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26/12/2006

216日目

モリアオガエル やはり雨の日は起きて出てきているのがいる。出てきても、餌はいない。冬眠中に溺れないようなメカニズムがあるんだろうか。

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23/12/2006

間抜けな架空請求

 SPAMや架空請求は無視するんだけど、あまりに笑えるのが来たので、お裾分け。

From: post.in.-mail.box@forest.ocn.ne.jp
Subject: 緊急告知-重要なお知らせ
Date: 2006年12月23日 4:32:58:JST
To: <略>
Return-Path: post.in.-mail.box@forest.ocn.ne.jp
Received: by <略>; Sat, 23 Dec 2006 04:33:06 +0900
Received: from smtp.forest.ocn.ne.jp (forest.ocn.ne.jp [60.37.40.138])by <略>; Sat, 23 Dec 2006 04:32:57 +0900
Received: from PC (bmdi7003.bmobile.ne.jp [202.32.97.3]) by smtp.forest.ocn.ne.jp (Postfix) with SMTP id 913454C93 for <略>; Sat, 23 Dec 2006 04:32:55 +0900 (JST)
<略>
X-Mailer: Microsoft CDO for Windows 2000
<略>

当社はトップシークレット東京本社と申します。
一般的な個人情報リサーチ会社をはじめ探偵事務所、
特殊調査事務所などを全国ネットで運営しております。

当社は貴方様の素行調査依頼を受け
依頼主からの情報を元に指定された25日間にわたり
昼夜問わず交友関係、異性関係をはじめサラ金及び借金関係や
細かな身辺情報に至るまで
貴方様の行動や私生活全般におよぶ素行調査を実施いたしました。
しかし当社が素行調査を終えた段階で
依頼主の本当の調査依頼が目的が判明しました。
突然の事で驚かれると思いますが貴方様の今後の生活に
支障が生じる重要な話をさせて頂きます。

依頼主は貴方様に対して社会的制裁や精神的苦痛を与える事と
あらゆる手段で貴方様にダメージを与えたいという
目的である事がわかりました。

通常ならば素行調査が終了すれば調査報告書を
依頼主へ提出するはずですが
しかし本件のように調査依頼目的に問題があると発覚した場合は
当社で慎重に検討したうえで依頼主へ提出しています。

当社は調査依頼を受けた以上調査会社としての
任務及び責任を果たすため
本件の場合につきましても従来通り調査報告書を
依頼主へ提出する義務があると考えますが
しかし前記に述べた通り依頼主の調査依頼目的が
貴方様に対する悪意または嫌がらせが目的であるという事が
判明したことにより
本件の場合は従来通り調査報告書を依頼主へ提出する事によって
依頼主の嫌がらせ目的を当社が幇助する形になる事は
当社及び系列会社も含めグループ全体の経営理念に
そぐわない上に貴方様の赤裸々な身辺情報が
全て外部に流出することになり
貴方様の立場や私生活全般に支障が生じる重大な問題または
事件に発展すると判断しました。
従って本件の場合につきましては特別な措置をとらせて頂き
今度は貴方様にお知らせいたしました。

当社の意向としましては本件を従来とおりの形で
依頼主へ調査報告書を提出することは誠に不本意であります。
そこで本件については調査費用を依頼主に返金することで
調査依頼を白紙に戻す方向で和解を進めさせていただき
そして貴方様に関する素行調査を実施した際に当社が出費した経費を
貴方様に負担して頂きたい次第です。
貴方様が当社の意向に同意して頂けるのであれば
記載の合計金額を12月29日(金)までに
下記の指定銀行口座へお振込みください。

人件費 当社負担
車両費 33,600円
交通費  8,350円
通信費 13,980円
合計  55,930円

貴方様のご希望があれば振込完了後に
調査報告書は写真を含めメールにて送信させて頂きます
調査報告書は情報という性質のため先渡しは出来ません。
また依頼主の個人情報は一切公開できない事を御理解ください。

誠に勝手ながら貴方様からの振込がない場合は
当社の意向に同意できないと判断させていただきます。
その場合は従来通りの形で調査報告書を依頼主へ
提出させて頂く事になります。
当社が依頼主へ調査報告書を提出する事により
赤裸々な身辺情報や写真などが外部に流出することも含め
貴方様の私生活に支障が生じたり問題やトラブルが発生しても
当社は貴方様に対して一切責任を負う義務がないことを
予め御了承ください。

株)トップシークレット東京本社
東京都新宿区西新宿2−3−4
代表 0120−042−043(AM10:00〜PM6:00)

代表取締役 原田 雅司

振込先)新生銀行 本店(400)
    普)1443250
ハラダ マサシ


 25日間にわたって「行動や私生活全般におよぶ素行調査を実施いたしました」けれども、氏名はわからなかったらしい。
 送られて来たメアドは、webサイトに使っているもので、本名が記載されているんだけど。
 法人名義の口座のない株式会社というのも面白い。調査会社の下請けとかにした方がリアルなのに。
 bモバイルから、発信しているということは、発信元の方には気を付けているんだろうけど、文面が間抜けすぎ。

 ところで、このエントリーは著作権違反だろうか。

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19/12/2006

アホな機能じゃないかも

 ヤフーの囲い込み機能、「転載機能」が問題になっているのはチェーンメールもどきの使い方をする人がいるからだが、それとは無関係に思ったこと。
 私は法律に関しては素人であり、著作権に関してもよくわかっていない。だから、かなりイイカゲンなとこもあるけど、検証は後回しで。
 かつて、一般の人が目にする著作物というのは、ほとんどが商品価値を持っていた。ところがネットの普及によって、商品価値のない著作物を目にする機会が飛躍的に増加している。
 日本の著作権法は「文化の発展に寄与すること」を目的として、そのために公正な利用に留意しつつ、権利の保護をするものらしい。つまり、著作物の価値の共有のために、価値ある著作物の創作や公表のインセンティブとして、権利を保護すると読める。異論があるのは知ってはいるが。
 だから、論評等のために利用することは、文化の発展のために必要だから認められ、著作権者の権利を横取りするような利用は認められていない。というのが私の理解だった。「引用」における出所明示や引用著作物の扱いは、そのための形式的基準であり、あくまで、ケースバイケースで判断されるものだと。
 著作物というものが普通は商品価値を持っていたということは、著作者の権利というのは、得るべき利益で代表されていると考えれば、わかりやすかった。このblogでも、DVDの感想とかの記述に際し、ジャケット画像を使うのにアフェリエイトにリンクしたり、キャプ画像を載せる場合にも「権利者の利益」を損なわないように扱ったり、「言及のために必要」以上の対応を、一応はしている。
 つまり、著作権の所以をインセンティブと捉えるということは、ユーザー側というか再利用する側にとって、公正な利用にあたるかを、その目的と著作物の商品価値への影響を考えることで判断しているところがある。
 なぜ、著作権の侵害が親告罪になっているかは、ばれなきゃいいということではない。レイプは常に犯罪であるが、犯罪を告発することで、さらに被害を受ける、つまり、セカンドレイプの所以で親告罪になっていたと思う。ところが著作物の無断使用は、常に、権利者の利益を侵害することにはならない。例えば、CMソングを勝手に使うことは、むしろ利益になることもある。その是非の判断は、権利者に委ねることしかできないからだろう。
 以前にも書いたことだが、日本のアニメの世界での市場は「違法コピー」によって形成されたところがある。結果論になるが、市場がない所には、そのコピーによって侵害された「権利者の利益」は存在しなかったわけで、市場が形成されることで、後に他の権利者が利益を得るというヤヤコシイ経緯があるわけで、「違法行為」であっても、マクロに見れば、結果的に「不法行為」ではなかったわけである。
 さて、ネットに公表されている著作物には、それ自身に商品価値のあるものは少ない。ほとんどはタダだから読まれているわけである。それどころか、お金を払ってblogを開設している人も多い。彼らはなぜ書くか、読んでほしいからである。こういう著作物は一種の「財産」であっても、経済的価値として考えるのは難しい。さらに、こういう人の多くは「好意的」に転載してくれるのは歓迎し、「批判的」に転載する場合は「権利の侵害」という意識を持つようであり、一種のというか極めて特殊な「人格権」と思われているようだ。
 このような構図は、ネット以前にも例はある。日本舞踊の公演には、歌舞伎俳優が行うものとどこかの教室が行うものがある。前者はお金を貰って踊るし、後者はお金を払って踊る。観客は前者にはお金を払うが、後者は払わないし、お菓子のひとつもお礼に貰える。そして、後者は、どんなに下手糞でも褒めるというマナーが存在する。
 ヤフーの「転載機能」は、機能はオフにできるということで、権利侵害に関する問題は回避できる。前エントリーで「アホな機能」と書いたが、「ヤフーblogの個々の記事には商品価値がない」「ヤフー利用者間では好意的な言及のためコピーされる」という2つの暗黙の了解があるならば、充分に「利用者へのサービス」となるわけで、アホなとばかりは言えないのだと気付いた。少なくとも考案した人には、こういう暗黙の了解があったのだろう。利用者もその暗黙の了解を受け入れていれば「便利」なのだ。
 さらには、この「暗黙の了解」というのは、何もヤフーblogだけのものではなく、ネットの世界にはよく見られるように思う。
 著作者の権利の所以をインセンティブに求める、その前提である著作物の商品価値はほとんど存在しない、さらには「文化の発展に寄与する」上で重要な批評性も、否定的に考えられがち。こういう状況のもとでは、従前の著作権についての考え方とは、その前提が全く違っていることになる。
 ネットには、その技術的な発達の経緯から「ネットに載せた時点で、個人の権利が及ばない公共物」という思想を典型とする、一般の著作権概念とは異なった考え方もある。しかし、「転載機能」にあるのは、こういう古典的な「前提の違い」とは別の、「著作の価値低下」による「前提の違い」なのではと思うのだ。
 だから、どうだってことはないのだが、ネット上での著作権に関する意見を読むには、こういう「世界観」のことも考えないと、理解は難しいんだろうなと思ったので。

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18/12/2006

blog村

 先日のエントリーでココログ3周年とか書いたのだが、それに関連して、どうもココログの人は愛ココ心に欠けるのではないか。このblogにしても、ココログのロゴやお知らせが載らないのを喜んでいるし、それをウラヤマシイという人もいる。ココログの恩恵を受けているなら、お知らせを載せるのは自然な感情ではないか。
 さらには、ココログのグッズのデザインや、長時間メンテの失敗についてアレコレ言ったり、メンテの前にはバックアップを取ろうとか、反ニフ言動は数多く見られる。そんなにココログが嫌いなら、他のシステムに乗り換えろと言う愛ココ者もいない。
 というバカ話はともかく、ツールに過ぎないblogシステムに愛着はともかくも、帰属意識まで持ったりする人は、少なからずいる。
 以前に、知人が「アルファ・クリッパーって気持ち悪い」と書いた時、その話題について、それ以上は言及しなかった理由が「ニフ者対はてなユーザー」という構図に変換されてしまいかねないという理由からだった。
 システム毎のユーザー気質というのは、ネタ的には面白い。よそのコメント欄で、ココログやアメブロはネタblog、楽天やヤフーはベタblog、はてなはメタblogが多いなんてことを書いたが、血液型占い並みにイイカゲンな根拠だ。楽天blogのごく一部に「無断リンク」だの「読逃げ」などという不思議な言語があり、ヤフーblogに転載ボタンというアホな機能があって、それが原因で揉めてるblogというのを見ただけの印象だ。けれども「下流社会」並みに、サンプルとしてはイイカゲンでも、結果が妙に実感できる。
 これというのも、各システムがユーザーの囲い込みに作った機能のせいかと思う。帰属意識を持たせるためにユーザーをムラ化するわけだ。
 so-netの「nice」ボタンとか、アメブロにもログインユーザーだけの「読者になる」とか「ベタを残す」とかがある。でも、あまりトラブルの要因とはなっていないようだ。so-netには、spam niceというのがあるらしいけど。
 楽天の「読み逃げ」という不思議な言語も、ログインユーザーに関してのみアクセス履歴が残るところから発生したらしい。
 さて、blogの記事に関して、他の記事から触発されたりすることは多い。だからこそトラクバック機能が使われるわけだが。そういう記事を書く際に、単にリンクするだけではなく、元の記事をコピーすることはよくある。ただ、コピーというのは「範囲指定・コピー・ペースト」だけですむわけではない。それが1クリックで出来るというのは、イージーにエントリーを書くのは便利なんだろうし、それが出来るblog間の交流やエントリー拡大には有効だし、ヤフーblogもそれを狙ったのかと思う。
 ヤフーblogは、画像は他から参照できないようにと、ある意味閉鎖的な部分もある。でもユーザー間では記事を簡単に転載できるわけで、かなりムラ化を指向するシステムのようだ。
 はてなだって、ブックマークをツールとして使っているうちはともかく、ユーザーとしての帰属意識が出てくると、ユーザー間でのムラ化はおこるようだ。
 さて、ムラが出来ると、ムラだけの風習が生まれたりするだけではなく、名主というより、お山の大将が生まれやすい。普遍的なオピニオン・リーダーという人ではなく、そういう人の多くは「常識的」というか「みつを的」だ。なぜかはわからないが、たぶん、ムラ化を指向するユーザーというのは、そういうのが好きなんだろう。

 ・・・・個人宛メッセージみたいなエントリーだわ。

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17/12/2006

寺のハシゴ

 完全に私事だが(って、もともとたいていのブログは私事を書くわけだが)、お寺でのセレモニーが昨日にあった。
 誰か亡くなったということではなく、首相が海部俊樹の時に亡くなった人の年忌であり、御親戚も呼んでいないけど、けっこうなブツのある寺でもなく、粛々と退屈に行われるわけである。
 「首相が海部俊樹の時に亡くなった」というのは、何年だったか思い出せないし、何回忌かで計算するのも面倒だけど、それだけは覚えているからだ。なぜ覚えているかと言えば政府による認証制度のためである。つまり、日本政府は故人をランク付けする認証制度を1964年に作ったらしい。その認定証に内閣総理大臣ナニノナニガシと書いてある。それが「元祖・神輿は軽くてパーがいい」海部俊樹だったからだ。故人の名前の上にランクが書かれており、それより上のランクにしたと書いてあるから、生前にもランク付けしてるんだろうか。
 故人は、そんなもん喜ぶような人ではなかったが、死人に口なしで、嫌とも言えない。遺族としても、自分宛じゃないから、余計なことするなとも言いにくい。世の中には、喜ぶ遺族もいるんだろうな。ともかくも、認証したい人、されたい人というのは、役人にはけっこういるようだ。ところで、首相がいない期間に死んだら、誰の名前で認証するんだろうか。
 セレモニーが終わった後に、別の寺に行った。といってもセレモニーのハシゴというわけではなく、その寺の塔頭のテナントに料理屋が入っていて、参列者のリクエストで、そこに食事に行ったわけである。創作精進料理という感じの店である。先日のエントリーがあったせいで、料理の内容を分析的に食べる。
 こちらは禅寺なので中国風のインテリアが取り入れられている。飾ってある絵は日本の書だが、中国の寒山寺の楓橋夜泊の拓本あたりが掛かっていても、誰も違和感を抱かないだろうし、この料理も含めて、誰もが日本料理の店と認めるだろう。
 この創作料理とスシ・テンプラとの包括概念は何なんだろう。結局、日本料理というのは、モノではなく、調理コンセプトの問題なのでは、とか。ジェトロの基準というのは、けっこう考えられてはいるが、その範囲だけを「authentique」な日本料理と言うのは、相当に乱暴だ。認証ではなく、推奨なのは当然だ。

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16/12/2006

D.H.コメット

コメットさん 半年ほど前に、缶コーヒーのおまけの「歴史を変えたヒコーキたち」という1/144の飛行機のミニチュアを加工していたのだが、その中で、いまだに加工途中というか、途中で放置中なのが、D.H.88。デハビランド・コメットだ。
 1934年に、マックロバートソン・カップというイギリス・オーストラリア間のレースがあって、それぞれ、赤・黒・緑に塗られた3機のコメットが出場し、うち赤いのが優勝した。
 ところが、オマケの方は缶コーヒーのロゴ入りの架空の塗装で、各翼端も切り取られたように変形されているので、オリジナルの3色に加工しようとしているわけである。
 ちなみに木製機で、後の第2次大戦中の木製機、デハビランドのD.H.98・モスキートを思わせるところもある。
 とりあえずと簡単に加工した赤いのが後に写っているが、やっぱり、小さくて加工も簡単そうなので、3色ほしいということで、始めたが、暑い時期になって中断しているわけだ。
 赤いのの下は、同じくデハビランド社の旅客機のD.H.106の同じスケールのミニチュアで、やっぱり制作途中で放置中 。金属疲労問題での改修後の機体だけど、ミニチュアは「短距離」型だった。それで、BOACで世界に飛んでた長距離型にしたいのだが、そのために、やっぱし翼端を延ばさないといけないし、予備燃料タンクも付けないといけない。
 このD.H.106の金属疲労問題とかもあって、デハビランド社はホーカーシドレーに買収され、今はBAEシステムズ社になっている。BOACも今はブリテイッシュエアだ。
 その下は以前に使っていた、PowerBook2400c/180。
 ということで、九重佑三子の話を大場久美子の話にトラックバックするようなことをしてみる。

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15/12/2006

美味しい国

 先日のエントリーでは日本料理の認証からみで、真面目なコメントが続いているので、おちゃらけの話は別エントリーに。
 結局、どこの地域のものでもそうだが、料理のように複雑な文化的背景を持つものを、簡単に「正しい」と「認証」しようとすることが、余計なことと思うわけである。
 面積的にはともかく、稚内から波照間までの距離でも、近世以前の江差から佐多岬までの距離でも、日本文化の範囲てのはけっこう広い。正しいイタリア料理や福建料理ならともかく、正しいヨーロッパ料理や中国料理が定義しにくいくらい、正しい日本料理は定義しにくいと思う。だから「それは違う」は言えても「正しいと認証」は難しいということ。
 それでも、「authentique」と言ってしまえば、ヨーロッパにはプロトコルとなったフレンチがあり、中国にも清朝の宮廷で山東料理(魯菜)を母体に作られた北京料理があるが、日本料理の場合、国内でも廃れている本膳料理を推奨するわけにもいかないし、そのあたりも難しい。
 それで「反対するなら、代案を示せ」と言う人が世の中にはいるので、「authentique」な日本食を海外に普及する一案。
 アメリカの大統領が外国首脳を自分の牧場に招待して、自らステーキを切り分けるなんてパフォーマンスをする(記憶、あやふや)んだから、サミットの晩餐会に際して、日本の首相が四条流の包丁式を披露するというのはどうだろうか。うつくしさが2ポイントくらい上がるかも。国外の関心は呼ぶだろう。どこかの首脳が、ジャパニーズ・トラディッショナル・レセプション・ワンダホーとか思って日本の歴史を勉強してくれ、白い家で、フセイン一族の頭蓋骨に金箔をはった器でsakeを出してくれるかも。

 ジェトロの推奨制度に関する新聞のインタビューで、日本料理は「ヘルシーな魚料理」というイメージがあるが、誤解もあると答えている。このヘルシーというのは結果であって、別に先人が心がけたわけでない。むしろ、1960年頃までは、日本では「太る」食べ物はいいと思われていたはずで、「とんかつを食べてよく寝るとふとる」というコピーが1970年頃まであったくらいだ。
 狩猟採取から農耕牧畜へと移行したのだが、日本の場合、植物性の食材だけが移行し、動物性の食材は移行が送れた。つまり、イノシシやカノシシ、魚などの野生動物は食べても、家畜を食べることは近年まで普及しなかったわけである。そういえば、リンク先に植物を栽培してる人も、動物を飼ってる人も多いが、それを食べているという記事は植物についてしか見ない。ともかくも、牧畜が発達しなかったことが「ヘルシーな魚料理」の要因だ。

 牧畜が発達しなかったということは、その中心技術である去勢技術も移入が遅れた。そして、東アジアの王朝の中でも日本の後宮には宦官が存在しなかったという歴史の要因となる。
 その結果が源氏物語の世界であり、時の権力者、藤原氏がより確実な女系を重視することになる。以来、実質権力が確実な女系を重視することで、形式的な正統性の担保のための男系の継続が可能になったのだ。
 つまり、ヘルシーな魚料理も、男系王朝の継続も、日本の文明史の結果であり、食文化に深く関わった一体の文化体系であり、女系王朝の容認は世界で認められている日本料理をも冒涜するものだ。
 というのは、さきほど思いついたヨタ話だが、八木秀次の説よりは、男系の説明の説得性はあるだろう。

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13/12/2006

ココログ3年

 先月で、10年以前前からwebサイトを作って置いていたso-netのサービスが終了した。開設の当時、ニフティに入っていたのだが、webサイトを開設できるサービスはなかったので、so-netにも加入した覚えがあり、以来、数年間、IP接続での利用はso-net、無手順接続での利用はニフティという形だった。
 ニフティが無手順接続をやめた今となっては、ニフティに加入している意味は全くないのだが、blogの方がニフティのサービスを使用していることで、やめる機会を逸してしまっている。そのニフティのblogサービスのココログだが、3周年だそうだ。私の場合、サービス開始の4ヶ月後にやっと始めたので、まだ3周年にはなっていない。
 といっても「とりあえず始めた」というだけで、方向性もスタイルも何も決まっていなかった。今もそうだけど。web化されて利用しにくくなった無手順の「フォーラム」の難民間の生存証明みたいなものだった。その後に、他のblogにコメントしたりで、このblogを始めてから知り合った人もいるわけである。
 カエルネタについては、無手順時代からの知人がきっかけになって扱うようになったのだが、このblogで始まったものだ。ドロンジョネタについては、blogを始めた頃に、不要なUFOキャッチャーの景品を処分しようとしたのがきっかけだ。DVDの感想もこのblogから始めたものだから、内容的に無手順時代の「フォーラム」から連続しているものは少ない。むしろ「フォーラム」で書いてた劇評は、ここでは書いていない。
 近頃、web2.0を標榜しているようなシステムで起こっているトラブルが「無断リンク」や「チェーンメールやマルチポスト」や「匿名問題」だったりと、10年以上昔に片づいていることを延々とやっているのだが、ココログに関して、そういう話題をあまり見かけないのは、けっこうフォーラム難民も多いからなのか。
 先日、フォーラム難民の人と、blogを通じて知り合った人と話す機会があった。フォーラム難民の人は私を「保守的な人」、blogを始めてから知り合った人は「リベラルな人」と思っているのではと聞いてみたら、その通りだった。おそらく、このblogで、コミュニケーション論や「ロジック」に関するネタで、バカなウヨの言説を揶揄的に取り上げたから「リベラルな人」と思われているんだろうが、立場の違いよりも、どういうバカが恥ずかしいかの羞恥感覚の違いの方が気になるからだけなんだが。
 その話の際、コメントしようとしたら、わけのわからない言葉が表示されたので、ビビってやめたと言われた。
 このココログには、今は表示していないがカレンダーが表示される。サービス開始当初に、システムの使用言語を何語にしても、カレンダーの曜日が英語で表示されるというバグがあった。それで、使用言語をフランス語にしても、カレンダーの表示が変わりませんと、ココログにバグ修正を要求したということがあって、別に英語でなきゃ何語でも良かったのだが。
 カレンダーのバグは修正されたのだが、このblogには別のバグが残っている。ココログに強制的に表示されるココログのロゴと「ココログからのお知らせ」が表示されない。このバグは残しておきたいので、システムの設定をなるべく触りたくない。それで、別に感覚的に操作しても不都合がないので、システム表示言語がフランス語のまま残っている。
 そんなわけで、イタリア人のドロンジョファンにフランス語でコメントを書かれて、困ってしまっている。

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それより米に認証を

 農水省がアメリカで「正しい和食」認証制度を検討しているとか。産経や東スポにしか載らない記事の場合は、そのまま信用するわけにもいかないし、「実は」ということも多いのだが、事実とすれば、余計なことを、という感じだ。外国の食文化について、「正しい」と認証することに、どういう意味があるんだろうか。
 その昔、日本で、特別なサービスを伴う個室付き浴場をトルコ風呂と言った。でも、トルコの青年が、こういう施設に「トルコ」を冠するのはヨクナイとか言い出して、名称が変わった。女体盛りのサービスのある料理店を「日本料理店」と言ってるから、それに抗議するとか言うならともかく、日本の料理にヒントを得たジャンルを「日本料理」や「和食」と言って、どういう不都合があるんだろうか。
 昨日は沖縄料理を食べた。美味かった。調理してくれたのは沖縄の人じゃない。だから「正しい」かどうかはわからないし、気にもしていない、美味けりゃいい。どうしても「正しい」のが良ければ沖縄に行けばいいんだし、気候の違う今の時期だと「正しい」より美味いアレンジがあるはずだ。民俗学者でもないのだから「正しいか」より「美味いか」の方が重要なのだ。
 それ以前に「和食」という概念からは、何をもって「正しい」かなんて決められるはずがないのに。私の場合、冬には、じゃっぱ汁、けの汁、きりたんぽ鍋を作る。決して「正しい」青森料理でも秋田料理でもない。「正しい」じゃっぱ汁を作ろうにも、タラの内臓なんて近所じゃ入手不可能だ。で、この「正しくない」料理は、「正しい和食」なんだろうか。
 日本で一般的に「和食」と認識されている範囲の食文化を認定するなら、日本で認証制度を作ればいいだけだ。外国で作ることもない。その場合、米については天日干しであることを条件にする。牛肉も大豆も国内産原料に限ることにする。
 農水省の指導によって、コンバインで刈り取って機械乾燥させた米よりも、米作農家が「味が違う」と言い、少なくとも自家消費用には行っている、はざがけして天日で乾燥させた米を使った方が、「正しい」日本のコメだし、正しい和食の条件だろう。

 なお、写真は昨日に行った沖縄料理店じゃありません。踊りがないと「正しくない」わけでもありません。
琉球舞踊 

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11/12/2006

鉄砲祭

鉄砲祭 時間が繰り下がったり、連発銃が使えなくなったりで、ご無沙汰だった鉄砲祭に久々に行く。
 月曜日は、神社「繋がり」の知人と「初めまして」の密会で、なぜか、屁理屈夫婦のとこに遊びに行きたいねという勝手な話が出る。

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08/12/2006

198日目

モリアオガエル 12月なのに、雨の夜の翌朝には、起き出しているのがいる。三脚を触ると冷たいので、なしで撮って、写真もボケボケなのに。温度計をセットしようかな。

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