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31/05/2008

シロマダラのしんじつ

シロマダラ アヤシゲな写真であるが、これは中学生の頃に京都市左京区で捕獲したもの。お恥ずかしい限りですが名前がわからずにお持ち帰りして調べたら「シロマダラ、Dinodon orientale」だとわかった。なお、当時はレッドデータブックとかなかった。お亡くなりになってホルマリンに漬けたものの、その後、長年にわたって放置していたので、保存状態が極めて悪い。
 ところで、先月のことだが、京都のローカル新聞に「生きたシロマダラ捕獲、民家の庭で発見 府内初」というニュースが出ている。この発見した人が「これまでにも見たことがあった」と言っている。じゃあ、なぜ「これまでに見た」時に捕獲もせず、ニュースにもならなかったのか、というと「報告」しなかったからだ。
 つまり、然るべき学術団体に「報告」しない限り、「誰も見なかった」ということになっているわけである。今回、発見者が「報告」したのは、この前日か前々日かに、ネット上では発見できなかったけれども「府内初のシロマダラの死体発見」という記事が新聞に載ったからだ。
 ちなみにシロマダラの死体なら、知人も数年前に京都市北区で拾って標本にしているが、それも「報告」しなかったので、なかったことになっている。
 夜行性で藪の中や落ち葉の下に隠れているので、見つけにくいのは確かだが。捕獲した機会以降にも、京都府内で結構見かけている。なので、他にも見た人は多いはずだが「シロマダラ」だとわからなかったり、わかっても「いても当然で、不思議でも何でもない」ので「報告」しなかっただけのことなのだ。
 ちなみに、情報を公開しただけでは「報告」にならないらしい。市民新聞とかに載った例でも「報告」がなかったら、なかったことになっている。
 「記録がない」のは、「事実がなかった」からではなく、むしろ「誰もがあって当然と思っていた」場合というケースもある。という例だ。

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ヨコハマメリー

 歌舞伎のヒーロー、江戸では花川戸の助六、上方では大星由良の助らしい。助六はカッコイイ。一方、由良の助は目的のためにカッコワルク振る舞った。
ヨコハマメリー で、歌舞伎とは関係ない映画の話である。とあるトコロで、ドキュメンタリー映画は素材にチカラがあれば、加工度を抑えた方がいいんじゃないか、という話の例に出したのが、この「ヨコハマメリー」だった。
 このヨコハマメリー、つまりはスジを通すというか、プリンシプルというか、プライドを持って生きている人たちのドキュメントだった。プライドというと、そういうタイトルの映画もあったが、そちらは「現実」によって虚飾が剥がされながらも、まだ体面を取り繕う老人の滑稽さを描いた「笑える」映画であった。この「ヨコハマメリー」というのは「体面を取り繕う」プライドではなく「自身の原則を通す」というプライドの話。
 この「ヨコハマメリー」さん、一種異様な外面であっても、それは彼女の原則を貫いていたからであり、「施し」を拒否し続けてきた人だ。話の進行役の歌手さんも、彼自身の原則に従っている。そういうエライ人じゃないけど、むしろ「世間」とやらいうものには蔑視されているんだろうけど、自身の原則に恥じることのない人の話だ。
 チョイ役で大野慶人さんが出ていたが、今でこそ「横浜市の近年で最も偉大なアーティスト」の息子さんなのだが、その父も活動を始めた当初には異様にしか見られなかっただろう。そして、メリーさんに感動し、舞台化した女優が出てきたけれど、タレントではなく、女優としての原則を通そうとしてるのかと思う。
 こういったピュアなプライドを持った人たちには、素直に感動してしまう。でも、なかなか、自分が実践できるかというと、そうはいかないもんなのよ。それで、素直に自分のダメさに反省せずに、もっと醜いのを探して憎んでしまうのがせいいっぱい。例えば、ひたすら体面を取り繕ってるような人、どこの都道府県か言わないけれど、まさに弱い犬ほどよく吠えるを実践しているような都知事の類だ。自分が半端なバカだからとわかっていても、卒業しようとするよりも、もっとバカを憎んで満足するようなものだ。
 せめて、こういう映画で、ピュアなプライドに感動できたことだけでも喜びたい。

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獅子唐で越後獅子を思い出す

 Fully care,car was to become Ms.note.無意味というか意味不明なフレーズだ。「充分な注意の元、車はノートと渾名される女性になるべきだった。」とでも訳せばいいんだろうか。
 ところが、日本人の中には、このナンセンスなフレーズを聞いて、静寂を感じ、自然を感じ、おかしみを感じる人さえいる。
 言語そのものは単なる記号や空気の振動で、その言語と概念が結びつくから、思考やコミュニケーションのツールになるわけである。そして、コミュニケーションのツールとなるには、その相互間で、言語と概念が同じように対応している必要がある。
 ところが、意味不明なフレーズを聞いて静寂を感じる人もいるわけである。「三尊の弥陀は?」」を「三百にまけぇ」に、「あかんべえ」を「目の下にあり」と解釈するようなことは、言葉を使ったって起こるのである。
 そういや、先日、旅芸人の公演を「越後獅子みたいなもんなんですよ」と評した文に、「長唄や地歌のならいいんですが、美空ひばりのですからねぇ。」という趣旨のコメントをした。後で気付いたのだが、このコメントって、長唄や地歌よりも、美空ひばりが劣ったものだという意味に取れる。
 このコメントを交わしている両人は、熱心なファンではないが、歌舞伎の主要演目くらいは見ている。だから、長唄の「越後獅子」の内容が「旅芸人が郷里や残してきた妻を懐かしんでいる」ということは当然知っている。一方、美空ひばりの方の「越後獅子」の内容は「子供が無理矢理に芸をさせられて泣いている」わけで、一般的には「角兵衛獅子」の方が通りがいい。
 なので、旅芸人の公演に「越後獅子」としか書いてないので、一瞬「?」と思い、それで、子供の健気な芸しか見るべきものがない公演という意味かと思いあたり、「大人の旅芸人ならいいけど、子供の芸で売ってるからねぇ」と同意しているわけである。けれども、長唄や地歌の「越後獅子」と美空ひばりの「越後獅子」の内容の違いを知らなければ誤読をする方が自然だろう。わざわざ「塊」を「魁」に勝手に変えるなどの手間をかけなくてもいい。
 さて、このような誤読をして、「オマエラは文化の相対化をしているようなことを、以前に言ってたけど、ちゃうやんけー」と文句を言った美空ひばりファンがいたとする。問題は誤読をした方にあるんだろうか、誤読をされても仕方がないような書き方をした方にあるんだろうか。

 2・3年前だけど、その頃に急に増えたblogの言説を見ていて、このblogで、考察というか愚痴みたいなことを書いていたのだけど、最近、当時と同じようなことをよそのコメント欄で書いたりで、そこらがロード・オブ・ザ・ループというかテンプラ既視団なんだが。
 その以前に書いていた際に、ネットというのは古池じゃなくて「大海でもあって、井戸でもある」みたいなことを書いていた。誰でも見られる「大海」であると同時に、かなり特殊な場も作れる。周囲から一笑に付されるような陰謀論や珍説だって、「一笑に付す」周囲を飛び越えて、支持者どうしで結びつくことが出来るわけで、結果、勝手に一般化しちゃって「皆さん、そう思ってる」なんて思いこみが作られたりする。
 そこまでいかなくても、語彙、さらには論理や美意識や嗜好なども共有している間でコミュニケーションをとっていた方が効率的だ。近代史について考察を行う、情報を共有しようとしているトコロに、異論は歓迎できても、マンガと匿名掲示板の情報だけでわかったつもりになってるようなのに来られても邪魔なだけだ。そんなわけで「大海」であっても「参入障壁」を作って、ある程度に井戸化した方が、合目的なのである。
 「むつかしいことをむつかしく言うのは誰でも出来る。むつかしいことをわかりやすく言うのがアタマのいい人」なんて言葉があるが、たいていのことは、やさしく言うにも限度がある。「シュレディンガーの猫を安倍晋三にわかるように説明する」なんて不可能だ。
 ともかくも、かつても書いたが、世の中には、微バカ、軽バカ、弱バカ 、中バッカ、強バカ、烈バカ、激バカ、ミジンコバカにネバーエンディングバカと、世に様々なバカがいるわけで、このblogだって、自分より軽度のバカに見られても恥ずかしいし、はるか上空の自覚症状もない程のバカにわかるように書くのも無理だ。なのでアクセスが増えても嬉しくないし、むしろ場末感がいいし、自ずと「読む上での前提」が作られており、参入障壁となっている。
 参入障壁があるのに気付かずにぶつかる。こういう誤読はありがちだ。この文だって、辞書に載ってない、辞書と語彙が違う単語がいっぱいだし、その意味がわかる人向けに書いている。誤読して文句を言って来たら、大海にもいるわけだから、誤読だという説明はする。でも反省はしないし、誤読する人は読者として想定していませんとしか言いようがない。所詮、井の中だもの。みつお。
 ショミンの立場だの、世間だの、広く訴えるなんてトコや、ランキングに参加したりでアクセスを増やしたいなら、つまり、大海にいるつもりなら、誤読されないように書くべきだろうけど。

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30/05/2008

今日の野良鳥(5月30日)

カワセミ カワセミ、Alcedo atthis。2羽で川面を飛んでいたが、1羽のみ、見える所に留まった。

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27/05/2008

今日の野良鳥(5月27日)

メジロ メジロ、Zosterops japonicus。川沿いの桜の木。
イカルチドリ イカルチドリ、Charadrius placidus。今日は、昨日より200mほど上流にいた。
イソシギ 今日も2羽いると思ったら、一方は、イソシギ、Actitis hypoleucos
キアシシギ
キアシシギ キアシシギ、Tringa brevipes。先日より1kmほど渡航先のシベリアに近づいている。
キアシシギ・イカルチドリ キアシシギとイカルチドリ。尾翼の短い分だけイカルチドリが小さい。
キアシシギ・イソシギ キアシシギとイソシギ。イソシギがひとまわり小さい。
カワラヒワ カワラヒワ、Carduelis sinica
イソヒヨドリ イソヒヨドリ、Monticola solitarius
ツバメ ツバメ、Hirundo rustica。一昨日の巣だが、まだ巣立ってなかった。
ツバメ お食事中。

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26/05/2008

今日の野良鳥(5月26日)

イカルチドリ
イカルチドリ イカルチドリ、Charadrius placidus。しばらく見なかったのは、他所で子育てしていたからか。
ムクドリ ムクドリ、Sturnus cineraceus。すぐ傍で水浴中。

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今日の薔薇属

黄色のバラ
紅いバラ
紫のバラ

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アートとバイト先の先輩

 以前に日本舞踊の公演のことを書いた。金取って見せる会と金払って出る会じゃ、そもそも違うということ。
 ところが、現代舞踊とか現代演劇というのは、この間がシームレス。おまけに公演の採算性とか動員と影響力というのは全く別物。おまけに団体でやるもんだから、同じ公演に、全く別の考えで参加している人もいるわけである。
 例えば、ある舞踊公演。この群舞はトップレスで踊ることにしようという話になる。もちろんブトーなんかじゃ、すっぽんぽんに▼なんてアタリマエだし、少なくとも現代舞踊じゃよくあることだ。そうしたところ嫌だというメンバーが出てきたとする。別に路上でトップレスになれと言ってるわけじゃない。舞踊の会であるから普通のことだし、この振り付けじゃそれが当然だ。何で嫌なの、と「現代舞踊」の枠組みで考えていると理解できない。一方、嫌な人は、嫌なものは嫌なのだ。「現代舞踊」の枠組みで考えることは出来ないのだ。
 もちろん、観客としても、自身が振り付けると考えても、トップレスが正しいことはわかる。でも、そこまで真剣に舞踊をやってるわけじゃないのだ。最初は、お友達と「今度の公演に出るから来てね。」「わー、すっごいキレイだったよ」というのが楽しいから始めたし、所詮、世界ツアーをしたり、公的助成を受けるだけのカンパニーでもないだろ、なんて気もある。もちろん、今では、世に問う意識もあるが、見に来るのは舞踊のことがわかってる人だけじゃない。舞踊のこともわかんないバイト先の先輩にきっと「乳出して踊ってたね」って言われるだろう。さらには、知らないトコロで「着やせするんだねぇ。けっこう立派だったなぁ」なんて言う人だっている。ただ、それが嫌なのだ。
 現代演劇だと、地方の100人も入らないホールで3公演くらいのカンパニーが、何の拍子か、日本のあるシーンを代表する劇団になっちゃうことだってある。でも、そうならない劇団の主宰者が、世界の演劇シーンに対しての姿勢なんてことを言い出したり、そこまで行かなくても、地域文化を支えるのは我々草の根文化活動で何ちゃらと言い出すのは、「道楽でやってるんだろ、ウチワしか見に来ないのに」と思い、ある意味、滑稽でもある。
 かと言って、少なくとも「世に問う」意味で公演しているわけで、宴会芸じゃないんだから、演劇シーンに何の意味もないような舞台を見せられり、「友好劇団」との馴れ合い合評会なんてのは醜いと思うし、ちょとオカシイと思うわけである。世に問う意識を持った主宰者としても「あの人が、綺麗な衣装着て注目されるのに、何で私がゾンビ役なん?」などと出演者が文句言っちゃ困るのだ。困っても、そういう意識で参加して来たんだから、どうしようもない。
 そして、そのどちらでもない、ごく普通の中堅カンパニーに、乳を出すのはアートの論理では正しいが、観客がそうじゃないから、やはり出したくないと苦悩し、やっぱり出せないとするメンバーがいるわけである。
 アートにはアートの論理があるわけである。それが正しいかどうかということは、アートへの距離感に対しては無力なのである。もちろん、無力であるから無価値ってわけではない。
 ともかくも、トップレスで踊るのを嫌がったメンバーがカンパニーを辞めても、舞踊の理解者であり、よき観客であり続けてほしい。

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25/05/2008

今日の野良鳥(5月25日)

ツバメ ツバメ、Hirundo rustica。先日来、撮ってたツバメの巣は空っぽ。巣立ったみたい。これは近くの別の巣だけど、こちらも巣立ち間近のようだ。
ツバメ 近くに留まったツバメだが、親にしては餌をやらない。先に巣立った兄弟姉妹にしては尾翼の伸び方に差がありすぎ。

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ししとうでけっこう、ししとうでなにがわるい?

 とあるコメ欄、コメントしたものの、その後「何の話ば、しとうや」ということになるとネタに走る。
 私なんぞは「清貧」「従順」「貞潔」の上、アイドルも崇拝しないから、シトー派か、なんてことを考えるとアタマが茹だる。こういう折りに、お酒は体が火照ってどんならん。井戸で冷やした柳陰でも、鯉の洗いと青菜でやるというのが相場だけど、そこは「ししとう」を使ってみた。
豆腐とししとう 奴ではなくて、昆布出しで煮た豆腐と焼いたししとうに、田楽味噌をかけただけ。

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24/05/2008

なすのつぼやき

 昨日は面倒なので、「なすとつぼやき」にしたら、「なすのつぼやき」が見たいといじめ…じゃなくて、突っ込まれたので、製作。
なすのつぼやき エスカルゴのイメージからバターでソティしようかと思ったが、素材から考えて、ゴマ油、醤油、豆板醤の味付けで中華風にしてみた。

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23/05/2008

今日の野良鳥(5月23日)

セグロセキレイ セグロセキレ、Motacilla grandis。遠目にはハクセキレイに見えるが、セグロセキレイの幼鳥。
アオサギ アオサギ、Ardea cinerea
ヤマガラ ヤマガラ、Parus varius

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今日、見た顔

ぬこ 散歩中のよそのぬこ。
ウシガエル 川から顔を出してた野良ウシガエル。

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なぞのつぶやき

 「なぞの独り言」とか「なぞのつぶやき」が流行ってたみただけどネタがないので「なすとつぼやき」。
なすとつぼやき

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22/05/2008

今日の野良鳥(5月22日)

キアシシギ
キアシシギ
キアシシギ
キアシシギ、Tringa brevipes。今日もいた。普通にいる鳥らしいが、この川では期間限定。
ダイサギ ダイサギ、Ardea alba。いつもいるのだが、左下のが気になった。すっぽんのようだ。鶴と亀ならめでたいらしいが、サギとスッポンはどうなんだろう。

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滝のぼり

アオダイショウ 滝、というか堰堤に向かって動いているのがいたので、鯉?と思ったが細長い。鰻?と思ったら、どうやらアオダイショウが泳いでいた。滝を登るつもりなんだろうか。
 蛇の方が、鯉より、竜に近いんじゃないの。登竜門を通過中の蛇は「竜頭蛇尾」って言うんだろうか。

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21/05/2008

ピンクの薔薇

ピンクのバラ 道端に咲いてたのを、なーんも考えずに撮ったのを載せただけ。

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729日目

モリアオガエル ガラスの汚れが激しい。

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今日の野良鳥(5月21日)

キアシシギ キアシシギ、Tringa brevipes。遠くて、いつものイソシギかと思ったが、飛ぶとだいぶ違う。
キアシシギ 違う個体だが、近くにいたキアシシギ。オーストラリアからシベリアに向かう途中。
イソシギ イソシギ、Actitis hypoleucosもいた。
イソシギ 飛んでいくイソシギ。

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アゲハの赤ちゃん

アゲハの幼虫 木の芽和えを作ろうと山椒の若芽を摘みに出たら、細かいのが。色が茶色っぽいので、クロアゲハ?
 ともかくも、そのうち山椒が使えなくなりそう。

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20/05/2008

今日の野良鳥(5月20日)

ツバメ ツバメ、Hirundo rustica。いつもの巣だが、陰になっているので、羽ばたいている親鳥がぶれる。
ツバメ 子ツバメも主翼がしっかりしてきて「ツバメ」らしくなってきている。

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19/05/2008

今日の野良鳥(5月19日)

 出かけた先の近くの田圃にいた白鷺の団体。冬の間の白鷺といえば、ダイサギかコサギだったが、この時期はややこしくなる。
チュウサギ 2羽が微妙に違うが、たぶん両方ともチュウサギ、Ardea intermedia
チュウサギ チュウサギ、繁殖期になると嘴が黒くなり、虹彩も赤くなるらしい。
コサギ・アマサギ やや小さいの。嘴が黒いのはコサギ、Egretta garzetta。それより小さくて嘴が黄色いのはアマサギ、Bubulcus ibisだろう。
 ところで、コサギは訓読みだが、チュウサギ、ダイサギはなぜに重箱読みするんだろう。
アマサギ アマサギらしいの。夏は頭がアンバーだけど、オデコから色付いていくのか。

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727日目

 鳴いてる。重なってる上の方が雄。他にも鳴いているのがいて、それが重なった上に重なろうとすると、重なってた方の雄が鳴く。

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18/05/2008

今日の野良鳥(5月18日)

ツバメ ツバメ、Hirundo rustica昨日と同じやつ。1日ではあまり変わらない。

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新しい帽子のアイデア

ヅラをつけずに、ヅラをつけてる安心感。
帽子

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教条的な反日の丸ってどうかな

 前にも書いたが、我ながら写真の出来が良くないとは思っているのだ。そこで、初心者向けの写真の入門サイトみたいなのを以前に探したことがある。そこに書いてあったのが「日の丸」構図からの脱却ということであった。
 オートフォーカスであろうとマニュアルであろうと、カメラのピントは画面中央で合わせるのが基本であった。なので、初心者は、撮りたいモノを画面中央に置いてしまい、適当に周囲も入れてしまうと、ちょうど「日の丸」のような構図になってしまう。なので、単に撮りたいモノを中央に置くんではなく、構図を考えろということである。
 なるほどである。でも、ファインダーを覗いたら、普通は構図くらい考えるだろ、私の場合は、とりあえず撮って、トリミングで構図を変えちゃうこともるけど。
 と思ったら、らさらには、構図ってどのように考えればいいんですかという質問だって見かけた。そんなもんなんだろうか。
 構図って、そんなの難しく考えなくても、撮ってみりゃわかるだろうと思うのだけど。逆に、何を撮りたいか、被写体が何かだけでなく、そのどういうとこを撮りたいかで、イロイロに考え方が違って来るだろうし、説明された方がかえって難しいだろう。マニュアル読むと難しくてワカランので、とりあえず使ってみる、というのはMacの人だけ?
 そういえば、以前に「間の取り方」を聞かれて困ったことがある。「あんた名前は」「何の某」。。2人がうち解けた様子を表現したいならゆっくり言ってマイナスの間にするとか、警戒している緊張感を表現したければ「ヒト呼吸」置いて、テンポを変えるとか、それこそ何を表現したいかで変わる。そんなことを言ったら「ヒト呼吸」ってどれくらいですかと聞かれ、さらに困ったことがある。
 説明は難しいけど何となくわかるって、倒れず自転車に乗る、スキーのエッジで曲がるとか、キッスのタイミングとか、そういうもんなのかな。
 ともかくも、初心者向けサイトに載ってた「脱」日の丸というのは、広く知られているようだ。
ウシガエル うちの場合、けっこう「日の丸」が多い。対象が丸いわけじゃないから、日の丸構図だと気付かれないことも多いが、対象物の全体像をメインに据え、その環境もわかるということになれば、結果、日の丸と同じコンセプトの構図になるわけである。たまたま「環境」の方が、構図を形成してくれていることもあって、変化が付いているだけというのも多い。
ポピー ところがである、この「脱」日の丸が一人歩きしてしまい、その結果、硬直的な「反」日の丸に陥ってるんではないかという例をたまに見かける。
 例えば、こんなのだけどたまに見る構図だ。「日の丸」というよりもバングラデシュをオフセットしたみたいだけれど、このオフセットに意味があるんだろうかと思ってしまう。
オフセット こういうのならオフセットにも意味があると思う。蝶の場合だと、知面の影が日差しを予感させるという効果があるわけで、花の場合だと、下の蕾の写りこみが邪魔ではあるが、方向性があって、何も写っていない部分が大きく黒いことで、蕾とともに、春爛漫には遠い印象とか、オフセットが意図的であると見える。たぶん。
 一方、先のオフセットみたいなのは、別にど真ん中の方が明解なわけで、「日の丸」がヘタな構図という思いこみだけで避けてるたとしか思えない。
露天風呂 これは、諸般の事情で後ろ向きの人物だけど、ある意味明解だ。環境だけの部分を真っ二つにフリ分けて、人物は向こう向きの方向性を出すために中央に置いている。一方、こっちを向いている場合、顔でフォーカスを合わせて、全身を入れれば、こういう構図になる。そもそもの何も考えない構図と、多少でも意図がある構図とが、全く同じ構図になることもある。
 素材そのものにチカラがあれば「日の丸」というのは最も素直な構図だし、むしろチカラのある素材を見つける方が初心者には大事なんでは、と私は思ってるのだが。

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17/05/2008

今日の野良鳥(5月17日)

ツバメ ツバメ、Hirundo rustica。一昨日と同じやつ。産毛というか綿毛がなくなっている。

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16/05/2008

今日の野良鳥(5月16日)

アオサギ アオサギ、Ardea cinerea。日比谷公園の池にいた。特定外来亀もやたらいた。

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問おう、汝が「マリオ」か。

 いまだに様々な人が考察を行っている「かの騒動」。どうせ続いているんだから、辟易としてもしようがない。自らの考察のネタにしてやれ、ということでもないんだろうけど、ウンコだって肥料にしちゃった方がトクだ。(この場合、ウンコというのは、比喩でも暗喩でもなく、単に、「嫌がっているより、役に立てた方が有益」ということです。念のため)
 「共感」であるとか「やさしさ」とか、様々なキーワードが出ているが、今も蒸し返す人たちの気持ちはわからないでもない。それというのも、わたし自身にも「内なるらんきー一派」は存在しているからである。
 というのも、このblogを批判されても困るのである。正当な批判なら受け入れるべきである。ヘタな写真を載せるな。わかりにくいことを書くな。こう思う読者は正しい、というか「ヘタな写真」「わかりにくい」については、私も同意する。だからと言って、急に「上手い写真」が写せるわけでもないし、「わかりやすい文」を書けるわけではない。なので、ガマンしていただくしかないのだ。不当な批判、つまり誤読をされたり、事実認識が異なる場合、当然、反論すべきである。しかし、めんどくさい。つまり、批判されて、なるほどと思うことも多いだろうけど、それで、どうにかなるもんでもないのだ。
 原稿料を貰って書いているとか、それなりにキアイを入れなきゃならない文なら、当然、批判というのはグレードを上げるために有用だから、きちんと対応する。でも、ブームに乗っただけで、たいしたココロザシもなく始め、お友達との馴れ合いネタが主であるblogである。批判されるのは、困るし、避けたいのである。
 だから「シロートが慰みで書いてるblogなので批判しないでほしい」と書きたいのである。「やさしく」してほしい。アホなことが書いてあっても「寛容」に。と、正直、思っている。
 それでも、このblogを批判する人がいたなら「大人げない」と思うだろう。草野球を相手に全力プレーする引退したてのプロ野球選手、子供相手に手加減しない人という意味で「大人げない」である。
 でも、私の中の「内なるらんきー一派」は閉じこめている。きちんとした考察を書いている人もいるからだ。そういう人のためには、自分のわがままを一般化できないのである。「影響力のない、つまり権力になりえない文を書いてる一般市民の私を批判しないでください」を一般化できないのだ。影響力のあるblogを書いている人に失礼だ。
 主張するblogを書くのであれば、主張の説得力を高めるために批判は有用だ。だから、批判を嫌う人たちは、主張のために書いているのかという疑問が浮かぶ。ビデオゲームのようなものではないか。ゴールは「ピーチ姫の救出」であっても、そのピーチ姫は実在しているんだろうか。そして、救出するよりも、そのプロセス、隠しアイテムの発見や、裏技の方が、むしろ目的になっていないだろうか。

問おう、汝が「マリオ」か。

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今年のまつり

葵祭
葵祭
葵祭
葵祭 載せるのは3回目か4回目かも知れない。中身が変わるわけじゃないが、比較すると今年は日差しが強め。

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15/05/2008

今日の野良鳥(5月15日)

オシドリ オシドリ、Aix galericulata。繁殖期には人のいない森に行くのだが、まだ公園内の池に残っているのもいる。
ツバメ ツバメ、Hirundo rustica

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14/05/2008

今日の野良鳥(5月14日0

キジ
キジ モリアオガエルの産卵池近くで見かけたキジ、Phasianus versicolor
キジ 鳴くときには羽ばたく。ちょっと後退姿勢になるので尻尾が切れてしまった。雄しか見かけなかった、というより雄は鳴くので、見つけやすい。雉も鳴かずば撮られまいに。
キジ これは別の場所での別のキジ。切り株の上で鳴いていた。
カルガモ 田植えの終わった田圃にいたカルガモ、Anas poecilorhyncha。カルガモ農法?
ホオジロ ホオジロ、Emberiza cioides
アマサギ アマサギ、Bubulcus ibis。白い鳥が雁行して飛んでいた。よく見たらサギ。頭部がオレンジ色なのでアマサギだろう。

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雨上がりの朝

 夜来の雨が早朝には止んだので、モリアオガエルの産卵池に行ってみたが、シュレーゲルアオガエルの声が聞こえるのみで、モリアオガエルの姿は見えず。
イモリ 途中の川の石垣を、カニとイモリが登っていた。川から水の入った田圃に移動するんだろうか。
イモリ アカハライモリ、Cynops pyrrhogasterのアップ。

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12/05/2008

ロード・オブ・ザ・ループ

 一部の人が見ていた話だが、もはや第3部になると見ている人も少ない。今も第2部のエピローグは続いているし、第3部の途中であるが、第3部は話がループに入ってきているだけではなく、もっと歴史的に根深いループに突入しているようだ。
 以前に、第1部や第2部が話題になった時は、ほとんど取り上げなかったのだが、この「大きなループ」には以前から触れてきたので、ここで感想をあげてみる。
 そもそも、この話の発端はひとつの物語、それも死んだも同然のクダラナイ物語だ。

 その物語を捨てなければ、この世は闇となる。
 遠い遠い昔、理性を滅ぼす魔力を秘めた“ひとつの物語”が作り出された。波動測定器なるものを高額で販売したいという欲望が、この物語に注ぎ込まれていたのだ。
 その物語に屈していった人たちもいた。しかし、物語があまりにバカバカしく無視していた勇者たちが、科学を僭称していると物語に立ち向かった。そして、物語は科学でないと否定された。ニセ科学が敗れたのだ。
 しかし、その後も物語は消えたわけではなかった。

第1部「旅の仲間」
 「網つ国」の街道を旅をする仲間がいた。私が見た所、そもそも同じ村の中で街道を行ったり来たりして、お喋りを楽しんでるようにしか見えないのだが、本人たちは目的地があって旅をしていたつもりのようだ。
 ところが、この旅をする一人が、件の「物語」を語り始めた。何しろ、同じ村の中といえども、天下の街道である。ミンポーカイセーに向かって旅をするとある勇者の末裔に見つかり「こんなのを見つけました。ずばり、「あのインチキ物語」を、信じていらっしゃる一行ですよ。」と言われてしまった。
 「旅の仲間」たちは、仲間に文句を言ったということで、この人相手に口ゲンカを始めたのだが、やはり天下の街道のことである。方々から人々が集まり、オマエらの方が悪いと責められることになった。
 そうして「旅の仲間」は、ある者はいじけ、ある者は一人で騒ぎ、ある者はモーソーの世界に旅立ったり、ある者はなかったことにして勇者にすり寄る。この「旅の仲間」は以下の話にも出ては来るのだが、もはや回想シーンでの端役である。長編にはよくあるパターンだ。

第2部「二つの塔」
 第1部から3ヶ月たった。
 昔から象牙の塔という塔がある。この塔の名は人々に揶揄された呼び方だ。しかし、この塔の功績には大きなものがある。世間の風潮とやらと無縁の所で、ものの理を考える、考察のグレードを上げるための方法論を確立してきたわけである。
 その功績のひとつに「批判」があった。人々が知を共有するために、その知を違いに磨くために使われる。「網の国」では知を共有することが簡単になった。誰でも「知」を磨くことが出来る。
 一方、バベルの塔という塔があった。この塔は今は崩壊している。なぜなら、この塔を建てた人々が、それぞれ違う言葉を使っていたからだ。意思の共有が出来なかったからだ。その教訓から、ある者は、意思を共有できるまで徹底して言葉を尽くそうとする。しかし、ある者は、そもそも塔を作ることが傲慢だ、所詮、意思の共有など出来ない、私がそう思ったんだから、それでいいじゃないか人間だもの。とか思うようになっていた。
 そして「批判は攻撃だ、私はそう思いました」ということから、第2部が始まるわけである。そして、この第2部は、私にとっては、意外な結末を迎える。
 理屈にあわないからイケナイということに対して、感情を害したからイケナイのですねということで「イケナイ」が一致してしまい、何と無く終わる。
 ただ、この終わり方に満足できない人は多いようで、事実関係をきちんと検証することの大切さという話は今も続いている。

第3部「王の帰還」
 第2部から1ヶ月。
 「網つ国」は共和制だ。王などいない。しかし、昔から「御作法」という王を擁立しようという動きがあった。この「御作法」という王は、他の国では統治はしていないのだが君臨している。
 「網つ国」の「御作法」王は、「無断リンク禁止」とか「引用や言及には許可を」とか、およそ、著作物の公表という概念にはなかったものに、「おつきあい」のレベルのマナーを持ち込むというものであった。
 このような王の擁立に対しては。共和制の人たちは「そもそもwwwとは」とか「仕様でも法的にも可能なことは前提にすべき」と撃退してきたのであるが、「網つ国」に「著作物の公表」より「井戸端会議」や「給湯室の雑談」や「居酒屋談義」に馴染んだ人が移住してくる度に、十年一日のごとく、擁立騒ぎが巻き起こる。
 そして、この巨大なループにこの話が呑み込まれていくというのが第3部だ。そもそもの勇者の指摘はケシカラン、「御作法」王に不敬であるということになる。
 第2部で登場した「批判は攻撃」の種族が、このループに巻き込まれると「私は権力は批判するが、一般市民は批判しない」ということになる。およそ、どこの誰ともわからない一般市民の批判は不可能だ、一般市民が公表した意見を批判しているわけであり、「批判」と「攻撃」の混同と「著作物の公表」と「井戸端会議」の混同という、ダブル混同でっす。なお、このシーンは俯瞰撮影ではないと思うのだが。
 話は、第1部や第2部の続きではあるが、もはやテーマは「網つ国」の昔からのループに入ってしまった。ジャンプ漫画が長編化するとネタにつまって格闘技大会になるように、「網つ国」の話は長編化してネタにつまると、御作法ネタになる。ただし、このループに入ってしまうことで、発端のニセ科学という「物語」がクダラナイということが前提と化して定着するのなら、それはそれでいいことだろう。

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11/05/2008

校長の仕事

 会議の際によくある風景であるが、「えー、飲み物は何にしますか、コーヒーの人」「はーい」「紅茶の人」「はーい」…。どうも、東京都の高校では、こういうことをやっちゃいけないらしい。そういう場合は別だとか、そもそも飲み物は各自が用意するとかかも知れないけど、何か、この記事を見たら、職員の飲み物を決めるのも校長の仕事、というのと同じレベルのバカバカしさを感じて、笑ってしまった。東京の高校じゃ小学生が高校生を教えてるみたいで。

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10/05/2008

待つ爺ちゃん、怒鳴るオバサン

 このblogには随分とヘタな写真を載せている。別に「ヘタでもいいじゃないかシロートだもん」と居直ってるわけではない。かといって「もうちょいマシな写真を撮れるようにガムバリまっす」というイキゴミもない。
 元々「いい」写真より、「とりあえず記録」ということを優先して撮り始めたので、考えるより、まずシャターを切ってしまう。そして、ヘタだから載せないでおこうという意識より、載せようとする自分なりの理由が何となくある。それで載せているということなのだ。
 さて、ボーッと写真を撮っていても、他に撮っている人と遭遇することがある。近所の池のオシドリなんかは、鳥を撮る人には人気があるようだ。一方、田圃とかで撮ってても、まあ遭わない。
イソヒヨドリ さて、これはイソヒヨドリの写真で、どれも載せていないけれど、たぶん載せるとすれば右側だ。しかし、鳥を撮ってる人は左のようなのを好む人が多いようだ。
 光線の具合とか細部の描写は左の方がいいけれど、左は赤い実を食べている。周囲の状況とかを見れば「たまたま、実を食べている所を撮った」わけではなく「わざわざ誰かが実を置いた」というのがわかる。実際に、他に撮っていた人が置いた実なのだ。
 一方、右側が人気がないのは、人工物が写っているからだ。この日に撮った写真では、桜の枝に留まったものを載せたのだが、実際にこういう状態でいたのだし、このblogには、日常生活の範囲にいるのを撮って載せているわけだし、人工物が写っているから避けようという意識はあまりない。また、枝や藪で隠れている部分があっても「そういう環境にいた」わけだから、それはそれで記録として意味がある。
 このblogの写真は、トリミングや色調補正を行っているものが多い。ところが「パソコンで加工するのは邪道」とか言ってる人に出合ったことがある。自分ができないから邪道と言っているわけじゃないと思う、たぶん。私の場合、学生の頃、フイルムで撮ってた時代、カラー写真が一般的だったのにモノクロ写真を撮ったことも多い。というのも、写真部の知人のツテで暗室が使えたたので、モノクロなら自分でプリントできたからだ。するとトリミングや階調補正ができる。カラー写真でも、相当に高くつくのに、気に入った写真はわざわざ手焼きをしてもらって、細々とした指示を出したことも多い。一方、デジタルだと自分でそういう後加工が出来る。そういう経緯があって、後加工には全く抵抗がない。さらには、ここに載せるには解像度を下げる必要上、必要な加工もある。なので「邪道」というのにちょっと驚いた。
 かように、人それぞれに考え方があるようだ。

 さて、2月の巡業中に盛岡に行った際、近くに座敷わらしが出没するというT松の池に白鳥を見によった。とりあえず「こんなのがいた」程度の記録を写した後に、池の周囲を歩き出すと数人の爺ちゃんたちがいた。いずれも200〜300mmくらいのレンズのカメラをお持ちで、上空に向かって飛んでくる白鳥が見えると、誰ともなく「キタ〜」と叫んでる。AAなしで。
オオハクチョウ どうも白鳥が着水する間際か着水する所あたりの「画」を撮ろうと待ってるらしい。この写真よりも正面寄りのポジションになる。といっても、そう都合よい所には着水してくれないだろうし、そう頻繁に飛来するわけでもない。撮りたい「画」があって、ひたすら待ってるわけである。
私のように、とりあえず白鳥がいたから撮った、というより、撮りたい画のイメージが明確なんだろうな。
勝山左義長 やはり2月の巡業中だ。とあるお祭に際して、竹で作った飾り物を撮影しようとした写真だが、幟だとか走ってる子供が邪魔だから撮り直そうと道路を横断しはじめたら、反対方向から「撮ってるんですぅ〜」と怒鳴る声が聞こえる。道路のわけだから、通行人が邪魔になるなら、通るのを待てばいいだけだし、何だろうと思っていたら、婆さんが走ってた子供に、もう一度走ってくれと頼んでいた。どうも、この子ども達は婆さんとその連れの爺さん達に頼まれて走っていたようで、要するいヤラセ写真を撮っていたわけである。
 別に「ヤラセ」がいけないわけではない。私だって散々撮ってる。綺麗な景色、独特の雰囲気のある場所だからと裸になる人なんていないわけで、知人をモデルにして撮った写真はほとんど「ヤラセ」写真だ。裸だったから撮ったという写真より、撮るために脱いで貰った写真の方が圧倒的に多い。ただし、これらの写真は「シチュエーション」を記録するためのものではなく「ポートレート」だ。
 件の婆さんが撮りたかったのは、走る子供そのものではたぶんない。おそらく「お祭で楽しげに走る子ども達」というシチュエーションを撮った写真を見たとか撮ったとかがあって、その再現をしようと、仕込みをしているんだろうと思う。別に怒鳴られたから、というわけじゃないけど、あるシチュエーションを偶然に捉えるんじゃなくて、わざわざ仕込んで楽しいんだろうかと思った。
 なお、言うまでもないのが、たまたま待ってたのが爺ちゃんで、怒鳴ったのが婆さんだっただけで、世の中には、待ってる婆ちゃんや、怒鳴る爺さんもいると思うし、性差は関係ない。むしろ怒鳴る方は年齢と無関係に「オヤジ」か「オバサン」と呼んだ方がいいか。
 自分の撮りたい画があって、そのためにじっと待つというのは、気持ちはわかるけども、私は辛抱できん。ある一瞬を切り取った画がいいからといって、わざわざその一瞬を仕込んだら、私は撮れたって嬉しくない。
 かように、人それぞれに考え方があるようだ。

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08/05/2008

義堂…

相国寺
相国寺 相国寺。義堂周信の提言によって創建された寺である。

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716日目

 ようやく、6匹全員が外で活動しているのを確認。
モリアオガエル 水槽の隅でこんなことしてる。まだ鳴き声を出さないし、野良モリアオだともっと大きいのが重なってるんだけど。
モリアオガエル 小型の2匹、たぶん雄は葉っぱの上。そろそろ鳴き出すか。それにつけても水槽の汚れが激しい。
モリアオガエル 大型の2匹は水槽や冬眠容器の床にいる。

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07/05/2008

今日の野良鳥(5月7日)

メジロ
メジロ メジロ、Zosterops japonicus
イカル イカル、Eophona personata
ムクドリ ムクドリ、Sturnus cineraceus
ツバメ ツバメ、Hirundo rustica

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雄蝶雌蝶

モンキチョウ モンキチョウのペア。上が♀。

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06/05/2008

公演blogか温習会blogか

 以前にネットの著作権を考える場合には、インセンティブ論ではなく「特殊な人格権」と考えられている側面があるということを書いた際に、日本舞踊の公演を例にした
 日本舞踊の公演には、歌舞伎俳優が行うものとどこかの教室が行うものがある。前者はお金を貰って踊るし、後者はお金を払って踊る。観客は前者にはお金を払うが、後者は払わないし、お菓子のひとつもお礼に貰える。そして、後者は、どんなに下手糞でも褒めるというマナーが存在する。
 さて、この2種があることを知らずに、前者に対して行うのと同様の基準で後者の下手な芸に対して感想を述べるとどうなるだろうか。おそらく、猛反発を喰らうだろう。「そんなことはわかっている」ではすまない、「言ってることは正しくても言い方があるだろう」「悪意を感じる」「お温習い会の意味がわかっていない」とかだけじゃなく、競合する教室の工作員だと決めつけられるかも知れない。「伝統芸能を伝承するという大きな目的があるのに、愛好家同士でそんなことを言い合うのは悲しい」なんていう人だって出てくるだろう。
 そういえば似たような経験をしたことがある。現代演劇はプロもアマも区別なく公演とは「作品を世に問う」ものだと思っていた。なので知人が出た公演の後に「合評会」というのがあって、時間があれば残ってくれと言われ、そこで感想を求められたので、正直な感想を言った。とたんに空気が変わった。その後に他の人も感想を言ったようだが、作品の完成度に言及する人はおらずに、「この作品を上演する意義に賛成」みたいな話ばっかりで、最後に公演の演出家が「盛り上げていただき、仲間達のありがたさを感じた」みたいな話で終わった。そこで、私は世の中にそういう芝居もあることを知った。私を呼んだ知人は、それでも作品の完成度を高めたくて、一石を投じるために呼んだらしかったが。
 プロとアマの差というのは、一般的には、お金を貰うか払うかなんだけど、むしろ「表現活動」の場合には、どこかに「世に問う」意思があるかないかという所に大きな違いがある。作品の部分であっても「世に問う」ところがあって活動しているか、お友達作りのために活動しているかに本質的な違いがある。
 さて、ネットの場合である。以前の「世に問う」ことを前提にした著作権概念では、ネット上に見られる著作権概念は理解できないということを書いた。さらに、著作権についてに留まらないんだと思っている。そうでなきゃ、リンクや引用に許諾を欲しがる人が理解できないし、ごく当たり前の批評を、いつまでも問題にする人たちが理解できない。
 私とて、お温習い会に行って、芸の完成度に言及するような野暮はしたくない。けれども、ネット上に公開されている意見が、「世に問う」ものなのか「馴れ合いツール」なのかは簡単には判断がつかないのだ。特に社会的なテーマを扱った「主張する」blogだと後者であるとは判断がつきにくい。仲間内でだけ通用する特殊な用語とかが頻出してれば予測はできるんだけど。
 できれば認証制で公開制限するとか、「転載機能」という「お友達とのツール」には便利な機能を備えたシステムとかに固まってくれると便利なのだが。

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今日の野良鳥(5月6日)

カワラヒワ カワラヒワ、Carduelis sinica
イソヒヨドリ イソヒヨドリ、Monticola solitarius。♂、3階建ビルの高架水槽脇の配線の上にいた。
イソヒヨドリ イソヒヨドリ、♀。隣のビルの屋上手摺、アンテナ脇にいた。
オオルリ オオルリ、Cyanoptila cyanomelana。もう、人里を通過して山に行ったかと思ったが、若鳥で遅れているのか。
イカルチドリ イカルチドリ、Charadrius placidus
ダイサギ ダイサギ、Ardea alba
バン バン、Gallinula chloropus
エナガ エナガ、Aegithalos caudatus。お食事中。独立したエントリーにしてトラックバックし、「ココロを鍛える」のに貢献しようとも思ったのだが。
センダイムシクイ センダイムシクイ、Phylloscopus occipitalis。虫を食べるから「ムシクイ」というのはわかるが、なぜに「センダイ」か。調べてみたら鳴き声が「鶴千代君〜」と聞こえるからだとか。「大名というものは飯も何も食べずに、こう座つているものじゃ、のう乳母、おれは強者じゃ」の鶴千代君で、センダイらしい。

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岩手じゃないけど

桐 色といい房状に咲いているので遠目ではフジかと思ったが、房が上向き。岩手県の花のキリ。
キジ キジが鳴いていた。昨年よりも山側の離れた場所にいたのを発見。遠くて暗いので、写りは良くない。岩手県の鳥。

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今日の野良藤

藤 そろそろ現れているかと思ってモリアオガエルの産卵池に行ってみたが、シュレーゲルが鳴いてるだけで姿は見えず。近くの山に藤が咲いていた。

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04/05/2008

今日の野良鳥(5月4日)

スズメ スズメ、Passer montanus。巣立ち直後の幼鳥。
ヤマガラ ヤマガラ、Parus varius
コゲラ コゲラ、Dendrocopos kizuki
イカル イカル、Eophona personata
イソシギ イソシギ、Actitis hypoleucos

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今日の特定外来生物

ウシガエル

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03/05/2008

今日のアカガシラサギ(5月3日)

 今日もアカガシラサギ、Ardeola bacchusがいたが、ほとんど茂みの中。
アカガシラサギ
アカガシラサギ
アカガシラサギ
アカガシラサギ
アカガシラサギ

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今日の野良鳥(5月3日)

ツバメ ツバメ、Hirundo rustica。商店街のアーケード下。
スズメ スズメ、Passer montanus。砂浴び中。
セグロセキレイ セグロセキレイ、Motacilla grandis。水浴び中。
コガモ コガモ、Anas crecca
コサギ コサギ、Egretta garzetta。飛行中。
アオサギ アオサギ、Ardea cinerea。飛行中。

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今日の野良鯉

鯉 浅瀬で2匹並んで暴れている。産卵中のようだ。

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今日の野良蝶(5月3日)

モンキチョウ モンキチョウの♀。白色タイプ。
アオスジアゲハ アオスジアゲハ。
ナミアゲハ ナミアゲハ。

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02/05/2008

今日のアカガシラサギ(5月2日)

 今日もまだアカガシラサギ、Ardeola bacchusが滞在中。
アカガシラサギ
アカガシラサギ
アカガシラサギ
アカガシラサギ
アカガシラサギ

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今日の野良鳥(5月2日)

マガモ マガモ、Anas platyrhynchosの親子。
ムクドリ ムクドリ、Sturnus cineraceus
コサギ コサギ、Egretta garzettaと今日もいたアカガシラサギ、Ardeola bacchus

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01/05/2008

今日の野良鳥(5月1日)

カワラヒワ カワラヒワ、Carduelis sinica
ホオジロ ホオジロ、Emberiza cioides。梢のてっぺんで囀り中。
ツバメ ツバメ、Hirundo rustica
アカガシラサギ
アカガシラサギ アカガシラサギ、Ardeola bacchus。今日もいた。4日目。長逗留のようだ。

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今日の野良亀(5月1日)

ニホンイシガメ ニホンイシガメ、Mauremys japonica
クサガメ 頸部の黄色い斑紋がないが甲羅の形からたぶんクサガメ、Chinemys reevesii。黒々とした頭を屹立させている。

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