問おう、汝が「マリオ」か。
いまだに様々な人が考察を行っている「かの騒動」。どうせ続いているんだから、辟易としてもしようがない。自らの考察のネタにしてやれ、ということでもないんだろうけど、ウンコだって肥料にしちゃった方がトクだ。(この場合、ウンコというのは、比喩でも暗喩でもなく、単に、「嫌がっているより、役に立てた方が有益」ということです。念のため)
「共感」であるとか「やさしさ」とか、様々なキーワードが出ているが、今も蒸し返す人たちの気持ちはわからないでもない。それというのも、わたし自身にも「内なるらんきー一派」は存在しているからである。
というのも、このblogを批判されても困るのである。正当な批判なら受け入れるべきである。ヘタな写真を載せるな。わかりにくいことを書くな。こう思う読者は正しい、というか「ヘタな写真」「わかりにくい」については、私も同意する。だからと言って、急に「上手い写真」が写せるわけでもないし、「わかりやすい文」を書けるわけではない。なので、ガマンしていただくしかないのだ。不当な批判、つまり誤読をされたり、事実認識が異なる場合、当然、反論すべきである。しかし、めんどくさい。つまり、批判されて、なるほどと思うことも多いだろうけど、それで、どうにかなるもんでもないのだ。
原稿料を貰って書いているとか、それなりにキアイを入れなきゃならない文なら、当然、批判というのはグレードを上げるために有用だから、きちんと対応する。でも、ブームに乗っただけで、たいしたココロザシもなく始め、お友達との馴れ合いネタが主であるblogである。批判されるのは、困るし、避けたいのである。
だから「シロートが慰みで書いてるblogなので批判しないでほしい」と書きたいのである。「やさしく」してほしい。アホなことが書いてあっても「寛容」に。と、正直、思っている。
それでも、このblogを批判する人がいたなら「大人げない」と思うだろう。草野球を相手に全力プレーする引退したてのプロ野球選手、子供相手に手加減しない人という意味で「大人げない」である。
でも、私の中の「内なるらんきー一派」は閉じこめている。きちんとした考察を書いている人もいるからだ。そういう人のためには、自分のわがままを一般化できないのである。「影響力のない、つまり権力になりえない文を書いてる一般市民の私を批判しないでください」を一般化できないのだ。影響力のあるblogを書いている人に失礼だ。
主張するblogを書くのであれば、主張の説得力を高めるために批判は有用だ。だから、批判を嫌う人たちは、主張のために書いているのかという疑問が浮かぶ。ビデオゲームのようなものではないか。ゴールは「ピーチ姫の救出」であっても、そのピーチ姫は実在しているんだろうか。そして、救出するよりも、そのプロセス、隠しアイテムの発見や、裏技の方が、むしろ目的になっていないだろうか。
問おう、汝が「マリオ」か。
Commentaires
問おう、汝が「マオリ」か。
いや、私はニュージーランドの先住民じゃございません。
失礼しました。
Rédigé par: かつ | 19/05/2008 04:24
マリアとイブで、先ず高城マリアと神代弓子を思ひ付く程度の私ですが、唯「らんきー一派」と言ふなと書いてゐるのを読み、腹立たしく思ひ、その言葉を使ひたくて書いただけです。
かめ愛でる姫に、ひねりすぎでスルーされてゐると言はれ、とても傷つひたのですが、だうせ、さうだと居直って、誰も言ってくれないだらうから、自分でつっこみます。
問おう、汝が「マルヤ」か。
Rédigé par: 南郷力丸 | 19/05/2008 17:04
>問おう、汝が「マルヤ」か。
チクショー、迂闊にも吹いてしまった。
Rédigé par: gegenga | 20/05/2008 08:29
1行のギャグのために、けっこう「危ない橋」を渡ったエントリーだったのに、コメントでウケるとは。。。。
Rédigé par: 南郷力丸 | 20/05/2008 09:24