或阿呆の一年
何か、安倍さんを誉めるというのが流行ってるみたいなので、安倍晋三について書くのも今宵限りだろうし、総括的に誉めてみる。
安倍晋三が辞めて、というか辞めることになり、それも政治生命に致命的な辞め方をして、何となく安堵感を感じる。この安堵感というのは「政治的」な立場からのものではなく、虚構が崩壊したという安堵感だ。安倍晋三の政治理念や政策、「戦後レジュームからの脱却」とか「美しい国」が嫌だとか反対ということではなく、そもそも、そんなのに実態があったかも疑わしいという安倍政権という「まやかし」が払拭されるという安堵感かと思う。
私は、安倍晋三が首相になるとは思っていなかった。石原慎太郎と同様、国政レベルでは「ピエロ」で終わると思っていた。それを確信したのは、例の郵政選挙の時だった。
この、成蹊大を卒業し、南カリフォオルニア大に8ヶ月通って専門の単位を取得できず、父親の秘書になったものの閣僚経験のない人がへらへら笑って握手しているのは、東大を卒業し、大蔵省から、実践訓練で知られるフランス行政学院に留学し、予算案編成という国政の「現場」で働いていた人だ。エリート官僚というのは、競争社会の勝者といえる。だから、勝者には敬意を払う。それは学歴社会の勝者だけではなく、逆に高等教育の機会に恵まれなかったのにのし上がった人、研究者など専門性でトップレベルの人や芸術家など未知の分野の人もである。その逆の人をどう思っているかはわからない。
そして、この片山さつきによって落選さされた方の城内実というのは、数少ない安倍晋三の弟分だったという。この選挙区の状況を見れば、霞ヶ関や永田町で、安倍晋三を利用することは考えても、「リーダー」として認めようとする人などいないだろうと確信した。
小泉氏も酷い仕打ちをすると思ったのだが、そもそも安倍晋三が世間に知られるようになったのは、小泉氏が幹事長に抜擢したからだ。「自民党をぶっ潰す」と広言した小泉氏が、ぶっ潰そうとする党の運営に抜擢したわけである。そして、実際に、安倍幹事長は選挙に弱く、武部幹事長になっての郵政選挙の時には、自民党は組織選挙ではなく、浮動票頼みとなっていたわけで、「自民党をぶっ潰す」に幹事長として貢献し、抜擢に応えたことは評価していいと思う。
でも、シロートの予想もイイカゲンなもんで、案に相違し、その安倍晋三が首相になった。なぜか当時は人気があったからだ。なっても、当然に「看板」以外の意味はないと思った。
中川(薬)が、閣僚は首相に敬意を払ってあげようなんてことを言ったことがあった。看板に祭り上げたのだから、相応の扱いをしてやれということなんだろうけど、閣僚が、内心では安倍を馬鹿にしていることがよくわかる発言だった。
小泉氏も安倍も記者会見等を見ていると「会話が成立しない」という印象を受けることがある。小泉氏は質問の意味がわかっているから答えをはぐらかすという場面だった。靖国に関しても「内心の自由」と「戦死者の追悼」までしか言わない。憲法問題や対米関係にまで差し障るレベルには答えない。
安倍の場合は、問いにではなく、テーマに対して、用意した回答しか答えないという感じだ。例えて言うなら、「晩ご飯はいつ食べますか」「晩ご飯のメニューは何ですか」「晩ご飯はどこで食べますか」にすべて、「晩ご飯は、しっかり食べたいと思います」という答えしか返ってこない。そこで「適切な時刻に」「適切なものを」「適切な場所で」と「質問の形」に対応したアレンジではぐらかすことさえ出来ないという感じだった。その最たるものが、「一文字で言えば、責任」だ。自分で判断して返答することを許されていないんだろうと思った。けれども、自分で決められることもあったようにも思えるし、どの程度、安倍晋三に権限が認められていたのか、それがわからないのも気持ち悪かった。
ちなみに、来週までは安倍晋三は内閣総理大臣らしい、入院してるけど、臨時代行は置かないらしい。いてもいなくても一緒という体制が整えられていたことがよくわかる。
支持基盤と能力がないわけだから、当然、使い捨てだろう、だから小泉政権の後始末ややり残しの「汚れ仕事」をさせるんだとは思った。現に、就任早々、中国のメンツを立てに行った。中国は「安倍首相は智者」と、何とも微妙な褒め方をしたことを記憶している。
次には、人気のあるうちに、小泉政権というか小渕時代からの宿題の財政に手をつけて、結果的に人気を失って捨てられるんだろう、そのために谷垣氏を政権から外して温存してるのと思っていた。けれども、やはり、安倍晋三には荷が重いということか、以前からわかってはいた社保庁の問題を表面化させるタイミングに使われたようだ。
以前、知人と話していて「こんなのが首相でもやっていける国というのもすごい」という話になり、言ったのが「お猿の電車は、お猿が運転していいるんじゃない」ということだった。じゃあ、誰が、どんな勢力が運転してるのか、それが分からないという気持ち悪さがある。当然に小泉政権の延長上ではあるんだろうし、猿の調教は、徹底的に優位性を示すことから始まるらしいから、小泉氏の仕打ちも調教だったのかも知れない。
先日「一条大蔵卿」という芝居を見た。阿呆のフリをして陰謀を企むという話だ、阿呆相手だと油断する。安倍は阿呆のフリをしているわけではなく真性だろう。でも、私の考える程度のことを考える人はいくらでもいるわけだし、私が考えもつかないようなことを考えられる人も、政権内部にいくらでもいるに違いない。だから、政権としては、阿呆を看板にして、何か企んでいるんじゃないだろうか。何か騙されてるんじゃないだろうか。そういう感覚がつきまとうのが安倍政権だった。
だから、安倍政権にまだ支持率があった頃、次々に強行採決を行った「実績」も、もちろんタテマエ通りには受け取れないし、それを安倍晋三の「危険性」から批判することも過大評価しているようで、額面通りに受け取りにくい。首相を演じた「ご褒美」だったのだろうか。いったい、どういう意味があったのだろうか。
先日、安倍晋三ファンだという居酒屋のおばちゃんに、どこがいいのか聞いた。優しそう、嘘がつけなさそう、だった。確かに、安倍晋三自身が嘘をついたということではなく、むしろ逆に、周囲がついていたんだろう。内心で馬鹿にしている人間を担ぐということで、政権のみではなく、ジャーナリズムを含めた「政治」そのものが、安倍をネタに嘘をついていたという思いが強い。。
さて、先に例に出した「お猿の電車」は今はない。虐待にあたるということで廃止された。虐待する相手からは逃げると思うのだが、猿は飼育係になついているじゃないかと思ったが、やはり、広義の強制による芸はストレスになって、身体機能を損なうのだろう。
さて、このエントリーの趣旨である「褒める」であるが、やはり、能力にない役を、身体を壊すまで、演じ続けたのは立派だろう。それと「素直」だと思う。ポーカーフェースが出来ない。就任当初の視線が定まらずに宙に浮いたような視線から、ある時、ひたすらカメラ目線になった。たぶん、ダメを出されて変えたんだろう。とても分かりやすくて「素直」だと思った。
この上は、余生を大好きだというマンガとゲーム三昧で過ごしてほしい。本当かどうか知らないが、マンガの読書量は麻生氏を上回り、ゲームは晋太郎氏が入院した病院でもやっていたとか。何より、マンガとゲームなら、日本は世界をリードする大国らしいし。
Commentaires
Abe! not monkey!
Rédigé par: General Thade | 27/09/2007 08:05