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28/07/2007

431日目

モリアオガエルモリアオガエル 似たような格好だが、大きめの個体と最小の個体。角度によって微妙に目つきが悪く写る。

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ハガキ2通

 今回の選挙運動期間中、結局、選挙運動の電話は一切なし。たまたま掛かってきた時間に不在だった可能性は高いけど、いつもいつも「相手の名前を聞く」ので、避けられたのかも知れない。
 さて、ハガキは、統一地方選挙では3党から来ていた。今回に来たのはそのうち1党のみ。つまりは地方議員の後援会が持ってた名簿が、参議院議員候補の事務所には流れなかったか、流れても「どうでもいい」と思われたようだ。もうひとつ来たハガキは元大使から。なぜ、と思ったが、政治的な意味は全くないローカルな名簿に載っていたからだと思いあたった。

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ナショナル・キッド

 その昔、「ナショナル・キッド」というドラマがあったらしい。別に「ナショナリスト」への成長も実感できない「小僧」ということではないようだけど、そういう人が「過去の人」になりかけている今日この頃、過去のドラマが何となく気になったので調べてみた。
4jigen 「四次元の世界を克服し、不可能を可能ならしめ、あらゆる科学兵器より強く、正義と平和のために戦うナショナル・キッド」という、何のこっちゃというヒーローの、たまらなく東映特撮なチープさの番組だったらしい。
 放映は1960年8月4日から1961年4月27日までで、1年もやってなかったようだ。
 それで、この「ナショナル」は「国家」という意味ではなくて、スポンサーになった電器メーカーのことだ。この電器メーカーは、最近では、政治家まで作っていて、個人的には「パナ議員」と呼んでいたのだが、これからは「ナショナル・キッヅ」とでも呼ぼうかと思った。

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26/07/2007

429日目

モリアオガエル

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23/07/2007

クリムト

クリムト デラックス版 臨終のクリムトが回想した過去という体裁になっている。だから、現実か妄想かは曖昧。それにドラマが描かれているわけではない。エピソードを重ねて、クリムトが見た世界を描いたという作り。
 そういう話だから、どうしてもクリムトの絵に対する印象が、この話を受け止める前提になってしまう。それに、この映画を見ようとする人は、クリムトが何者か知らないということはないだろう。
 となると私の場合、クリムトの絵は好きじゃない。「好きじゃない」というのは「嫌い」の婉曲表現の場合もあるが、そうじゃない。画像を見ても実物を見に行きたいとか、買いたいと思わなかったということだ。その理由は「うるさい」のだ。饒舌な描写というのは好きなのだが、饒舌というより、ノイズが多いという印象だ。
 映画では、美のあるべき姿についての論争シーンがあって、クリムトがパリでは高く評価されながら、ウィーンではスキャンダラスに扱われるという展開になる。そういったクリムトの外の世界と、おそらくは内の世界だろうが、彼が惹かれる「レア」という女性と、彼のある部分を代弁するような役人の男が出てくる。
 今日では、美のあるべき姿なんてひとつじゃないと簡単に言ってしまえるわけである。けれども、美は乱調にあり、というのは古い言葉かも知れないが、この言葉がインパクトを持つのは、美には一種の「秩序」があると考えられがちだからだ。
 クリムトの当時には、その「秩序」の権威として、アカデミズムがあった。それから「分離」しようとした、ウィーン・ゼセッションの中心がクリムトだったわけである。そして、その後に、多様な「秩序」が産まれ、「秩序」がないという「秩序」も含めて、映画が作られた今日では、その「秩序」は属人化しているわけである。
 「美」が社会的な秩序であった時代を終わらせようとした画家の話を、その結果「美」が属人化した時代に映画にしているということになる。
 この映画で出てくる琳派の手法や五つ紋の着物というのは、私にとっては、というか多少とも日本文化への知識があれば、ある体系で意味を持った要素であり部分であると認識する。ところが、この映画のシーンでは、その体系から切り離されて使われている。全体として表現されている世界と、表現するための要素や手法の部分に整合がないのは、本来は気持ちが悪い一方で、完全な整合にはないトキメキを感じることができるわけである。今日的な「秩序」で作られている映画では、むしろトキメキだろう。一方で、クリムトに感じるノイズというのは、このような切り離されてしまった体系だと思う。だから、クリムトの絵じゃなくて、それを素直に見られない私の方にノイズがあるとも言える。
 たぶん、それまでの「秩序」から分離したクリムトは、代わりうる「秩序」を求めたはずだ、けれども、違う「秩序」からの部分は導入しているけど、全体としての新しい「秩序」が見えない、こういうクリムトの絵への個人的な印象がある。
 だから、この映画の「レア」を、彼の新しい「秩序」と見てしまい、目指すべきところが、リアルでない幻であって、途上で迷子になってしまった画家の物語として見てしまう。
 そういう、自由な見方ができるというか、好きな解釈ができるというのが、この映画のいいところかも知れない。


 映画の中の「美」論議に誘発されての全くの付け足しになるが、自然の「美」というのは、ひとつには、その中で暮らしている馴れもあるんだろうが、それだけではなく、初めて見た景色にも美しいと感じるように、自身もそうである自然法則というものが、見えない「秩序」として背景にあると見ることができる。
 ところが、庭園ということになると、幾何学的な「秩序」に再構築するような方向も、自然の「秩序」の縮小化を目指す方向もあるように、人が考える「秩序」はいろいろだ。
 たまたま、今、テレビで宇高志保さんが写っているけど、入隊前の方がバロック以前の芸術家には美しいと思われるだろうけど、たぶんCMの制作者はバロック以前の芸術家と違う「秩序」で判断してCMを作ったんだろう。そして、見ている中には、また全く別の「秩序」、例えば想像される密着感なんかで、入隊前の方が絶対に美しいと思う人がたくさんいたりする。これも、美を規定する「秩序」の属人化なんだろうね。
 さらには、この映画で「美」と訳されている言葉と、このblogで「美」と表現している言葉、昔の中国人が作った際の「美」の字の意味も違う概念かも知れない。
 「美」の字は生け贄を意味する「羊」と「大」から成るわけだけど、「大きい生け贄」は、それが可能な豊かさか、それを献げる気持ちの強さか、どちらのモノサシで「美」なんだろうか。
 ともかくも、「美」の基準をアカデミズムが決めてくれた時代は100年以上前に終わっちゃったし、さらには文化によって、基準となる「秩序」やモノサシは違うし、今じゃ、人によって違う。
 以前にも、少し触れたが、「美しい景観」や「美しい言葉」という言葉にインチキくささを感じるのは、そういう「美」の根拠が属人化しているのに、社会的に合意されているかのように誤魔化していることだ。「こういう基準で美しい」という言い方じゃなくちゃ、無意味なのに。「歴史的な用法に則っている美しい言葉」「現代人の多くに共通して機能的だから美しい言葉」とか、「激しく感情を揺さぶる美しい景観」「地域の昔からの印象に共通している美しい景観」じゃないと意味をなさないだろう。
 ましてや「美しい国」なんて、よほどの低能でなければ、恥ずかしくて言えない言葉だ。「美という字の成立を考えるに、犠牲が大きいから美しい」とか言わないと。

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21/07/2007

南極4号・鑑識眼テスト

 ちょっとよそ様のblogっぽい記事。
 ひとつは、船の名前を公募しているという話。4代目の南極観測船の名前を公募するようだ。
 船名は、名所旧跡の名称をひらがなで付ける。名称の前後に、第二、新、号、丸などを付けない。という条件があるらしい。なので「金鵄丸」はダメらしい。

テスト結果 もうひとつは、フラッシュを使ったゲームというか、本物とフェイクを見分ける鑑識眼のテスト。やってみたら、85点だった。画像では正解が出ているのでモザイクをかけている。もう1問正解すれば、トップランクだったのだが、2番目のランク。
 骨董屋の小僧には、鑑識眼を養わせるために、本物だけを見せ続けるそうだ。本物しか見たことはないのだが、その数が少ないから上のランクに行けないのか。

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20/07/2007

423日目

モリアオガエル またまたガラスの汚れが激しい。なので、ツタの支柱のてっぺんにいたのは蓋を外して上から撮影。眼が赤くなってきて、モリアオガエルらしくなっている。
モリアオガエル 夕方に撮影したのも追加。けっこう緑の色合いは変わるのだが、小さい方が黄みが強く、大きい方が青みが強い色でいることが多いようだ。
モリアオガエル こちらは今年産まれ。上陸後10日ちょっと。

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19/07/2007

塗り絵

蒋介石 モノクロ写真の着色というのは、昔の絵はがきとかによくある。何となくやってみた。

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最近見たDVD

タカクラーケン たまたま「パイレーツ・オブ・カリビアン」の第2話と「単騎千里を走る」を見たので。
 両方ともツマランことはない。かといって、感動するほどでもなかった。ただ「単騎千里を走る」は「好きな種類」の映画というか、作り方あったので、そのうち何か書くかも知らない。

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17/07/2007

今日の変態(7月17日)

セミの幼虫 羽化のために地上に出てきてブロック塀を登るセミの幼虫。羽化までは見なかったので何セミか不明。

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16/07/2007

地域的希少種発見

左前 トノサマガエルは関西ではありふれたカエルだが、関東では見られない。
 浴衣の季節、関東でよく見るのに、関西ではめったに見ないのが「バカボン丈」と「左前」だ。それでも「バカボン丈」は以前にたまに見た。一方「左前」をあまり見ないのは、関西に高濃度で棲息している「世話焼きのおばちゃん」がチェックしてるんだろう。
 その希少種を発見。

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15/07/2007

公職選挙法への素朴な疑問

 公職選挙法によると、特定候補の当選をはかるための記事を、例えばblog等に掲載すると違反になるらしい。けれども、特定候補の落選をはかるための記事は、それが他候補の当選をはかるためでなければ、違反とはならないらしい。
 さて、安倍晋三と候補者の仲良さそうなツーショット画像を掲載した場合、どうなるんだろう?
 支持率が3割程度、不支持が5割を越えているわけだから、2人区以上では「当選をはかるため」、1人区では「落選をはかるため」と判断するのだろうか。

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14/07/2007

今日の蟷螂

蟷螂山 今日は組み立ててあるはずの「蟷螂山」だが、台風の影響の雨のため、柵と土台の一部だけ。
 でも台風なら、まだいいのかも。向かいの建物は、この物件もそうなのかはわからないけど、耐震偽装がばれたアパグループのようだが、台風には耐えるだろうし。
蟷螂 こちらは「蟷螂型おみくじマシーン」。
郭巨山 カマ掘り山も、骨組みだけ。金のオカマを掘り出した郭巨のフィギュアが載ってるので「郭巨山」、通称カマ掘り山という。手前の酒樽には「キンシ正宗」と書いてあるが、昔は「金鵄正宗」だったらしい。
アオサギ こちらは函谷鉾。

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13/07/2007

ホテル・ルワンダ

 前エントリーの映画の出来はお粗末だが、その題材となった収容所に関して、思ったことのひとつが「巡礼」ということ。件の捕虜収容所が四国巡礼1番の地にあったこと、そのため、地域の人たちが「よそ者」を遇する文化を持っていたこと、このことが物語の背景にあったんだろうと思った。もちろん、あの映画で、既存のの宗教文化を良く描くことができなかったであろうことは、前のエントリーで書いたような事情だろう。
 もうひとつ、この話の頃には、捕虜へのルールを日本軍も守ったわけであるが、この後、20年もすると捕虜は殺す、というか捕虜にしないように殺すようになり、あげくは「ひゃっく人、斬れるかなぁ」競争が自慢話になってしまうのはなぜだろうということだ。
 その背景は、おそらくは「戦争」の国民化ということだろう。そもそも「戦争」というのは「軍」がするもので、軍に属していない一般人は日和見を決め込み、帰趨がわかった所で落ち武者狩りをするなり、勝者にゴマをするものだった。ところが「近代」というのはそれを許さなくなった。戦争が、軍対軍から国対国、つまりは総動員体制の戦争になるわけである。
 軍と軍が戦争をしていた時代には、武士道はどうだったか知らないが、騎士道というか、プロの戦士であることには独自の帰属意識があったようで、同じ地域の民衆よりも、違う地域でも「戦士」という階層にあることや、戦士としての文化を持つことに、より共感を持つことがあったように思う。プロの職業人にはよくあることだ。
 でも、国と国との戦争になり、普通の人が動員されるようになると、もはやプロの職業意識はなくなってしまう。兵であろうが民間人であろうが「敵国」の人間は敵であり、殺さなければならないし、殺されてしまうという恐怖心を植え付ける必要があるわけだ。
 民間人と軍人が異質な人間であるという文化から、「敵」の集団に属する人間全てが、全て異質な人間ということになってしまうわけである。これが「近代」の、民衆参加による戦争なんだろう。
 ということを考えていて、以前に見て、何か書いておきたいものの、どう書いていいのかまとまらず、放置中の映画の感想を書くことにした。その意味で、前エントリーにあげたDVDを見たのも無駄な時間ではなかったわけである。


ホテル・ルワンダ
 「ホテル・ルワンダ」は、良くできた「集団脱出ドラマ」だった。「ポセイドン・アドベンチャー」や「ジュラシック・パーク」なんかと同じく、危機的な状況から、リーダーに率いられた一団が脱出に成功するという話である。
 その危機的状況というのが、「民族」間の内線なのだが、この話の場合、その「民族」が、植民地支配の都合で、近代に作られた概念なのである。というか、作られたものだということが、話の中で語られる。そして、もともと存在したのかもわからない「民族」の異質さを煽るラジオ放送が、危機を演出しているわけである。
 一方、リーダーはというと、如才のなさでホテルの副支配人になったという感じの普通のおじさんだ。その如才のなさと家族を守るという動機で、なりゆきで脱出のリーダーになってしまうわけである。
 この映画だったか、観終わったあとに 「その後のルワンダはどうなのですか?」と外務省に思わず電話をしてしまったおばさんがいるらしいが、私の場合は、サベナ航空に電話をしたくなった。どこかに行く予定はないが、この航空会社を使わなきゃと思ったわけである。というのもサベナ航空がこのホテルの経営母体であり、脱出劇に少なからず貢献しているからであり、それ以上に、主人公の副支配人の文化的背景としても大きな要素だからだ。つまり「ホテル」という文化だ。
 「ホテル」文化というのは、中世の巡礼者に対し、休息と安全を提供するという多分に宗教的な背景を持った施設が起源となった文化だ。同じ語源を持つ「ホスピタル」とともに、単なるショーバイでない文化的背景を持っているわけである。だから「他の建物が潰れる地震が来ても潰れない」というのがホテルや病院の文化であって、「耐震基準が変わる前の建物が潰れるくらいの地震なら、潰れたってばれないから、その程度にしておけ」というのは、ホテルの文化ではないわけである。
 舞台となったホテルでは、主人公が現地スタッフのトップである。それだけに、表面的な「如才のなさ」よりも、むしろ、ホテルの文化的伝統に大きな帰属意識を持ち、そのことに誇りを持っているんだろう。だからこそ、本社への支援要請の論理として使っているわけであり、本社もそれに応えるわけである。
 ルワンダの内戦の原因というのはよく知らないし、映画でも突っ込んでいない、ただ「近代」に作られた人為的な「異質」さを強調し、相手の「集団」は異質な人間、いや人間じゃないと煽ることで「危機」が作られている。戦争の民衆化という、極めて近代的なあり方の極端な姿に描かれている。
 そして、ありふれたようなおじさんが、彼の個人的な属性、つまり原始時代からの血族という単位や、中世以来の伝統を持つ職業文化への帰属意識、そして、彼個人の才能によって脱出に成功するという話である。
 私は、集団間の異質さを強調する言説は嫌いだ。リアリティを伴う人間関係や専門能力を背景にした職業的モラルという個人のものは尊重したいと思っているためか、このホテル・ルワンダをこういうふうに見てしまうわけである。だから、この映画に描かれた恐怖というのは、「個人」を無視し、ひとつの蓋然性による「集団」として扱うことによって、簡単に起こりうることだと感じるわけである。それが「虐殺」という形にならないまでもだ。
 なお、電話したいと思ったサベナ航空は倒産してしまって今はない。WTCへのカミカゼアタックの影響による航空需要の落ち込みで経営難に陥ったからだ。

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12/07/2007

バルトの楽園

バルトの楽園 「バ○ト」なら好物なんだけど、バルトはどうでもいい、むしろ、原作本が潮出版社で、製作にシナノ企画が入っているとくれば「○ルトの楽園」かもしれないと敬遠していた作品だ。
 ところが、プロデューサーが冨永理生子だ。「千年の恋・ひかる源氏物語」「北京原人うぱー」「デビルマン」の「東映三大コメディ」のプロデューサーだ。そういえば、この映画、やたら金をかけたわりに話題にもならなかったし。それで、ひょっとしたら、おバカ映画になってるかも、違う意味での「○ルトムービー」かもしれないと思って観たのだが。
 徳島の現在の○ルト市が舞台である。その映画で徳島語のネイティブ・スピーカーの板東英二が九州弁を喋ってるという不思議なキャスティングの導入部分では、やっぱりと期待を持たせる。ところがである、全く笑えないまま、ラストの第九の演奏シーンに来てしまう。かといって、感動作でもない。共感もなく、盛り上がりもないまま、ベタなストーリーをこなしているだけという感じ。
 個人的には、会津から下北に来た人たちが、雪景色に呆然とするシーンにちょっと笑った。というのも、下北よりも会津の方が雪が深い印象があるからだ。夏のヤマセでは絵にならないんだろうし、たまたま、私が行った冬がそうだったに過ぎないのかも知れないし、幕末あたりじゃ気候も違ったんだろうと思うことにした。
 でも、エンドロールを見ると会津でロケしているようなのだが、そんなシーンがない。それで後で調べたら、下北のシーンは会津で撮影したそうで、これなんぞは、隠されたギャグを発見した気分になって、さらに笑わせてもらった。
 これは特殊な例で、それまでにメリハリがないので、クライマックスのはずの第9演奏シーンも盛り上がらない。何しろ演奏会のホストのトップのドイツの総督もゲストのトップのマツケン収容所長も演奏途中の会場から立ち去るくらいだし。それで中座したマツケンが鏡を見ると父の顔という、必然性の全くない行動の上のベタな表現は、見ていても恥ずかしい。
 ドイツと会津の光景と被らせるという「砂の器」の劣化コピーのような演奏会が終わると、マツケンと総督が石庭の前に座ってるという不思議なシーンがあって、なぜかカラヤン指揮のだとか、「年末恒例」みたいなのだとか、余計としか思えない第9演奏がついていてエンドロールと、結局、ラストになってハチャメチャになる。
 クライマックスの演奏シーンからそのまま、エンドロールで終わらせたっていいのに、うまい表現法がなくて積み残したシーンを無理矢理納めるために、第9を繰り返しただけという感じ。
 結局、中途半端に破綻してるという感じで、破綻の「向こう側」に突き抜けた「東映3大コメディ」の域には及ばない。○ルト系企業が絡んだといって○ルトムービーにはならないようだ。

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09/07/2007

放流

モリアオガエル 先週に上陸した連中、もはや数を数えるのもいやなくらい。昨年だと1週間くらいの間に徐々に上陸したのに、今年は一斉に上陸したので、放流は2回ですみそう。まだ、水中にいるのは数匹だけ。
 下の写真は、蓋に付いてたのや、撮す前に跳びだしたのもいるので、半数くらい。

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07/07/2007

今日のかえる

蛙飛行事 吉野に行ったのは、昨年も見た「かえる飛び行事」のため。今年も太鼓台に載ったかえるが愛想をふりまく。
蛙飛行事 太鼓台をサポートしているお姉さんたち。
 胸のかえるさんと腹は見せてもヘソが見えないのがケロカワだそうだ。
蛙飛行事 お寺の塀の上から、かえるの太鼓台をケータイで撮そうとしている坊さん。
蛙飛行事 仁王門の前の石段を駆け上がる。昨年は下から見たけど、今年は上から。
仁王さん ちなみに、仁王門の中の人。吽形と阿形。
蛙飛行事 蔵王堂の前での「かえるとび」。
蛙飛行事
蛙飛行事
蛙飛行事
蛙飛行事 かえる色の草餅。1個だと120円。もちろん、この大きさじゃなくて、ちぎってアンコが入る。カエル形にすりゃいいのに。

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北朝から南朝へ

 今日は北朝から南朝に行ってみた。
 近鉄特急で行くわけだが、木津川を渡って「アルプラザ」が見えるあたりから、けっこう、土の畦の田圃や林が多いし、鴨や鷺も見かける。けっこうカエルもいそうだ。その餌も。
 特急は直通でなく、途中で乗り換え。というのも途中から狭軌、つまりナローゲージになる。青森に行くのに八戸で乗り換えるようなものだ。近鉄の場合、けっこうナローの路線もあるのだ
SL 橿原神宮で乗り換えた特急は「SL」というそうな。ケムリを出すわけではなく「さくらライナー」の意味らしい。
壷阪山 辿り行く、
 伝え聞く壺坂の観世音は人皇五十代、桓武天皇奈良の都にまします時、御眼病甚しくこの壺坂の尊像へ、時の方丈道喜上人一百七日の御祈祷にて、たちまち平癒をあらせられ今に至つて西国の、六番の札所とはみな人々の知るところ、げにありがたき霊地なり。
 でも、お里・沢市の墓って。
大和下市 春は来ねども花咲かす、娘が漬けた鮓ならば、なれがよかろと買ひにくる。風味も吉野、下市の駅の案内。
 いがみの権太の墓って。
 神武天皇陵があるくらいだから、何でもありなんだろう。
 それにしても、特急なのに、この線はやたらに細かく停まる。と思ってたら、車内放送でも「むだに停まります」と言ってる。
吉野山 今は吉野と人伝の、噂を道のしほりにて、大和路さして慕ひ行く。見渡せば、四方の紫陽花と、吉野駅からの山道は紫陽花の盛り。
ほら貝 ほら貝を売っている。
吉野朝宮跡 かつての南朝の皇居、吉野朝宮跡は公衆便所になっていた。

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一歳児と0歳児

モリアオガエル 昨日に上陸した連中は、今日はこういう状況。尻尾が短くなるにつれて、お腹がふっくらしてくる。本体の体長は1.5cmくらい。
モリアオガエル 昨年に上陸した一歳児。2番目にでかいのが4.5cm。でも最小のは2.5cmくらい。

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今年も上陸

モリアオガエル 1ヶ月ほど前に拾って来た連中だが、昨日の朝に手が出ているのがいた。それで「カエルキューブ」の中に、水を入れた容器を置き、移し替えたら、昨日の夕方には上陸を始めている。
 今日はこれから、等身大のアオガエルを見に行くので、明日にでも放流予定。

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05/07/2007

今日の野良鳥(7月4日)

まがも いつもの野良鳥よりも、市街地寄りにいたカモ。市街地寄りといっても、かつての市域の境界の川沿い。
 でも、柄からいえばマガモだけど、この季節にいるものなんだろうか。マルガモ?

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野良お玉

おたま このところ、近所で見かけた野良おたま。
 上は殿様。中はアマ。下は牛。後ろ脚が生えてきている。

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01/07/2007

新玉から約1ヶ月

モリアオガエル 先月の拾いものの卵塊から出てきたオタマに足が生えてきている。
 色が黒くて撮しにくい。前足が出る頃には、タママ色からクルル色になって、上陸してから数日でケロロ色になるので、形とかも分かりやすいのだが。

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弘南計画(Nゲージ)

064 「鉄道コレクション」の加工で弘南鉄道のバリエーションを作ることにした。西武を弘南にするにしても、製品にある弘南鉄道と色を合わせるのも難しそうだし、色ももひとつなので、弘南バージョンも再塗装することにした。そのついでに小加工。
 弘南の制御車は正面貫通扉を埋めて、貫通扉下部がのっぺりしたものに。
 西武の制御車は通風機交換のため、屋根を加工。
 富士急の制御車も弘南化。片方の正面に中桟があり、貫通幌の台のあるものに。
 西武の電動車は雨樋の位置を変えて、通風機も交換することに。
 弘南の電動車は、半室運転台のタイプにするため、窓を一カ所、加工。
066 プラスティック部分の加工をまず済ます。金属パーツ取り付け用の穴空けとかも残っているのだが、そちらは接着乾燥待ちをしなくていい。
 ほとんど変わっていないのだけど、車長を少し縮めている。手間のわりに効果の薄い加工だが、どうせ梅雨時で塗装とかできずに放置するくらいなら、その間に、ということでやってみた。

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