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13/07/2007

ホテル・ルワンダ

 前エントリーの映画の出来はお粗末だが、その題材となった収容所に関して、思ったことのひとつが「巡礼」ということ。件の捕虜収容所が四国巡礼1番の地にあったこと、そのため、地域の人たちが「よそ者」を遇する文化を持っていたこと、このことが物語の背景にあったんだろうと思った。もちろん、あの映画で、既存のの宗教文化を良く描くことができなかったであろうことは、前のエントリーで書いたような事情だろう。
 もうひとつ、この話の頃には、捕虜へのルールを日本軍も守ったわけであるが、この後、20年もすると捕虜は殺す、というか捕虜にしないように殺すようになり、あげくは「ひゃっく人、斬れるかなぁ」競争が自慢話になってしまうのはなぜだろうということだ。
 その背景は、おそらくは「戦争」の国民化ということだろう。そもそも「戦争」というのは「軍」がするもので、軍に属していない一般人は日和見を決め込み、帰趨がわかった所で落ち武者狩りをするなり、勝者にゴマをするものだった。ところが「近代」というのはそれを許さなくなった。戦争が、軍対軍から国対国、つまりは総動員体制の戦争になるわけである。
 軍と軍が戦争をしていた時代には、武士道はどうだったか知らないが、騎士道というか、プロの戦士であることには独自の帰属意識があったようで、同じ地域の民衆よりも、違う地域でも「戦士」という階層にあることや、戦士としての文化を持つことに、より共感を持つことがあったように思う。プロの職業人にはよくあることだ。
 でも、国と国との戦争になり、普通の人が動員されるようになると、もはやプロの職業意識はなくなってしまう。兵であろうが民間人であろうが「敵国」の人間は敵であり、殺さなければならないし、殺されてしまうという恐怖心を植え付ける必要があるわけだ。
 民間人と軍人が異質な人間であるという文化から、「敵」の集団に属する人間全てが、全て異質な人間ということになってしまうわけである。これが「近代」の、民衆参加による戦争なんだろう。
 ということを考えていて、以前に見て、何か書いておきたいものの、どう書いていいのかまとまらず、放置中の映画の感想を書くことにした。その意味で、前エントリーにあげたDVDを見たのも無駄な時間ではなかったわけである。


ホテル・ルワンダ
 「ホテル・ルワンダ」は、良くできた「集団脱出ドラマ」だった。「ポセイドン・アドベンチャー」や「ジュラシック・パーク」なんかと同じく、危機的な状況から、リーダーに率いられた一団が脱出に成功するという話である。
 その危機的状況というのが、「民族」間の内線なのだが、この話の場合、その「民族」が、植民地支配の都合で、近代に作られた概念なのである。というか、作られたものだということが、話の中で語られる。そして、もともと存在したのかもわからない「民族」の異質さを煽るラジオ放送が、危機を演出しているわけである。
 一方、リーダーはというと、如才のなさでホテルの副支配人になったという感じの普通のおじさんだ。その如才のなさと家族を守るという動機で、なりゆきで脱出のリーダーになってしまうわけである。
 この映画だったか、観終わったあとに 「その後のルワンダはどうなのですか?」と外務省に思わず電話をしてしまったおばさんがいるらしいが、私の場合は、サベナ航空に電話をしたくなった。どこかに行く予定はないが、この航空会社を使わなきゃと思ったわけである。というのもサベナ航空がこのホテルの経営母体であり、脱出劇に少なからず貢献しているからであり、それ以上に、主人公の副支配人の文化的背景としても大きな要素だからだ。つまり「ホテル」という文化だ。
 「ホテル」文化というのは、中世の巡礼者に対し、休息と安全を提供するという多分に宗教的な背景を持った施設が起源となった文化だ。同じ語源を持つ「ホスピタル」とともに、単なるショーバイでない文化的背景を持っているわけである。だから「他の建物が潰れる地震が来ても潰れない」というのがホテルや病院の文化であって、「耐震基準が変わる前の建物が潰れるくらいの地震なら、潰れたってばれないから、その程度にしておけ」というのは、ホテルの文化ではないわけである。
 舞台となったホテルでは、主人公が現地スタッフのトップである。それだけに、表面的な「如才のなさ」よりも、むしろ、ホテルの文化的伝統に大きな帰属意識を持ち、そのことに誇りを持っているんだろう。だからこそ、本社への支援要請の論理として使っているわけであり、本社もそれに応えるわけである。
 ルワンダの内戦の原因というのはよく知らないし、映画でも突っ込んでいない、ただ「近代」に作られた人為的な「異質」さを強調し、相手の「集団」は異質な人間、いや人間じゃないと煽ることで「危機」が作られている。戦争の民衆化という、極めて近代的なあり方の極端な姿に描かれている。
 そして、ありふれたようなおじさんが、彼の個人的な属性、つまり原始時代からの血族という単位や、中世以来の伝統を持つ職業文化への帰属意識、そして、彼個人の才能によって脱出に成功するという話である。
 私は、集団間の異質さを強調する言説は嫌いだ。リアリティを伴う人間関係や専門能力を背景にした職業的モラルという個人のものは尊重したいと思っているためか、このホテル・ルワンダをこういうふうに見てしまうわけである。だから、この映画に描かれた恐怖というのは、「個人」を無視し、ひとつの蓋然性による「集団」として扱うことによって、簡単に起こりうることだと感じるわけである。それが「虐殺」という形にならないまでもだ。
 なお、電話したいと思ったサベナ航空は倒産してしまって今はない。WTCへのカミカゼアタックの影響による航空需要の落ち込みで経営難に陥ったからだ。

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Commentaires

戦場で死ぬことは戦士の職務じゃありませんから、勝てないと分かった時点で戦闘を止めるのがプロなんです。アマテュアにはその発想ができない。悲劇ですねえ。

Rédigé par: 非国民 | le 15/07/2007 à 04:32

 というか、どう見ても勝てないとわかる戦争をすること自体が、シロートなんでしょうね。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 15/07/2007 à 20:22

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Voici les sites qui parlent de ホテル・ルワンダ:

» 『ホテル・ルワンダ』 [非国民研究開発]
映画『ホテル・ルワンダ』を観てきました。 [Lire la suite]

Notifié le le 15/07/2007 à 04:35

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