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12/07/2007

バルトの楽園

バルトの楽園 「バ○ト」なら好物なんだけど、バルトはどうでもいい、むしろ、原作本が潮出版社で、製作にシナノ企画が入っているとくれば「○ルトの楽園」かもしれないと敬遠していた作品だ。
 ところが、プロデューサーが冨永理生子だ。「千年の恋・ひかる源氏物語」「北京原人うぱー」「デビルマン」の「東映三大コメディ」のプロデューサーだ。そういえば、この映画、やたら金をかけたわりに話題にもならなかったし。それで、ひょっとしたら、おバカ映画になってるかも、違う意味での「○ルトムービー」かもしれないと思って観たのだが。
 徳島の現在の○ルト市が舞台である。その映画で徳島語のネイティブ・スピーカーの板東英二が九州弁を喋ってるという不思議なキャスティングの導入部分では、やっぱりと期待を持たせる。ところがである、全く笑えないまま、ラストの第九の演奏シーンに来てしまう。かといって、感動作でもない。共感もなく、盛り上がりもないまま、ベタなストーリーをこなしているだけという感じ。
 個人的には、会津から下北に来た人たちが、雪景色に呆然とするシーンにちょっと笑った。というのも、下北よりも会津の方が雪が深い印象があるからだ。夏のヤマセでは絵にならないんだろうし、たまたま、私が行った冬がそうだったに過ぎないのかも知れないし、幕末あたりじゃ気候も違ったんだろうと思うことにした。
 でも、エンドロールを見ると会津でロケしているようなのだが、そんなシーンがない。それで後で調べたら、下北のシーンは会津で撮影したそうで、これなんぞは、隠されたギャグを発見した気分になって、さらに笑わせてもらった。
 これは特殊な例で、それまでにメリハリがないので、クライマックスのはずの第9演奏シーンも盛り上がらない。何しろ演奏会のホストのトップのドイツの総督もゲストのトップのマツケン収容所長も演奏途中の会場から立ち去るくらいだし。それで中座したマツケンが鏡を見ると父の顔という、必然性の全くない行動の上のベタな表現は、見ていても恥ずかしい。
 ドイツと会津の光景と被らせるという「砂の器」の劣化コピーのような演奏会が終わると、マツケンと総督が石庭の前に座ってるという不思議なシーンがあって、なぜかカラヤン指揮のだとか、「年末恒例」みたいなのだとか、余計としか思えない第9演奏がついていてエンドロールと、結局、ラストになってハチャメチャになる。
 クライマックスの演奏シーンからそのまま、エンドロールで終わらせたっていいのに、うまい表現法がなくて積み残したシーンを無理矢理納めるために、第9を繰り返しただけという感じ。
 結局、中途半端に破綻してるという感じで、破綻の「向こう側」に突き抜けた「東映3大コメディ」の域には及ばない。○ルト系企業が絡んだといって○ルトムービーにはならないようだ。

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