ムチとツリ
このblogでも、「事実と違う、理屈が一貫してない」という記述がけっこうある。その理由は、大きく分類すると次の3つだ。
1.一種の表現手法。ストレートに書くと問題あるので、逆の表現を使う場合、例えば「伝統と品格を重視する大相撲」での「かわいがり」のような場合、あるいは、読む人に「?」と思わせて、実はこういうことだと書いて、印象づけたりするような場合だ。
2.騙そうとしている。これは例示するわけにはいかない。
3.無知。よくわからないのに書くから、いいかげんな記述になる。自分がやっていても、というかやってるだけに、ヨソ様のこともとやかく書いたりするけど。
このblogに限らず、ウソというかイイカゲンな記述というのは、おおむね、この3つの理由のどれかだろう。ところが、1の場合だとわかりやすくしてあるけれども、2か3の場合、どの理由かが明らかにするということは少ない。
そのために、2だろうか3だろうかと思うことがよくある。例えば、いわゆる従軍慰安婦が「その多くが佐官どころか将軍よりも遥かに高い収入を得ていた」などという記述は、あのワシントンポストに出したという「FACT(主催者発表タイトル)」という広告にも出ている。普通はおかしいと思うわけで、少し調べれば、額面通り支払われたわけでもなければ、円の価値に大きな地域差があったことなど簡単にわかる。それがわかっていて騙そうとしたのか、そもそも書いた連中がそこまで無知なのか、どちらなんだろうか。
最近だと、こちらのblogで紹介されているけれど、あの古森義久が小説を根拠に、性奴隷問題について書いているとかで、知っててやってるのか、そう思いこんでるのか、判断に迷うとコメント欄で指摘されている。
ところで、アルファ・ブロガーという人の中には、どう見ても3だというケースでも、それを指摘されたりすると、実は1でした。という技を使う人がいるらしい。アルファ・クリッパーもやるそうだが。
「無知」ではなく「釣り」でした。というわけで、初心者でも可能な「ムチ」よりも、縛りをマスターしないといけないし天井補強も必要な「ツリ」の方が高等テクニックというのとは無関係だけど、やっぱり「無知」より「釣り」が何かエラそうだ。
そういえば、かのネットから姿を消したことになっている「理系保守」先生も、当初は3だと誤解されたけれども、いくら何でもこんな馬鹿はいない、ということで1だろうと認められ、先生といわれるようになったわけである。
そう考えてみると、騙そうとしているのか、馬鹿なのか、2か3かよくわからない人たちも、ひょっとしたら1なのかも知れない。
日米関係の強化のために性奴隷決議を推進するための「釣り」でした。時間がなくなったり受験対策で学校でまともに扱われない近・現代史に若い人のが興味を持ってもらえるための「釣り」でした。ひょっとしたらこういうことかも知れない。偽史ではなく「馬鹿」を演じた義士かも知れない。もし、そうだとしても、彼らの秘められた目的に協力するには、やはり「釣られ」ないといけないのだろう。
ただし、伊勢崎のドンキホーテは、やっぱり3だと思う。
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