ロジックでない食事
私はとてもロジックじゃない行動、「非科学的」なことをすることがある。その例が、たまに宝くじを購入することである。
宝くじを買っても損するだけである。勝馬投票券の購入であれば、データ収集や分析・推理というプロセスを楽しんだり、その結果、金銭的に得をする可能性もある。しかし、宝くじは金銭的に損するだけのものであるというのが科学的な結論である。
なぜ買うかというと、3億円当たるかもしれないと思うからである。けれども、これまでに10%を越える利益を得たことはないし、90%の損失ということが多い。自分が当たったことがないだけではない。知人に3億円当たった人すらいない。なのに、どこにいるかもわからない「3億円当たった人」が、自分になることを想定するのである。
そんなことより、お年玉付き年賀はがきが来るように、セッセと年賀状を書いたり、自分が交通事故に遭う可能性を心配した方がはるかに現実的なのである。宝くじを買っても3億円は当たらない、単なる妄想と言える、と考えるのがロジックな思考であり科学的なのである。
先日、秋葉原で、食事をしようと思い、新宿に本店のある牛タン屋の看板があったので、寄ろうとした。そして、ビルの3階まで上がってみると、その店が米国産牛肉を使用しているという表示があった。
そこで、「非科学的」な行動をとってしまった。そのまま、店に入らずに、ビルを出たのだ。
米国産の牛肉というのは、農水省や日本フードサービス云々が主張するように、充分に「安全」であると思う。少なくとも、米国産航空機に乗ったり、河豚を食うよりも「安全」というのが、リスク科学上は正しい考え方である。脳がスカスカになって死んだ人が誰かなんて知らない。BSEで死んだ歌手も歌舞伎俳優も知らない。米国産航空機に乗り、河豚を食う(棋士とでもなければ、20万円も使わないが)私が、米国産牛肉を避けるのは科学的ではない。
米国産牛肉を食って、将来に脳がスカスカになって死ぬなんてことは、宝くじを買っても3億円は当たらないのと同様、現実的にありえないと思うべきである。米国産牛肉の「既知」のリスクは、国産やオーストラリア産牛肉の「未知」のリスクと大差はない。
ただ、どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている「脳がスカスカになって死んだ人」に自分がなるという「妄想」がもれなく付いているだけ。
しかしながら、私は、宝くじを買うような「非科学的」な行動を行い、「妄想」による行動を行うのである。
世の中には、宝くじを買う、つまり妄想を買うという非科学的な人がけっこういる。こういう、非科学的な人が、わざわざビルの3階に上がって行かなくてすむように、1階の入り口のメニューの所にも表示を付けてほしい。
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