342日目・あじさい日記
夕方、全員がアジサイの上に載っている。1匹は左の花の陰で写っていない。
一応、起きてる。

半年ぶりくらいで、かえるのおうちを清掃。冬眠用容器を出した。冬眠をしていた穴が残っていて、深いのは6cmくらい掘っていて、水苔層まで届いている。3〜4cmくらいの穴もあった。冬に見たら落ち葉の下で背中を地表に出してたのもいたわけで、そういうのは自然界じゃ干からびてしまうんだろうか。
掃除が終わって、しばらくすると3匹はアジサイの上。冬眠容器に植えていたツタを鉢に植え替えて入れたが人気がない。
今後、モリアオガエルの記事は「アジサイ日記」とでもするか。 3匹は容器の蓋の下。ここは、蛾とかがよく通りかかり、寝ているのかと思うと、横を通った際に食いついて、また、何事もなかったように寝てる。
歌舞伎をこれまで1回だけ観た人と話していて、菊五郎と寺島しのぶの話題になったら、親子だって知らなかったと言う、両人とも名前くらいは知っているのだけど。興味のあまりない分野ってのはそういうものかと思った。その一回だけ観た歌舞伎に出ていたのが、オノヨーコのいとこというのもご存じなかった。
さて、その帰り、地下鉄に乗ろうとしたら墓石屋の広告が目についた。落語家の写真があって、「祖父の代からお世話になってます」という趣旨のキャッチコピーが書いてある。ということは、この人の祖父も芸能人というか、たぶん落語家なんだろうけど、その祖父がわからない。たぶん、落語に詳しい人なら知ってるんだろうし、広告を作った人も知られていると思っているんだろうけど、この広告を見る度に、祖父って誰だと思う。かと言って調べてみたこともない。今、調べようにも、広告に出ていた落語家の名前を覚えていない。
同じようなことなんだな、と思った。
小鹿野春祭りで屋台と傘鉾が巡行したが、屋台や傘鉾は秩父の夜祭りにも出る。でも、100年ほど前から、傘鉾は飾りを外して曳かれている。というのも、そのころに電線が引かれ、飾りがひっかかるからだ。屋台の巡行も途中で秩父鉄道の踏切を渡る。屋台の高さは電車の架線にひっかかる高さだが、その時だけ、架線を外すらしい。
でも、秩父鉄道の駅でやってきた列車を見ると、架線はいらないんじゃ?
その秩父鉄道の車輌に、さっきの「双子」に似た生物が。パレオってコシマキのことかと思ったら、それは「pareo」。この「paleo」は、秩父で出土した2000万年前の幻の海獣パレオパラドキシアからとったそーな。
やはり、今日は見物人も少ない。賑わうのは明日だろうか。
数年前に撮った写真だと「プーさん」をぶら下げていた「金棒突き」の少女達は、今年はリロだかステッチだか、どっちかを下げている。金棒には「マリーちゃん」が付いている。
こういう少女に「萌」という人もいるんだろうな。きっと。
近頃の食玩はマーキングが自分で貼るシールになっているものも多い。それで前回に貼ってから、だいぶたつので、とあるきっかけで、その間に溜まったのに貼りだした。
まずはV-22オスプレィ。オスプレィってどんなプレィかと思ったら「ミサゴ」のことらしい。 続いて、Сухой-27。まずはロシアバージョンに貼ったのだが、どうも建て付けが悪くて部品が外れる。それで、組み合わせ部を成形、接着してから貼ることにした。
ところが食玩のプラスティックの素材はABSで、普通のプラモデルの素材のスチロールとは違う。それでプラモデル用のトルエン系接着剤ではなく、二塩化メチレンとかを使う必要がある。この接着剤はプラ製Nゲージ車輌とかにも使うのだが、揮発性が高いので、いつのまにか空になっており、補給まで中断ということになった。で、後方のウクライナバージョンは貼らないまま。
「vsモノ」である。「エイリアン」はともかくも、「ヴァネッサ・パラディ」というのは、出演している歌手の名前だ。映画の中では「コンチャ」という役名もついてるのに、不思議な日本語タイトルを付けたものだ。原題は「Atomik Circus」なのだが、いわば「フラガール」に「閉山vsしずちゃん」というタイトルを付けるようなもん、でもないか。
こういうタイトルを付けられたというのも、このヴァネッサ・パラディに興味がある人くらいしか観ないだろうと思われたのか。というのも、やっぱりバカ映画の部類に入ると思う。でも、面白いと思うのだが。
とにかく、イイカゲンというかテキトーな展開なのだ。全体からストーリーが構成されているという感じではないし、エイリアンが出てくること自体が唐突。そのノーテンキさがかえって面白い。そもそも、ヨーロッパの映画で何でメキシコが舞台なんだろう。田舎の田舎という意味なんだろうけど、ヨーロッパ人が見たアメリカのバカっぽさみたいな感じも面白い。
それに、このテキトーさや、ヘンとしか言いようがない部分、そして、ちっとも「落ち」になってないラスト、それは、狙ってやってると思うし、狙いどおりに、心地いい脱力映画になっている。
先日の統一地方選挙で、サスケが知事選に出ていた。もし当選しても「ザ・グレート」だけに「リコール」されそうだが、無事に落選したようだ。それで、今は各地で統一地方選挙の後半戦をやっているらしい。プロレスラーじゃなくてプロレスの裏方が市長に立候補するは、壷売りさんが野党から議員に立候補するは、という市もあるらしくて、極地的には賑わっているんだろう。
うちのあたりの地方議会の選挙は前半戦だった、投票日前の土曜日には、相当数の電話があった。いずれの電話も、「ナニナニ事務所です」としか言わずに、名前を名乗らない。その度に、「よそのうちに電話をしたら自分の名前くらい言うものです」と諭したので、そこそこ手間がかかった。
なお、諭した結果、名前を答えるのだが、その後の反応に2種類ある。たいていは、一刻も早く切り上げたいという気がありありで、ただ、よろしくお願いしますとだけ言う。
ところが、一件だけは、ちゃんと応対して貰えたと思ったか、デフォルトで言うことになっているのか、医療費の自己負担分の減額化の実現に努力します云々で、よろしくご支持くださいと「何をしたいか」まで言う例があった。なので、この電話は最も印象に残っている。皆が言うとうっとうしいけど。
とにかく、よろしくお願いしますとだけいうのは、逆効果なのに、いいかげん気付けよ。
さて、今週の金曜・土曜は、埼玉県の小鹿野の春祭りだ。諸般の事情から、行くことにしていたのだが、土曜日はお祭を見るくらいで、特に用事もない。なので、関東近辺の人たちに、電話をしたら名乗るよう諭すのが面倒な人は、21日に小鹿野に来ないか、と誘おうと思っていたのだが、もう今週になってしまった。
ということで「基督看板も貼られている昔の街道で行われるお祭」を見てもいいという人はどうぞ。
歌舞伎好きなら、屋台での素人歌舞伎というのも見ておいてもよろしいかと。
西武池袋から1時間半の西武秩父、熊谷から秩鉄で1時間ちょいの秩父駅から、バスで460円くらい。金曜夜までに連絡いただければ、現地で待ち合わせも可能です。ただし、ユーザーが10万人を切った私の携帯のキャリアーは、圏外なので通じません。
「蜂の子」といえば伊那が有名だ。私の場合、最初に食べたのも伊那は秋葉街道沿いの大鹿村だった。けれども、食べられる所は、けっこう各地にあって、関東だと埼玉や山梨の旅館で、正式メニューじゃないけど出してもらったことがある。九州で食べたのは日之影だった。高千穂に行くと旅館の夕食の後、高千穂神社に行って観光夜神楽というのが定番だが、いつもそうだと面白くないというので、日之影に泊まったことがある。けっこう安い宿だったのに、夕食に猪、鹿、蜂の子が出た。
その日之影の駅は、1階が物産売り場で2階が温泉になっていた。温泉の窓から、列車の屋根が見える。見たって面白いもんじゃないが。この鉄道は数年前の台風で寸断され、今も鉄道は休止したままだが、温泉は今でも営業しているらしい。
容器に入れていた鉢植えのひとつの葉がほとんど落ちていたので、外に出し、代わりにアジサイを入れた。よくアジサイは売っているのだが、花が少ないのを選んで買ってきた。夜になると、さっそく一匹が、葉の上にいた。
突如、思い立って、Nゲージのキハ82系を当初のスタイルに加工しだす。クーラーの取り付け穴を変えて、送風機の加工をする。
細かくは前面の尾灯掛を削るとかの必要もあるのだけど、無視して、銀色の部分だけですます予定、だったのだが、グリーン車を一等車にするのにマークを変えるため、その部分だけは赤色を塗ってる。食堂車は無加工。
今から2年ほど前に、某blogで話題になったのでタイトルだけは覚えていた。それが、たまたま、レンタル屋にあった、というか以前からあったのだろうけど、立ち寄ることのない所だったのが、たまたま気付いた。それで「ロード・オブ・ザ・リング」からも数年経っているし、ホトボリも醒めてるし、今なら借りても「羞恥プレィ」にもならないかと借りてみた。
意外だったのは、これって1993年作だったこと。つまり、2年前に「ロード・オブ・ザ・リング」で、ヴィゴ・モーテンセンのファンになったうら若き女性がこのDVDを買うのは「羞恥プレィ」かよ、とか話題にされていたが、せっかくブレイクしたのに、10年前の出演作を発掘されて話題にされたヴィゴ・モーテンセンにとっても「羞恥プレィ」だったのかも知れない。
ちなみに原題は「AMERICAN YAKUZA」。これなら、かえって「ヤクザvsマフィア」の方がバカっぽくて羞恥度が低いかもしれない。でも、東映の映画なのに原題があるってことは、マジメに海外で売ろうとしたってことなんだろうか。
そして内容はというと、東映ヤクザ映画のパロディでけっこう笑える。作った人は「パロディ」という意識はないんだろうけど、様式というかお約束の世界で成立しているハナシを違う環境で展開すると、こんなに素敵なおバカ映画になるのか、という感じ。
日本からのヤクザが、親分や身内を殺され、復讐に単身マフィアになぐりこみをかけようとするところに、やって来たヴィゴ。「お供させていただきやす」とも「旅の仲間に」とも言わないが、目と目で会話。お馴染みのシーンだけど、BGMに「兄弟仁義」も「唐獅子牡丹」も流れないのが、かえって笑える。
ラストシーンは、そのヴィゴが、日本からのヤクザをお姫様だっこして、階段を降りてくる。腐女子ならずとも感激すると思う。
19センチュリーに実在したルーさんをモデルにした1977年のムービー。アットザットタイムに見たのなら、とてもフェバリットだったと思う。But、今、見ると陳腐で冗長なインプレッションをアクセプトしてしまう。そのティピカルなシーンが「神と悪魔のダンス」。オツムのネジが緩みかけたオヤジが見ている「幻想」ということなんだけども、「よくある」というか「もう飽きた」と言ったフィーリングのモダンバレエを延々とショーするなよとアイシンクするわけよ。でも、30イヤーの間にそうなっただけで、おそらく、プロダクト当時は「ありきたり」じゃなかったはずだ。ムービーにとってかなりインポータントな「頽廃」をイメージ化したシーンも、そういうインプレッションなのだ。
たぶん、この「色褪せよう」は、それだけ、このムービーがグレィトということなんだろう。後のイメージを先取りしてしまったがために、30年後には「ありきたり」になってしまい、フレッシュさが失われてしまったわけである。
このムービー、最近になって「ノーカット」でリバイバル上演され、DVD化もされたものだ。ということは、ジャパンでは、かつてはカットして上演したということだろう。どこがカットされたか予測がつく。
カレントでは「冗長でありきたり」だが、アットザットタイムとしては「ショッキング」なシーンだとシンクする。つまり、ジャパンでは、アットザットタイム、わざわざつまらなくして上演し、つまらなくなってからオールを公開したということなんだろう。
鵜と鷺が魚を獲っていた。この写真だと鵜が首しか写ってないし、後ろからなのでわかりにくいが、そう都合よくポーズは取ってくれない。
鵜だけのアップ。鷺に比べて、よく獲って食っている。内水面漁業の人が鵜を目の敵にするのも納得する。
以前に少し触れたことがある横浜のダイニング・バーの店員さんが、先月にコケてケガをしたそうだ。それとは全く関係はないのだが、やっぱり横浜の飲み屋さんのことを書いてるblogというか、左に並んでるリンクのblogのひとつに、ケガをしてたため一ヶ月ぶりくらいの更新という記事があった。
そのblogは、なぜか相互にblogのリンクリストに載せているが、全く知らない人だし、コメントもトラックバックも送りあったことがないし、芸風も全く違う。元々、一時このblogの検索ワードのトップだった「ドロンジョ」で検索すると、先方も上位に来ていたので何となく載せた。いつのまにか、先方のリストにこっちも載ってた。
さて、HNの方じゃなくてアニメの方の「ドロンジョさま」だが実写化されるらしい。配役はトゥームレーダーの人に頼んだけれど断られたというニュースがあった。再来年の封切りだとか。バカな映画になるといいんだけれど。
昨晩は、先日に起きていたのより、やや大きめのが起きてきたようで、冬眠容器の外に出ている。
起きてきたものの、朝になって潜り込んだのか、左上の冬眠容器の中、落ち葉の下にも、ちらっと見えてる。人間でいえば下の絵の部分。
週刊誌とかの広告やニュースで、「なぜ、こんな問題が、大騒ぎになるの」ということが2つある。
ひとつは、相撲の八百長。相撲の好きな人に聞くと、朝青龍というのは段違いに強いらしい。その横綱はケガを防げる。相手はどうせ負けるにも収入になる。相撲協会は1人しかいない横綱の休場を防げる。見物人もわからない。八百長があっても誰にとっても何の問題はない、
だから週刊誌としては、八百長のことを書くのはともかく、問題視する必要は全くないわけであるし、八百長があったとしても止める必要も全くないわけである。むしろ、なかったとしたら、そっちの方がデメリットがあるわけで、そっちが問題だろう。相撲協会にしても、なぜ書かれたことを名誉毀損と言うのか、それこそ「伝統だから」ですむ問題だろうに。
かなりの昔のことだが、ネット上でアニメをテーマにした「熱い」というか「暑苦しい」論争があった。未来には、人が中に入って操縦する人間型ロボット、いわゆる「モビルスーツ」が製作可能かという論争だ。一種の知的遊戯として、物理法則からマジメに論議するのは「空想科学なんちゃら」みたいな本があったように面白いのだが、「馴れ合い」の枠を越えた応酬になると、アホらしいだけだった。それと同じような感覚が相撲の八百長議論にある。裁判所を巻き込んだり、一般のニュースにしたりするもんじゃないだろう。そんな議論は好きな者どうしでやってればいいのにとしか思えない。
もうひとつは、テレビ番組の「ヤラセ」。たぶん、制作した方も問題になって驚いていると思う。「だってテレビ番組なのに」という感覚じゃないかと思う。テレビ番組というのは、細木や江原が問題にならない世界なのに。細木や江原と納豆ダイエットの間に、なぜ線が引かれるのか不思議に思っていると思う。
それとも、問題になったこと自体が、納豆ダイエットがサンケイグループの局の番組だったわけで、総務省がテレビ番組の内容にまで介入する口実を作るために仕組んだ「ヤラセ」なのか、とも思うわけである。
「占い」というのは一種の「ファンタジー」だし、ファンタジーとニセ科学の間には「線」が引かれて当然だが、その間に線を引かないのが「テレビ」というメデイアであり、だからテレビ番組というのは基本的に「ファンタジー」のはずなのに。だからチョーノーリョクシャが出てきたり、「狂言」宗家が出てきたり、ニセ科学研究所長が経営委員をしたりするんだろうに。
「和泉宗章」という人がいた。「天中殺」でブームを起こした占い師だけど、その占いがインチキなものだとカミングアウトして引退してしまった。そもそもインチキでない「占い」ってあるのかとも思うのだが、「ファンタジー」の枠に収まらずに「線を越えた」メディアの扱いが原因だったのかも知れないと思う。今の細木のような醜態をさらしたくなかったからだろうか。
このところ、ロジックな姐さんが、あるバラエティタレントというか旅芸人一家について語ってられる。この人は父親が狂言師だったので、若い頃に狂言のトレーニングをしたことがあるそうだ。
狂言の修行には、節目となる3つの演目があるらしい。所作というか身体表現の節目となるのが「三番叟」。台詞というか音声表現の節目となるのが、一人で複数の役を語る「那須輿市語」。そして「卒業試験」とも言えるのが「釣狐」だ。
そういう演目なので、大人の身体が出来る前に「三番叟」をやっても意味がないし、変声期を終えて声が安定した後に「那須輿市語」をしないと意味がない。そして、それらが出来てからでないと「釣狐」の意味もない。だから「普通の」狂言師は相応の年齢になってからする。
それを「異例の若さ」で初演するというのは「異例の」トレーニングである。「異例」というのは「まとも」じゃないということだ。つまり、まともなトレーニングをしていないということを自ら広言されていたわけである。21歳以降はそのトレーニングもしてないらしい。
だから、マネジメントの杜撰さが広く知られるようになる以前から、「まともな」能楽公演からお呼びがかかることはなく、座長芝居やテレビ番組に出ていた。
「章」と「家」の間にも、越えられない一線があるようだけど、「家」の方のスタンスの方が、テレビ芸人としては、むしろ向いてると思う。忘れられた頃になると、テレビネタを提供するというのもいいと思うのだが、やっぱりネタがあっても芸がないと、プロモーションにも限界があるようだ。
近所のスパーの無料送迎バスから撮った桜。先日の「川沿いの桜」を反対側から見ていることになる。
昨年秋に野良鹿を撮ったのもこのあたり。 さらに下流。反対側の枝垂れ桜。やっぱり、ソメイヨシノより枝垂れ桜がいい。
枝垂れ桜のアップ。
デブノートに名前を書かれた人間は太る。
デブノートを手に入れた高校生、矢神満月は、豊満な理想の世界を作ろうと、次々とノートに名前を書き込み太らせていく。一方、WHOは、「XL」と呼ばれる謎の探偵に、豊満化の調査を依頼。
やがて2人は出合うのだが、「心理戦」の名目で、ほとんどのシーンで全く動かないため、ますます肥満していくのだった。
豊満マニアに史上空前のブームを呼んでいる『DEBU NOTE』がDVDでも発売されるようだ。
タケノコのシーズンで、値段も下がっている。やや小ぶりだけど、2つで400円程度だったので、買ってきて茹でてみた。皮を剥いて、米ぬかと鷹の爪で約1時間。
まずは定番の若竹煮。シンプルに昆布だしと薄口醤油だけ。
軟らかい所は、そのままスライスしてみた。豆腐と西京味噌、山椒をミキサーしたものをかけてみた。
竹を食うといえばパンダである。パンダといえば四川である。四川といえば川菜ということで、川菜風というより、単に豆板醤を使っただけなのだが、牛肉と筍の炒め物を作ってみた。ピーマン、生姜、ニンジン、キクラゲ、まいたけを入れてみた。
もちろん、ニセ川菜である。もし、四川省に悪事が官僚からタレこまれないようにと、政治家が官僚の天下り先に「本物の川菜料理認定機関」を作っても、きっと認定されない。
blogの検索ツールというのはいくつかあるようだが、「blog」相互の関係性はリンクやトラックバックによって判断するらしい。なので、このblogだと、ロジックな姐さんの所から、よくリンクされているようなので、関連性が深いということになるんだろう。と言っても、こちらでは「狂言」の話題はエントリーしていないが。
なお「狂言」というのは、「狂言綺語」が語源だそうで、ロジックでない物言いやデコレートされたコトバという意味から派生し、「芝居」や「フィクション」の意味である。なので、よく使われる「狂言」には、3種の意味があると思っておけばいい。
ひとつめは、今では「能楽」の一部となっている古典芸能のジャンルである「狂言」で、「間狂言」だとか「お豆腐狂言」という場合の「狂言」だ。
ふたつめは、象徴的身体表現の「舞踊」に対する具体的身体表現の「狂言」で、歌舞伎公演などで、「地方公演では、狂言2幕を舞踊1幕を挟んで上演する」なんて言う場合だ。民俗芸能でも、例えば新潟の綾子舞が、少女の「踊り」と少年の「狂言」があるとか、八重山の祭礼芸能に、女性の「踊り(ブドゥイ)」と男性の「狂言(キョンギン)」があるとか、こういう場合だ。
みっつめは、偽りのツクリモノの意味で、「狂言自殺」、「狂言強盗」、「和泉流狂言宗家」とか言う場合だ。
さて、こういったリンクやトラックバックではなく、エントリーで言及している内容によって、blogの関連性を判断するというシステムもあるらしく、そういうサイトからのアクセスがあった。
そのサイトによれば、このblogに最も関連しているblogというか、ネタが共通しているのは、埼玉の旅館の女将のblogらしい。リンクもトラックバックもしていないのだが、先日来、秩父方面や花の話に言及していたために、そうなったらしい。
ちなみに、先方の最新エントリは、その地域の神社、小鹿神社の旧社地というか、小さな社の話だった。なぜか、その社の写真を撮ってたりする。4月20・21日には、この旧社と現神社の間で神輿渡御や屋台、傘鉾の行列のある「春祭り」がある。秩父地方にお婆ちゃんちがある人や、西武線沿線に実家のある人は、21日にでも日帰りで見に行ってはいかがでしょうか。
そして、この女将、うさぎが好きなのか、旅館のトイレの消臭剤がうさぎ形だったり、廊下にうさぎのお雛様が置いてあったりする。
ということで、この旅館は先日に泊まった旅館なのだが、全くリンクもないのに、ネタが被っているということで、blogを書いてたということがわかったのだ。
川沿いの桜。去年もアップしたかもしれない。
近所の菜の花は咲くか咲かないかのうちに、食用に摘み取られるのだが、種子採り用か摘まれずに残っているのがあった。
まだらボケ。これも去年もアップしたかも。
基本的に、うちではバスは鉄道模型の添え物という扱いで、関東地域のバスは、添えられるべき鉄道車輌がないということで加工したことはなかったのだが、これはよく行った所で走っていて、見かけたことが多いということで作ってみた。
どうやら、サクラが咲いてるようだ。ソメイヨシノは5分咲きというところ。
枝垂れ桜は満開のものもあった。面倒なので、電線は消さない。
毎年アップしているようだが、木瓜も咲いてる。
こんなボケなタイトルは恥ずかしいので、元々の「元祖」にトラックバックしようとしたら、今日は出来ないみたい。
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