初すっぽこ
一関に来て、それも大船渡線に乗った以上は、お昼は「すっぽこ」になるのだ。
<追記>
さて、「すっぽこ」であるが、この所、すっぽこ研究所経由のアクセスが見られる。テレビ放送の影響で、すっぽこ研究所のアクセスが増え、ここにも影響が出ているのだろう。そのすっぽこ研究所では、山形の「すっぽこ」は近江商人が陸路、伝えたと考えている。
すっぽこ研究所が陸路説を採るのは、海路なら上陸地であるはずの庄内に痕跡がないからだ。
それに対して、私は海路説である。というのは宮城にも「すっぽこ汁」があるのだが、これまでに得た情報では、美里、利府、大衡村であり、そして、千厩にもすっぽこがある。
この分布の中心となるのは小牛田である。小牛田というのは山形との繋がりが強い。というのも、駅の売店でヲシドリ印のミルクケーキを売っているほどだ。ということは、山形を含めて、庄内から、ある程度、隔てた所にあるということになる。
おそらく、海路で「しっぽく」が伝わり、それに庄内で「あん」が加わった。そして、最上川を遡り、さらに、奥羽山脈を越えたのではないか。一方、何らかの理由で、庄内では途切れたものの、その先の伝搬先で残ったのではないかと考えている。
関西の「しっぽく」には「あん」が入らない。それに「あん」を入れるというのは、庄内の発想じゃないかと思ったからである。陸路だと「しっぽく」に「あん」が加わる合理的な説明が難しいからだ。
なお、「あん」が入った「しっぽくうどん」を関西では「のっぺいうどん」と言う。うどんの入らない「のっぺい」汁は、お盆に作るという風習がある。山形や千厩の「すっぽこ」が冬季メニューであることに対し、宮城県の大衡村では「すっぽこ汁はお盆に作る」という記述がある。宮城の「すっぽこ」の調査が待たれる。
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