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10/05/2008

待つ爺ちゃん、怒鳴るオバサン

 このblogには随分とヘタな写真を載せている。別に「ヘタでもいいじゃないかシロートだもん」と居直ってるわけではない。かといって「もうちょいマシな写真を撮れるようにガムバリまっす」というイキゴミもない。
 元々「いい」写真より、「とりあえず記録」ということを優先して撮り始めたので、考えるより、まずシャターを切ってしまう。そして、ヘタだから載せないでおこうという意識より、載せようとする自分なりの理由が何となくある。それで載せているということなのだ。
 さて、ボーッと写真を撮っていても、他に撮っている人と遭遇することがある。近所の池のオシドリなんかは、鳥を撮る人には人気があるようだ。一方、田圃とかで撮ってても、まあ遭わない。
イソヒヨドリ さて、これはイソヒヨドリの写真で、どれも載せていないけれど、たぶん載せるとすれば右側だ。しかし、鳥を撮ってる人は左のようなのを好む人が多いようだ。
 光線の具合とか細部の描写は左の方がいいけれど、左は赤い実を食べている。周囲の状況とかを見れば「たまたま、実を食べている所を撮った」わけではなく「わざわざ誰かが実を置いた」というのがわかる。実際に、他に撮っていた人が置いた実なのだ。
 一方、右側が人気がないのは、人工物が写っているからだ。この日に撮った写真では、桜の枝に留まったものを載せたのだが、実際にこういう状態でいたのだし、このblogには、日常生活の範囲にいるのを撮って載せているわけだし、人工物が写っているから避けようという意識はあまりない。また、枝や藪で隠れている部分があっても「そういう環境にいた」わけだから、それはそれで記録として意味がある。
 このblogの写真は、トリミングや色調補正を行っているものが多い。ところが「パソコンで加工するのは邪道」とか言ってる人に出合ったことがある。自分ができないから邪道と言っているわけじゃないと思う、たぶん。私の場合、学生の頃、フイルムで撮ってた時代、カラー写真が一般的だったのにモノクロ写真を撮ったことも多い。というのも、写真部の知人のツテで暗室が使えたたので、モノクロなら自分でプリントできたからだ。するとトリミングや階調補正ができる。カラー写真でも、相当に高くつくのに、気に入った写真はわざわざ手焼きをしてもらって、細々とした指示を出したことも多い。一方、デジタルだと自分でそういう後加工が出来る。そういう経緯があって、後加工には全く抵抗がない。さらには、ここに載せるには解像度を下げる必要上、必要な加工もある。なので「邪道」というのにちょっと驚いた。
 かように、人それぞれに考え方があるようだ。

 さて、2月の巡業中に盛岡に行った際、近くに座敷わらしが出没するというT松の池に白鳥を見によった。とりあえず「こんなのがいた」程度の記録を写した後に、池の周囲を歩き出すと数人の爺ちゃんたちがいた。いずれも200〜300mmくらいのレンズのカメラをお持ちで、上空に向かって飛んでくる白鳥が見えると、誰ともなく「キタ〜」と叫んでる。AAなしで。
オオハクチョウ どうも白鳥が着水する間際か着水する所あたりの「画」を撮ろうと待ってるらしい。この写真よりも正面寄りのポジションになる。といっても、そう都合よい所には着水してくれないだろうし、そう頻繁に飛来するわけでもない。撮りたい「画」があって、ひたすら待ってるわけである。
私のように、とりあえず白鳥がいたから撮った、というより、撮りたい画のイメージが明確なんだろうな。
勝山左義長 やはり2月の巡業中だ。とあるお祭に際して、竹で作った飾り物を撮影しようとした写真だが、幟だとか走ってる子供が邪魔だから撮り直そうと道路を横断しはじめたら、反対方向から「撮ってるんですぅ〜」と怒鳴る声が聞こえる。道路のわけだから、通行人が邪魔になるなら、通るのを待てばいいだけだし、何だろうと思っていたら、婆さんが走ってた子供に、もう一度走ってくれと頼んでいた。どうも、この子ども達は婆さんとその連れの爺さん達に頼まれて走っていたようで、要するいヤラセ写真を撮っていたわけである。
 別に「ヤラセ」がいけないわけではない。私だって散々撮ってる。綺麗な景色、独特の雰囲気のある場所だからと裸になる人なんていないわけで、知人をモデルにして撮った写真はほとんど「ヤラセ」写真だ。裸だったから撮ったという写真より、撮るために脱いで貰った写真の方が圧倒的に多い。ただし、これらの写真は「シチュエーション」を記録するためのものではなく「ポートレート」だ。
 件の婆さんが撮りたかったのは、走る子供そのものではたぶんない。おそらく「お祭で楽しげに走る子ども達」というシチュエーションを撮った写真を見たとか撮ったとかがあって、その再現をしようと、仕込みをしているんだろうと思う。別に怒鳴られたから、というわけじゃないけど、あるシチュエーションを偶然に捉えるんじゃなくて、わざわざ仕込んで楽しいんだろうかと思った。
 なお、言うまでもないのが、たまたま待ってたのが爺ちゃんで、怒鳴ったのが婆さんだっただけで、世の中には、待ってる婆ちゃんや、怒鳴る爺さんもいると思うし、性差は関係ない。むしろ怒鳴る方は年齢と無関係に「オヤジ」か「オバサン」と呼んだ方がいいか。
 自分の撮りたい画があって、そのためにじっと待つというのは、気持ちはわかるけども、私は辛抱できん。ある一瞬を切り取った画がいいからといって、わざわざその一瞬を仕込んだら、私は撮れたって嬉しくない。
 かように、人それぞれに考え方があるようだ。

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Commentaires

こんばんわ(^^;

写真は…仕込みとトリミングの2点に命を掛ける(爆)私なので…対極に至る(苦笑)

でも、そこを切り取る偶然性にも充分に面白いものがあるので、当然の事ながら「ハプニングにも期待する」のですよ。

だから、どっちもあり…取った本人の自己満足と言われようが何といわれようが「最終的には撮った者勝ち」って思うのは私だけでしょうか??

で、謎の追伸ですが…南郷さんの立ち位置はともかく…当方ブログの注意書きは「某あうおねサイトにはびこる一部の方々」限定の注意書きですので(爆)
投げ銭はお気になさらず何時でもどーぞm(__)m

Rédigé par: ありえす224 | le 10/05/2008 à 23:58

 撮ったもん勝ちですね。でも、私って、賞がないなら勝ってもしょうがないって、つい思う方なんです。勝ち負けより損得優先。
 投げ銭は「明神裏の親分」に習います。って、誰のことかわからんですね。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 11/05/2008 à 00:24

決してお世辞で言う訳じゃないけど
南郷さんが撮った恐竜の子孫たちはみんな「素」の感じがします。
「日常生活の範囲」だから、ってのは大きいんでしょうね。
なお、私も自分のブログで「やらせ」は相当数やっています。
買ったばかりでロクに使ってもいないのに使い心地をレポしてみたり
買っただけで作ってもいないのに「難しい」とか言ってみたり。

Rédigé par: しのぶ | le 11/05/2008 à 00:58

 撮られたくない人がいるのは、恐竜の子孫だけじゃなくて、人間を撮っても「素」の感じがするからかな。
 ども、そういうのって「やらせ」とは言わないんじゃ?

Rédigé par: 南郷力丸 | le 11/05/2008 à 03:07

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