« 今日の野良鳥(5月30日) | Accueil | ヨコハマメリー »

31/05/2008

獅子唐で越後獅子を思い出す

 Fully care,car was to become Ms.note.無意味というか意味不明なフレーズだ。「充分な注意の元、車はノートと渾名される女性になるべきだった。」とでも訳せばいいんだろうか。
 ところが、日本人の中には、このナンセンスなフレーズを聞いて、静寂を感じ、自然を感じ、おかしみを感じる人さえいる。
 言語そのものは単なる記号や空気の振動で、その言語と概念が結びつくから、思考やコミュニケーションのツールになるわけである。そして、コミュニケーションのツールとなるには、その相互間で、言語と概念が同じように対応している必要がある。
 ところが、意味不明なフレーズを聞いて静寂を感じる人もいるわけである。「三尊の弥陀は?」」を「三百にまけぇ」に、「あかんべえ」を「目の下にあり」と解釈するようなことは、言葉を使ったって起こるのである。
 そういや、先日、旅芸人の公演を「越後獅子みたいなもんなんですよ」と評した文に、「長唄や地歌のならいいんですが、美空ひばりのですからねぇ。」という趣旨のコメントをした。後で気付いたのだが、このコメントって、長唄や地歌よりも、美空ひばりが劣ったものだという意味に取れる。
 このコメントを交わしている両人は、熱心なファンではないが、歌舞伎の主要演目くらいは見ている。だから、長唄の「越後獅子」の内容が「旅芸人が郷里や残してきた妻を懐かしんでいる」ということは当然知っている。一方、美空ひばりの方の「越後獅子」の内容は「子供が無理矢理に芸をさせられて泣いている」わけで、一般的には「角兵衛獅子」の方が通りがいい。
 なので、旅芸人の公演に「越後獅子」としか書いてないので、一瞬「?」と思い、それで、子供の健気な芸しか見るべきものがない公演という意味かと思いあたり、「大人の旅芸人ならいいけど、子供の芸で売ってるからねぇ」と同意しているわけである。けれども、長唄や地歌の「越後獅子」と美空ひばりの「越後獅子」の内容の違いを知らなければ誤読をする方が自然だろう。わざわざ「塊」を「魁」に勝手に変えるなどの手間をかけなくてもいい。
 さて、このような誤読をして、「オマエラは文化の相対化をしているようなことを、以前に言ってたけど、ちゃうやんけー」と文句を言った美空ひばりファンがいたとする。問題は誤読をした方にあるんだろうか、誤読をされても仕方がないような書き方をした方にあるんだろうか。

 2・3年前だけど、その頃に急に増えたblogの言説を見ていて、このblogで、考察というか愚痴みたいなことを書いていたのだけど、最近、当時と同じようなことをよそのコメント欄で書いたりで、そこらがロード・オブ・ザ・ループというかテンプラ既視団なんだが。
 その以前に書いていた際に、ネットというのは古池じゃなくて「大海でもあって、井戸でもある」みたいなことを書いていた。誰でも見られる「大海」であると同時に、かなり特殊な場も作れる。周囲から一笑に付されるような陰謀論や珍説だって、「一笑に付す」周囲を飛び越えて、支持者どうしで結びつくことが出来るわけで、結果、勝手に一般化しちゃって「皆さん、そう思ってる」なんて思いこみが作られたりする。
 そこまでいかなくても、語彙、さらには論理や美意識や嗜好なども共有している間でコミュニケーションをとっていた方が効率的だ。近代史について考察を行う、情報を共有しようとしているトコロに、異論は歓迎できても、マンガと匿名掲示板の情報だけでわかったつもりになってるようなのに来られても邪魔なだけだ。そんなわけで「大海」であっても「参入障壁」を作って、ある程度に井戸化した方が、合目的なのである。
 「むつかしいことをむつかしく言うのは誰でも出来る。むつかしいことをわかりやすく言うのがアタマのいい人」なんて言葉があるが、たいていのことは、やさしく言うにも限度がある。「シュレディンガーの猫を安倍晋三にわかるように説明する」なんて不可能だ。
 ともかくも、かつても書いたが、世の中には、微バカ、軽バカ、弱バカ 、中バッカ、強バカ、烈バカ、激バカ、ミジンコバカにネバーエンディングバカと、世に様々なバカがいるわけで、このblogだって、自分より軽度のバカに見られても恥ずかしいし、はるか上空の自覚症状もない程のバカにわかるように書くのも無理だ。なのでアクセスが増えても嬉しくないし、むしろ場末感がいいし、自ずと「読む上での前提」が作られており、参入障壁となっている。
 参入障壁があるのに気付かずにぶつかる。こういう誤読はありがちだ。この文だって、辞書に載ってない、辞書と語彙が違う単語がいっぱいだし、その意味がわかる人向けに書いている。誤読して文句を言って来たら、大海にもいるわけだから、誤読だという説明はする。でも反省はしないし、誤読する人は読者として想定していませんとしか言いようがない。所詮、井の中だもの。みつお。
 ショミンの立場だの、世間だの、広く訴えるなんてトコや、ランキングに参加したりでアクセスを増やしたいなら、つまり、大海にいるつもりなら、誤読されないように書くべきだろうけど。

|

« 今日の野良鳥(5月30日) | Accueil | ヨコハマメリー »

Commentaires

いや,あの旅芸人の方も,ある意味,妻を思って泣いておられるのかもしれません。更に,越後獅子→鞍馬天狗という,あの旅芸人が決して演じることが出来ないものつながりでもありましたね。

Rédigé par: 某清純派 | le 31/05/2008 à 17:40

 ししとう(獅子唐)→越後獅子→杉作→鞍馬天狗→「鞍馬から牛若丸が出でまして名も九郎判官」で、今日は青菜を茹でました。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 31/05/2008 à 19:42

Poster un commentaire



(Ne sera pas visible avec le commentaire.)




TrackBack

URL TrackBack de cette note:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23135/41376182

Voici les sites qui parlent de 獅子唐で越後獅子を思い出す:

« 今日の野良鳥(5月30日) | Accueil | ヨコハマメリー »