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26/09/2006

ゴジラの復習

 1954年の秋に誕生し、演出で作られた存在でありながらも、実際の中身は空っぽで、中の人が動かしているにすぎなくても、世界的に認められいる存在もある。それはゴジラで、作られた存在にすぎなくても、物語がよくできているからだ。
 以前に、ゴジラは実在しない、中に人が入っている。だから身長50mの人がいる。というような思考法をする人について書いた。そんなことを考える人は実際にはいないだろう。同じように、ゴジラはほんとうは身長50mじゃないのだ。ミニチュアと撮影しているのだ。ということで、ゴジラは本当は身長2mの生物なのだ。と考える人もいない。
 ゴジラはフィクションであって、フィクションとして意味も価値もあるのだ。そのフィクションの世界で身長50mのゴジラは存在する。現実の世界には身長50mのゴジラは存在しない。このどちらかであって、それは違う世界のことだから共存できるのだ。
 けれども、身長50mの人が中に入っているとか、身長2mのゴジラを特撮で50mに見せているというのは、50mのゴジラよりは、一見「現実的」であっても、こういう考え方は「ナンセンス・ギャグ」の一種としての意味しかないと思う。
 けれども、50mの人間や2mのゴジラが実在するというのと、同じようなプロセスで考える人がけっこういるように思う。
 私はクリスチャンではないが、物語としての創世記には意味があると思うし、科学としての進化論を信じている。まともなカトリックの人は、当然に物語としての創世記を尊重しているし、科学としての進化論を信じている。両者は次元の違うものだから両立するのだ。ところが「高度な知性」によって宇宙や生物が誕生したとかいう説になると、「創造科学」と称しているが、次元の違うハナシを無理矢理にくっつけたわけで、身長50mの人間や2mのゴジラが存在するというのと同じプロセスの発想だろう。
 さて、私はフェミニズムに関して全く無知なのだが、「女系天皇を容認するフェミニズム」などというものが存在するのだろうか。天皇には皇族を父とする者しかならなかった。というのは「平等」という概念の生じる以前からの歴史的事象だ。男女平等という近代の概念を持ち出すなら、そもそも血縁による地位という近代以前の制度が否定される必要がある。近代的概念を導入するなら「誰でもなれる」か「やめる」でなければおかしいのだ。つまり、天皇の後継問題はフェミニズムの埒外とするか、制度そのものを否定しなければ「身長50mの人」や「身長2mのゴジラ」と同じレベルなんじゃないだろうか。だから、女系天皇の容認というのは、フェミニズムの文脈とは全く違った発想だと思うし、むしろ背反する発想じゃないかと思う。
 男女平等だから云々と同じように奇妙に見えるのが、旧皇族の復帰とかいう説だ。天皇には皇族を父とする者しかなれないから、候補者を増やすために、皇籍を離脱した者を戻してしまうわけだ。それが出来るなら、女性皇族の配偶者の父を代々遡って皇族にしてしまえば、女系天皇は男系になる。過去の事象に則らないということでは「臣系」容認も女系容認と同じことだろう。昨年以来の女系か臣系かどちを容認するかという論議は、50mの人間か、2mのゴジラのどちらが科学的かという論議のように思えてならない。過去の事象に則るなら「どちらも容認しない」だし、現代の価値観によるなら「誰でもいい」か「やめる」だ。
 私としては、少なくとも、このblogで「どちらも容認しない」か「誰でもいい」か「やめる」かのいずれかを主張するつもりはない。つまり社会的な主張をする場とは考えていないということだ。しかし、身長50mの人間や2mのゴジラの類のハナシをネタに面白がるのは好きだし、書いてみたい。ナンセンス・ギャグを解説するのは野暮だし、文化の問題について見識があるわけではないけど、つい好きな分野のことは、ヒトコト書いてみたいのだ。

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Commentaires

TBを有難うございますm(_ _)m
上野千鶴子氏の論を読んでフェミニズムの観点でいえば、天皇制そのものが否定されるということは理解しております。
しかしながら「正義は最後に勝つ」のかもしれませんが、いつになるかもわからず、この気持ちの悪い制度とどう折り合ってしばし共存するかということになると、エセ男女平等状態なのかもしれませんが、皇位継承の男女差別を見直してほしいという思いなのです。それにしたって気持ち悪い制度でなくなることはないのですけれど.....。

Rédigé par: ぴかちゅう | 26/09/2006 08:40

ぴかちゅうさま、こんにちは。はじめまして。横槍を入れるようで申し訳ないのですが、一点質問してもよろしいでしょうか。
気持ち悪い制度、ということですが、ぴかちゅうさまは、ユダヤ教についていかがお考えでしょうか。もしくはイスラエルという国家について。こちらも血統による継承となるのですけれども。

Rédigé par: 瑠璃子 | 26/09/2006 13:31

 南郷のお兄さんのお答えを待とうと思ったのですが,私も横槍。

 南郷さんの言いたいことは,「改憲絶対反対!」て言っている人に対して,「そうか,この人は憲法1条から3条を死守しようとしているんだ」という結論を導き出す,みたいな話じゃないですか。違ったらごめんなさい。

Rédigé par: コバヤシ | 26/09/2006 21:14

 「物理学」的に考えれば、50mの人間に比べれば、まだ2mの未知の生物の方が「現実的」というのは理解できます。でも、所詮、現実でもなければ、物語としての価値もないってこってす。気持ち悪いなら、延命策より尊厳死に期待した方がいいんじゃないかと思ったので、Tバックしてみました。
 中央アフリカのスデーセガ高原に居住するンヘラオ族社会では、財産である家畜の他の一族への分散を防ぐため、父親のわからない子しか家長になれないという、他の社会から見ると不思議な習俗を持っていますが、私としては、文化人類学的な興味はあっても、その習俗がどうなろうと、どうでもいいです。
 「妥協」だとか「間を取る」ことで、両者が少しづつ満足と不満を持つということも世の中にはあるんですが、それは同じ次元で違うことの間で成立するハナシであって、度数の低い酒は嫌いだという酒飲みに、アルコール度数は低いが温度は高いから満足しろってのは成立しないのです。
 ともかくも、私としては、意見の違いは理解できても、プロセスのおかしさというかアクロバットは嫌いじゃということが言いたいエントリーだったんです。

Rédigé par: 南郷力丸 | 26/09/2006 22:45

基本的には天皇制廃止論者です。そういう人は日本の社会の中で何%くらいいるのでしょうか。日本の政党でそれを政策として掲げるところがなくなってしまったことから私の目の黒いうちはなくならないのではないかという悲観的な観方をしてしまっているわけです。天皇制をなくすような憲法改正なら賛成です。しかし今憲法を変えるとするとそんなところは論議にもならないでしょう。だから現段階では憲法改正の動き自体をなんとか押さえ込みたい。もっと政治的なバランスがよくなってからでないと危険すぎます。
「尊厳死」というのは天皇制を皇族自らなくすという意味でしょうか。それなら大歓迎ですよ、もちろん。
>瑠璃子さま
ユダヤ教の選民思想的なところは嫌いです。イスラエルという国家のイスラム教徒への姿勢はそれに基づいているんだなあと宗教に支配された国の怖さを感じます。血統による継承かどうかは存じませんのでコメントできません。あしからずご了承くださいませm(_ _)m

Rédigé par: ぴかちゅう | 26/09/2006 23:03

 なお、私としては「宗教に支配された国」というのはほとんどないと思っています。あるのは「支配に宗教を使う国」です。

Rédigé par: 南郷力丸 | 26/09/2006 23:15

ぴかちゅうさま
ご回答ありがとうございます。ユダヤが血統によるかどうかについては旧約聖書をお読みなれば記載ございますのでご参照ください。

>イスラエルという国家のイスラム教徒への姿勢はそれに基づいているんだなあと宗教に支配された国の怖さを感じます。

ちなみにスファラディ系ユダヤ人とパレスチナ人の関係は有効だったりします。イスラエルという国も周辺アラブ原理主義国家もそして(ある時期までの)日本もある種同じ「支配に宗教を使う国」家という言い方をすることができるかもしれません。そういう意味では天皇制を否定するというのは「国家と宗教」の成り立ちを否定するということであり、その意味ではアラブ原理主義にのっとっている国家もイスラエルも同じく否定されるべきではないでしょうか。その点を精査させていただきたくコメントした次第です。

南郷氏、コメント欄をお借りしてしまい申し訳なかったです。

Rédigé par: 瑠璃子 | 27/09/2006 10:31

ぴかちゅうさん
多少の野暮は承知で。
女系容認=皇室の延命策なので、男系維持だと尊厳死待ちになります。男の子が生まれたことで皇室典範改正を先送りにする機運なので、天皇制の尊厳死を期待する人にとっては朗報なのではないですか?
女系を認めるなら3人ー>4人で一人増えてますけれど、男系維持なら2人ー>1人で実はまだ存続の危機です。

尊厳死を待つのもいいのですが、その間もうちょっと生身の人間として扱おうよ、という気持ちです。最近は気の毒で見てられません。

Rédigé par: うちゃ | 28/09/2006 07:02

 そういえば「憲法を護り」と常々言っている人が最も護ってほしいのは18条だ、という話もありました。

Rédigé par: 南郷力丸 | 28/09/2006 14:46

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