエル 昼間はひたすら寝てる。大きいのは2cmちょい。

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25/08/2006

もったいない話

こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。
世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。
動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。
そんなこと承知で打ち明けるが、私は子鶏を殺している。
家の台所の鍋の中がちょうど湯になっているので、生れ落ちるや、
そこに放り投げるのである。

たぶん、白身が堅く黄身が軟らかい「半熟」でないなら糾弾されない。

こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。
世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。
動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。
そんなこと承知で打ち明けるが、私は子虫を殺している。
家で飼ってたおたまじゃくしがちょうど蛙になっているので、羽化するや、
そこに放り投げるのである。

猫を飼う人と蛇を飼う人が知り合えばよい。

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23/08/2006

オマケのペットボトルカバー

ペットボトルカバー セブンイレブンのペットボトル飲料のおまけのペットボトルカバー。
 セブンイレブンのキャンペーンサイトに、メアドを登録、ログインして、ボトルに付いてるシールに書いてある14の数字を入力し、それが5枚分になったら申し込んで、さらに1週間ほどしてから店舗に行って登録番号を言って受け取るという、相当にめんどくさい方法だ。
 たいていの人は、応募のために使い捨てのメアドを取るだろうし、その手間も要る。

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ガセネタビール国産で復刻

デマビールデマビール 今ではデマだったことが知れ渡った「ロシアの圧政に苦しんでいたフィンランドの人たちは東洋の小国・日本が大国ロシアを破ったのを聞いて驚き,そして喜んだ。トーゴー・ビールはこれを記念して作られたのである。」(藤岡信勝著・呪縛の近現代史)という話だが、そのデマの元になったのが1970年から売られ、その後に醸造元が倒産して作られなくなった提督ビールだ。
 その後、日本の商社がオランダだったかどこかで、提督ビールの東郷バージョンの復刻版を作らせて、東郷ビールとして売っていたようだが、ついに国産化された模様。
 中身は飲んでいないが、沼津の地ビールのようだ。

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22/08/2006

くだんの件

 小泉首相が靖国神社に行った時のニュース画像で、小泉首相はモーニングを着用していた。その後に全国戦没者追悼式があるので、その都合だったのか。一方、案内役の靖国のスタッフは烏帽子着用で普段着だった。正装の場合は冠を着用する。
 普段着なのは靖国神社が「8月15日」に特別な意味はないという見解だからだろう。靖国にとって8月15日が特別な日でない理由はおそらく2つある。ひとつは「祭祀上」の理由であり、特別な日とは例祭の日であり、その日であれば、スタッフは正装するんだろうが、そうではない。
 もうひとつは「世界観」による理由だ。靖国のサイトに「終戦記念日は4月28日」とする記事が掲載されている。講和条約発効の日が終戦の日だという論法で、「松平の子」もこの論理で、東條らも終戦前に処刑されたから戦死だということになる。
 ところが、靖国にとって特別な日でなくても、行く側にとっては、特別な意味があるようだ。ひとつは「戦没者を追悼し平和を祈念する日」だ。1982年4月13日鈴木善幸首相の時に「先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため」設けられ、全国戦没者追悼式の根拠となっている。もうひとつはお盆だ。伝統的に死者を供養する日になっている。
 小泉首相の談話では、行った理由がこの「戦没者を追悼し平和を祈念する日」の趣旨と同じなのだ。ところが靖国自身には「戦没者を追悼する」ことも「平和を祈念する」ことも、その本来の「御神徳」にない。
 さらに、かなりの人たちは「お盆」ではなく「終戦記念日」と言いつつも、そのメンタリティにはお盆と変わらないものが見られる。
 どうも、この日に靖国に行くという人には、靖国の「教義」を歪めて解釈している人が少なくない。といっても、その教義自体も明確ではない。
 本来の神道というのは、世界観ではアニミズムを基本に、祭祀ではシャーマニズムを基本に、仏教、儒教、道教など外来の宗教などの影響によって発展してきたもので、特に厳密な教義は存在しない。一方、国家神道は、伝統的な宗教観を「迷信」と否定し、祭祀上に伝統的な形式だけを取り入れて作られたもので、世界観は異質のものだ。ところが、既存の仏教や、キリスト教禁止に反対する国外への妥協のために、あえて世界観としては、「国体」に関する以外は多様な解釈を許容していた。
 だから、同じように教義は厳密でないとしても、意味は全く違う。伝統的神道で「全体におおらかな体系」であったのが、国家神道では「部分的にしか教義がない」ということだ。
 その上に、皇国史観が否定された戦後には、あえて靖国自身も「国体」に関しての教義も明確にすることを避けているようだ。例えば、靖国のサイトでは、幕末から西南戦争に至るまで全ての戦死者を祀っているような誤解を誘導している。
 靖国自身は合祀したら一体の神霊となり、個々人の削除は出来ないという姿勢だ。石原慎太郎は靖国に行った際は、心中で東條だけを除外して参拝しているらしい。その東條の孫という人も、東條が合祀されているのが嫌ならそうしろと言っている。ということは、この人たちは、靖国の神霊を歪めて解釈し、参拝することを是認しているわけだ。
 戦争犯罪人の合祀を容認するが「松平の子」のような世界観を共有できない人の中には、とって付けたように「御霊信仰」だという珍説を持ち出して来たりもしている。
 靖国を嫌う人だけでなく、靖国を認める人の間でも、靖国は勝手に解釈されているということだ。
 8月15日に心静かに参拝したいという人がいる。一方でコスプレ大会をしている人がいる。お盆に静かに墓参りをする人もいれば、賑やかに趣向を凝らして盆踊りをする人がいるのと同じ構図だ。それぞれの靖国観が違うわけであり、それぞれ正当な理由があるのだ。
 こういうことを考えたのは、綾川亭日乗のエントリーあんとに庵備忘録のエントリーがきっかけだ。霊的世界や宗教として、靖国はそれ自身も、支持する人たちも、好き勝手に解釈をしていいるし、靖国自身がそれを許容というか推奨しているようでもある。同じ「靖国」というコトバで表現されるものの定義が違うのだから、話が通じる訳がない。
 つまり、文化としての靖国、精神的な存在としての靖国には実態がない。靖国自体にはあるのだが、その世界観を共有している人は僅かだろう。多くの人が語る靖国は、その語り手が自分の中で作り上げた、もしくは教義を勝手に歪めた「靖国幻想」ということになる。
 となると、靖国について語るならば、靖国自身の世界観を基準にするか、文化的精神的な要素を排除し、残った「事実」だけを基準にしなければコミュニケーションが成立しない。例えば、単独の「宗教法人」にすぎないとか、出来てから130年しか経過していないとかだ。

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21/08/2006

おっぱい観音

 先日、行ってきた豊満神社であるが、そのサイトで「豊満神社で祈祷したバストアップ(豊胸)に効く商品」と勝手に称している商品に、全く関知しないし、そんな御神徳は聞いたことがないと、お怒りのようだった。ところが、最近の更新では「また最近では『豊満神社』というその名前からか、(これは正式な御神徳ではありませんが)女性の容姿向上にも御利益があるという噂が広まり、全国各地から若い女性が多数お参りされています。」ということで、商品はともかくも参拝は許容されてるようだ。
間々観音 一方、そっちの御利益のある寺は別にちゃんとあるようだ。
 「こまき」というところにある。駒木ではなく小牧である、というのはマニアックか。
 間々観音というらしい。
間々観音こまき ついでながら、この方が駒木さん。


 清め用の水場、ここで手を洗う。
 観音像からも水が出てるし。線香立ても独特の格好をしている。
間々観音間々観音 祈願用の絵馬にもおっぱい形が付いている。
 この絵馬は1500円。
間々観音 で、こういうお願いが書いてあるわけだが、下に名前も書いてある。住所も書いてあるのもある。さすがに携帯番号は書いてなかった。
 そういや「ナヰスな絵馬」blogにTバックしようと思ったけど、1年近く更新していない。どうしてるんだろ。
間々観音 絵馬型のお守りというか、キーホルダーというか、ストラップもある。

 なお、27日に祈願祭と掲示されていたけど、この日はすぐ近くで「秋葉祭」が行われ、からくり山車が出る。

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16/08/2006

踊る人形

フィギュアフィギュア フィギュアの写真が出てきたので。
 場所も、踊りも全く違うが、実は進化の系統から言えば、「鬼剣舞と鹿踊りの最も新しい共通の祖先から派生する全ての芸能」に阿波踊りも含まれている。

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あの村は

闘牛 このところ、以前に撮った写真を探したり、ないものは撮った人に手配とかしている。探している途中で見つけたのがこれ。この場所が小千谷だったか山古志村だったか定かではないのだが、写ってる牛は山古志村の牛である可能性が高い。
 全村避難からもうすぐ2年で、どうなっているのか気になってチェックしてみた。小千谷市内に仮設闘牛場ができ、小千谷市内にあった闘牛場も復旧し、小千谷市内での大会だけは復活しているようだ。

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送り火

 お盆には、亡者への供養に送り火を焚くという風習がある。けれども他人の家を焚くのはアホである。
 加藤紘一さんの実家が焼けた件で、まだ原因とかはわかっていない。だから、こう結論付けてしまうのは勇み足だと思う。いくら相手が相手でも、節度は持ちたい。
 確かに、1999年の下関市長選の際に、安倍晋三が推した候補を支援した土地ブローカーに対し、秘書が300万円を工面したが、ブローカーはさらに金を要求し、応じられなかったため、暴力団と共謀して嫌がらせに、火炎瓶を投げ込むという事件があった。いくら、安倍晋三が、すぐに火を点けたがる人たちとお付き合いがあったとしても、何もわからない段階で、結びつけてしまうべきではないだろう。
 それよりも、感じたのは2点。
 自殺するにしても、いきがって割腹とかすると失敗した時に余計に無様だ。日が日だけに、軍人のくせにピストル自殺を失敗した無様さを思い出す。狂言説もあるが。
 加藤氏の母だが、97歳で散歩というのは感心した。101歳の知り合いの人が97歳の当時を思い出しても、歩けてはいたが、一人で歩いて外には出られなかった。
 どうでもいい話だが「紘一」という名前は、普通は61歳以上だ。何と無く顔も似ている河内紘一さんという人が愛媛県の内子にいて、内子座文楽に行くと顔を合わす。一昨年の8月には会ったが、昨年は会っていない。今年はどうなることやら。

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15/08/2006

民俗信仰との習合

 めでたし聖寵、充ち満てる・・・の「聖寵」ってどういう意味なんだろうか、あたりから始まって聖母信仰というのは、どうも門外漢にはわかりにくい。
 こんなことを書き出したのは、15日が聖母被昇天の日だからだ。カトリックの聖母信仰が「わかりにくい」のは「わかりやすい」から。というのは変な言い方だが、いろんな宗教に母性信仰があるものだから、勝手にわかったつもりになる危険性が高い、ということだ。
 江戸時代にマリア観音というのがあったそうだが、弾圧から逃れる為に菩薩像に似せたマリア像で「偽装した」、というよりも、教義自体も観音信仰に習合して変わってしまったのだろうなと思う。
 聖母信仰というのは布教の途上で土着の女神信仰との妥協の結果に発生したらしいのだが、教義上に位置づけられたのは近年のことらしい。御本家も長年手こずったことが、シロートに簡単にわかるはずがないのだ。
 もっとも、私としても、宗教そのものには別に興味がないわけで、彼の地の文化の理解する上で知っておいた方がいい程度がわかればいいのだが。
 15日はお盆でもある。旧暦の7月15日が本来の「盂蘭盆会」で「地獄や餓鬼道に落ちて、逆さづりにされ苦しんでいる」人のために供養を営む日だそうだ。といっても、元は中国で坊さんの夏合宿の打ち上げの日と、先祖を祭る行事が合体したものらしい。それが日本に伝わって、祖先の精霊を供養する日になったわけである。それが新暦への移行にともない月遅れの8月の15日になった。旧暦の15日は満月で「盆のような月」が出るのだが、「お盆」とは無関係だし、新暦の盆の月は年によって違う。ともかくも、8月15日というのは、伝統的に死者を供養する日だったわけである。
 1872年に京都府で盂蘭盆会が迷信として禁止された。もちろん大文字の送り火も禁止された。「迷信」の禁止というのは、もちろん近代化のためではなくて、国家神道をでっちあげる過程で、庶民に親しまれた民俗的な信仰、伝統的な宗教観を破壊するために「迷信」などと言ったわけだ。
 「仏を殺し、神を 殺して、そのかわり国家を神とする」と言われる所以で、先日のかえるさんもこの時に殺されている。昨今「いったん神と祀ったからには、出て行けということは出来ない」という人がいるが、この新興宗教はその限りでなかったようで、愛宕神社の勝軍地蔵とか祇園社の牛頭天王とかを追いだしたようだ。
 ただし、伝統的な宗教観を根絶やしにすることは難しかったようで、廃仏毀釈から仏教寺院との妥協が行われるようになり、大文字も10年ほどで復活する。かえるさんは昭和の初めになって復活している。その新興宗教は、仏や神でなくて、人を殺すようになったようだ。
 さて、お盆と言えば盆踊りだ。盆踊りの原形は「風流」踊りというもので、様々な扮装をして練り歩いたり、踊ったりしたというものだ。だから、古い盆踊りには、西馬音内盆踊りのように覆面したり、和合の念仏踊りのように「のれん」の付いた笠を被ったり、姫島のようにキツネの扮装をした盆踊りなどもある。西馬音内の覆面はあの世から戻った亡者の扮装という意味もあるようだ。
 だから、8月15日に死者を「供養」するのも、ラーメン・カルトやミリヲタのようにコスプレ行列するのも、かつて国家神道が「迷信」呼ばわりした伝統的な習慣に連なってるのかと思えなくもない。
 でもね。する場所が違うんじゃないの。という気はする。多くの人は、身内の年忌法要はしても式年祭はしてないだろうに、わざわざ「神社」を自称している所でするのかね。そして、くだんの新興宗教自体は、こういう「新」仏習合について、どう思ってるんだろう。

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11/08/2006

コーラのおまけ

ミゼット 普段はほとんど飲まないコーラだが、コンビニによってはオマケが付いているので、近頃、たまに飲む。
 そのうち、塗り替えたり、レタリングを「鈴木オート」にしたりするかも。

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10/08/2006

メモをめぐって

 今頃、くだんの新興宗教に関するとんだメモの件である。新興宗教の嫌いなオマエが「とんだ」とは、と思う人も多いだろうけど、面白くないメモだ。
 多くの「専門家」は従来からの説が裏付けられただけと言っている。そうだと思う。けれども、反応が面白くないのだ。「A級戦犯」というか「イ項の戦犯」さえ削除すれば、天皇が参拝してもいい、という反応なのだ。
 独立した宗教法人が誰を祀ろうが勝手だ。その宗教法人をどう思おうが「内心の自由」だ。小泉は、参拝しようがしなくいのも自由だと言っている。一般の人なら自由だろうが、公的な地位の人間は「内心は自由」だが「行動の自由」は制約されるという考えもあるのだ。
 だから、「A級戦犯」の名前が削除されても、天皇家の祭祀でもない、文化財でもない、歴史的伝統ももなく慣習化もしていない新興宗教に、日本国の象徴が参拝しちゃいけないだろう。慰霊するなら、公的行事として行うか宮中賢所ですべきだろう。だから、1975年まで参拝していたこと自体がおかしいわけである。
 ところが、合祀したから参拝していないというメモの報道以来、「A級戦犯」合祀を削除すりゃ、天皇が参拝してもいいようなことを言う人がいる。
 まだ、政治問題化したから参拝していないという解釈もできた方がましだと思う。なら、常に政治問題にしておけばいいわけで、誰が祀られようが、憲法違反の疑義がある以上、政治問題であり続けるからだ。
 だからといって、メモがあって、定説が裏付けられた以上はしようがない。昭和天皇は「A級の上に松岡、白鳥」までもが合祀されて行かなくなったとしても、「憲法を護る」と宣言している現天皇は「憲法違反の疑義があると政治問題化している」から行かないという理由であってもいいのだ。

 さて、最近、第1次世界大戦の戦後処理が気になっている。というのは、昭和天皇が日米開戦に反対していた、平和主義だったという説を聞いてからだ。別にその説を肯定するとか否定するとかではない。平和主義者という個人的心情に、開戦に反対した理由を求める必要がないように思う、というより、そういう概念が当時にあったのかという気がするからだ。
 第一次大戦によって、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国がなくなった。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が亡命してホーエンツォレルン家が倒れる。オーストリアでカール1世が亡命し、ハプスブルク家が実権を失う。トルコ革命が起こりオスマン家が追放される。勝った側でもロシア革命が起こり、皇帝一家は銃殺されロマノフ家は断絶する。
 国境線の変更や賠償金もあったが、政治家や軍人の責任が問われることはなかった。ドイツ政府もベルサイユ条約228条によって犯罪人として指名された人間を引き渡すことはなかった。
 ということは、日米開戦時点においては、天皇と軍人とでは戦争によって予測されるリスクが全く違うわけだ。その時点で東條は自分が吊されると予測できる材料はない。天皇にはあった。それまでの戦争の結果から予測される最悪の結果は現実の戦後と逆の結果だったのではないかと思ったからだ。ならば、天皇が開戦に反対するのは、その心情によって説明しなくても、皇室存続のための合理的な判断と思える。
 個人的な心情という、他人には想像しがたい要素を排除しても、その時点での選択肢と予測される結果を考え合わせ、歴史上の人物の行動を理解することはできると思う。現実に生きていた時代を知っているからといって、自分の思い入れで作りあげた人物像で判断するよりも普遍的だろう。つまらないかも知れないが。
 昭和天皇の言動についても、公表されているうち私が読んだ限りでは、自分も当事者というか関与していることについても、常に他人事のような言動をしていると感じる。そういう立場であったからだろう。もちろん、アメリカ軍にとって、対ソ連に最も都合のいいタイミングでポツダム宣言を受諾した理由については、まだ、誰も知らない歴史的事実があるのかも知れないが。

 そう考えてみると、かのメモも「個人的な心情を述べた」とは言いにくい。「ココロだ」と書いてあっても、個人のココロというより、自分の地位からの判断を述べただけという気がする。昭和天皇は、個人的な感情を一切、口にしなかったという。かのメモも「感情」ではなくて、自分の地位から見ての各人の行為への評論を述べているだけのようだ。
 天皇が「A級戦犯の個々をどのように評価していたか」と「刑死者を靖国神社に合祀することをどのように評価していたか」は、その「対象者への感情」とは無関係に、自身の立場にからの評論をしていたように見える。
 だから「A級戦犯合祀に不快感」という見出しよりも「A級戦犯合祀に否定的見解」という方が正確ではないかと思う。わずかな違いであるが、その差がこのメモにたいする様々な反応の「うさんくささ」の原因になってるような気がする。

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07/08/2006

超層インターネット・プロトコール

 「雛人形の並べ方」について調べようとしたら、いきなり他のblogに書いた自分の文が出てきた。季節はずれの雛人形のことを調べようとしたのは、並び方が変わったのと外交プロトコールの関係について、確認しておこうと思ったのだが、ネット情報は鵜呑みにしちゃいけないというのがよくわかる。
 ともかくも、儀礼やマナーというのは文化によって異なる。けれども異文化間の交流のために、仕様や手続きを定めておかないといけない。ウチの国では2000年以上昔から、夫が左で妻が右です、ウチの国に来る以上、ウチのマナーに従うべきだ、というのは外交を行う上では通用しないのだ。国際社会に出てくる以上、そこでは共通のマナーに従うことになる。
 同じプロトコールという用語でも、インターネットの場合は「プロトコル」と書く。こちらは物理的なレベルでの仕様や手続きを決めているだけで、コンテンツのレベルでの「プロトコル」はない。けれども、儀礼やマナーに対して対立する点についても、「プロトコール」らしきものはあると考えた方がいいだろうと思う。というより、なぜ考えられないのか不思議に思う。
 とっくにけりがついてるはずの「無断リンク」がいまだに問題になる。次々に新しくインターネットを使う人がいるのだから、定期的に問題になるのは仕方がないか。
 最近話題なのは電通のサイトだ。「無断リンクお断り」ではなく、「当社サイトへのリンクは、原則お断りいたします」だ。「特に以下のリンクは固くお断りいたします。」の例がオモシロイ。

● サイトの管理・運営者が不明、またはハンドルネーム等により運営されているサイト、あるいは代理運営されているサイトなどからのリンク
はお断りだそうだ。ちなみにこのリンクはどうなんだろう。「サイトの管理・運営者」はニフティ株式会社なのか、私なのか。私が代理運営しているのだろうか。
● 違法なコンテンツを掲載したり、違法な活動に関与した、または関与した可能性のあるサイトからのリンク
もダメだそうだ。「社員の安全配慮義務を怠って」就労させるのは違法な活動だろうから、サイト内リンクもダメということになるが、会社が行ったわけで、サイトで行ったわけじゃないからいいのかな。
 「リンクするのにいちいち許可なんか求めてくるな、うっとうしい」という人、「勝手にリンクされるのは嫌」という人、それぞれがいる。リンクする場合は知らせてほしい人がいて、リンクするのにいちいち通知など嫌な人がいる。リンクしてほしくないと言ってるんだから聞いてくれてもいいだろう、という人がいたら、公開した以上ワガママ言うなという人がいるわけである。
 これは、どちらが多数とか、慣例とか、そもそもハイパーテキストの思想とは、という話を持ち出すまでもない。仕様として、勝手にリンクが可能なのだ。そして、対抗手段として、許可したリンク先以外からアクセスさせないようにする方法があるのだから、嫌ならそうしろ、ということになる。
 ここにも 「無断リンクを禁止します!」と書いている人がいるが、その前の記事から考えるとネタっぽい。「無断リンク禁止」とすることで、リンクが増えるのを面白がろうということかな。
 ちなみに、このblogへのリンクだが、この例では「お願い」されてもかえって返事に困るし、トラックバックの意味もないだろう。この例でも「お願い」されても困るが、トラックバックした方が、ここに検索で来た人のためには親切だろうなと個人的には思う。でも、リンクを先方が勝手にしているのが当然であるように、トラックバックも勝手にしてくれればいい。それが、インターネットのプロトコルならぬ、インターネットの「外交」プロトコールだからだ。
 ただ、少し気になることがある。ブログサービスを行っている各社の中には、ユーザー囲い込みやspamコメントやトラックバックの対策のため、自社サービスへのログイン・ユーザー相互以外にはコメントやトラックバックの制約を行っていたり、アクセス履歴を参照できる例がある。こういう、囲い込みの手法が、ユーザーに「公開」の意味について誤解を与えていないのだろうかという点だ。というのは、公開されたサイトにも関わらず、こういうシステムのサービス利用者には「リンクには挨拶を」どころか「読み逃げ禁止」などという信じがたいことを書く連中がいるからだ。

追記
 ちなみに私の別途に運営しているwebサイトの場合、リンクの許可願いがあると原則として断っている。
 承諾の必要もない「リンク」に承諾を求めてくるからには「承諾が必要なリンクの仕方」を意図していると思えるからだ。例えば、フレームを残して、その内部に表示したり、自分のページに、画像だけを表示したり、私のサイトの内容を自分のサイトの内容のように見せる、そういう「リンク」の意図があるからこそ「承諾」を求めているんだろうと疑わざるをえないのだ。

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06/08/2006

74日目

モリアオガエル 上陸後、約1ヶ月。眼の前後の黒い模様がなくなって、アオガエルらしい顔になってきている。

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04/08/2006

半道敵から国崩しへ

 亀田というボクサーがステップアップしたらしい。以前から、メディアを通じて存在は知っていたが、そこらのコンビニの前でウンコ座りしてるのが似合いそうな子という印象だった。悪人面といかにも頭悪そうという喋り方で、プロレスでいう「ヒール」タイプで人気を得ているらしかったが、選手としては中途半端という評価で、敵役でも「半道敵」というポジションのようだった。
 ところがである。世界戦を戦った翌日には「日本の恥」という扱いになっている。敵役でも「国崩し」のポジションに一挙に上りつめたようだ。
 さらには、世界選手権の中継では、およそテレビ画面に出ることはないような方々が、リングサイドに映っていたようで、その方面でもダーティ・イメージを高めることに成功している。
 実際の亀田というのはどういう子かは知らない。でもテレビ画面で見る面相からは「悪役」が向いているのは一目瞭然だ。周囲もそういう方向でプロモーションしている。小学生でも出来る言葉遣いができないのは、周囲がそうさせていると考えるべきだ。けれども「台詞」は下手だ。関西アクセントなんだが、それにしては音韻が平板で、棒読みっぽい。それが幸いして「憎まれ口」のはずの台詞に実感がもひとつ伴わない。そういう点で「悪役」として中途半端なことや、ボクシングの世界では「悪役」プロモーション自体が希なようで、きちんと「悪役」としての扱いをされてなかったようだ。それが、世界戦を契機に「ダーティー・ヒーロー」としての評価が定着したようだ。
 今後も、クラスは変わっても、しばらくはチャンピオンでい続けると思う。普通のチャンピオンなら1クラスに1人だ。でも、ダーティなチャンピオンが君臨する限り、何人もの「真の勝者」を作ることができるわけで、ヒーローを次々に誕生させることがでいる。スペアも2つあるらしいし、3階級で展開もできる。
 スポーツとしてのボクシングを見るファンには腹立たしいプロモーション手法だろうが、いかにスポーツとして高水準の試合であっても、それだけで10%の視聴率を獲得できるだろうか。バラエティ化することで40%を獲得しているのだ。テレビというのはそういうものだと思う。
 「外側が薄い」対「中身が薄い」で小口さんとの対戦とか面白そうだが、8キロ違うから無理か。そのうち、亀田に礼儀を教えるとか言って元彌ちゃんが参戦するんだろうか。ライセンスがないか。

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01/08/2006

豊満

豊満 今日はお出かけのついでに、以前から行ってみたかった神社に参拝した。まずは鳥居とその額。「豊満大神」とある。
豊満 重要文化財の四脚門。入母屋造り、こけら葺きで鎌倉時代後期の建造物だそうだ。通れなくて、左右の塀に開いている入り口から入る。
豊満 拝殿。この向こう側に本殿がある。左側に社務所があるのだが、閉まっていた。お守り札でもあれば買おうかと思ったのだが。
豊満 境内にあった「豊満神社」の碑。右側は、近所にあった「豊満青少年育成協議会」の看板。「だれにでもそそぐ愛情 健全育成」だそうだが、誰にでもそそいいでほしいものだ。

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