今日の野良鳥(7月30日)
イカルチドリ、Charadrius placidus。いつもの。
ゴイサギ、Nycticorax nycticorax。いつもの。
たぶんセグロセキレイ、Motacilla grandis。幼鳥は色が薄くわかりにくい。
ヒヨドリ、Hypsipetes amaurotis。
カイツブリ、Tachybaptus ruficollis。
イカルチドリ、Charadrius placidus。いつもの。
ゴイサギ、Nycticorax nycticorax。いつもの。
たぶんセグロセキレイ、Motacilla grandis。幼鳥は色が薄くわかりにくい。
ヒヨドリ、Hypsipetes amaurotis。
カイツブリ、Tachybaptus ruficollis。
カルガモ、Anas poecilorhyncha。まだ子供。お馴染みのヒナよりは倍以上の大きさだが、親鳥の半分以下。
アオバズク、Ninox scutulata。八条さんのお父さん。
八条さんの子供が穴から覗いていた。なお、富小路さんと花山さんの一家は夜逃げした模様。
アオサギ、Ardea cinerea。なぜかコンクリートの上にヘタり込んでいた。
アオサギだとは思うが、どこか地味、若鳥か。
ゴイサギ、Nycticorax nycticorax。いつものよりかなり下流にいた別のやつ。
ゴイサギだと思う。ゴイサギの子供は以前にも載せたけど茶色くて白い斑点があるが、成鳥との間という感じ。
2・3年前に、何度か言及していたのが、「意思疎通」のためではなく「位置確認」のためのコミュニケーションだ。
最初に例にあげたのが「オタク」の世界である。語源的に言えば「オタク」というのは、2人称の使い分けができない人が、オールマイティの2人称に「おたく」を使ったことに由来する。つまり、コミュニケーションのプロトコルを確立しない相手と、ただただ趣味について語るだけで、連帯感を得ている例だった。
このような例にいいサンプルになってくれたのが、2年半ほど前に話題になった「伊勢崎のドンキホーテ」だった。コミュニケーションのためなら「説得力」に対応して、相応の「納得力」が期待できるはずが、「自分の位置」を確認したいだけのコミュニケーションだから、相手と自分の位置が優先で、その位置次第で「納得力」が大きく変わるということだった。位置を知りたいだけだから、違うと全く「納得力」を発揮しないから、いかに「説得力」があっても無駄であり、逆だと全く「説得力」がなくていい。
今になって、なぜにこういうことを持ち出して来たかというと、とある所での「アタマがくるくるぱーになりそうになるんです」という話からだ。そういう「不可解な言説」についてのコメントの後半に書いたのが、こういう方々のうち何人かについては「主張や意見の「中身」は重要ではなく、表明することに自体に意義があるのでは、としか思えない。概念を共有するためではなく、立場を示すだけ、自分の妄想に浸るためだけのコミュニケーションというのが存在する」ということである。なので、その内容について理解しようとすること自体が期待されていないわけで、「アタマがくるくるぱーになりそうになるんです」ももっともだ。
およそ、どういう意見を表明するにあたっても、その根拠が事実か事実でないか、どうでもいい、ということは通常はありえない。それを不思議に思わないということもない。つまりは、自分たちが交換している意見自体はどうでもいい、ということだからだ。なのに意見を表明し交換する。その「どうでもいい意見」に賛成であれば、よりバカバカしいコメントでも喜ぶし、否定的に言及されると「攻撃」と見なす。つまりは、概念の共有でなく、立場の確認のためだけのコミュニケーションなのだ。
このコメントを書いた3日後に、コミュニケーションを行うこと自体が目的で、その内容に意味はない、というスタイルのコミュニケーションについて、「光るナス」でも記事を書いていた。
そのコメント欄で、このようなコミュンケーションをネットワークにおける「データ交換」と「コネクション」に例えている人がいた。ネット上でコミュニケーションについて語る時に、ネットワークの仕組みを比喩的に使うことはよくする。例えば、言語によるコミュニケーションにおいては、まず共通の言語を使う必要、言語の概念を共有していることを確かめる必要について説明する際に、ネットワーク用語でいう「プロトコル」や「シェイクハンド」という用語を使ったりしたこともある。
その意味では、「根拠が事実かどうかはどうでもいい」ような内容自体に意味がないのに、コミュニケーションを行っているような言論は、ICMP言論やPING言論と言えばいいのだろうか。ただ、ICMPというのはそう一般的じゃないし、「PING−blog」なんていうと、blogの更新通知用のPINGサーバーと紛らわしいか。
前述の「光るナス」では、このような「PINGコミュニケーション」の典型例として、知人どうしの挨拶をあげている。考えてみれば、というか、考えてみなくても、このblogだって、ほとんど毎日は、テキトーに撮った写真を載せているだけで、別に意味らしい意味はないわけで挨拶みたいなもんだ。「更新したぞ」という意味しかないようで、二重の意味での「PINGコミュニケーション」かもしれない。
一方で、「アタマがくるくるぱーになりそうになるんです」の例の方では、スタイルとしては「言論」のカタチをとっている。
全く話は変わるが、人類の文明は遊戯化する。狩猟採集社会から、農耕や牧畜が始まった。すると「狩猟」や「採集」は遊びになった。農耕や牧畜も園芸や飼育という遊びになった。工業も工作になったし、ネットオークションも儲けるためやリサイクルより、遊びとしての商業としてやっている人が多いだろう。なので、研究や言論だって遊戯化するわけである。「研究ごっこ」や「言論ごっこ」である。ごっこであるから、内容や効果よりも、カタチが重要なんだろうし、それで一部は「PING言論」になってしまうこともあるのだろう。
なお、釣りや園芸や工作が立派な趣味であるように、「研究ごっこ」や「言論ごっこ」も立派な趣味だし、否定する気はない。ただ「研究」や「言論」のツールとしてネットを使っている人、専門家でない人でも「研究」や「言論」の普及をしようとする人、さらには、理解しようと学習ツールにしている人だっているわけであるから、「PING言論」の方々は、釣り人の漁師に対するような遠慮はした方がいいと思う。
アオバズク、Ninox scutulata。富小路さんの母子。
カルガモ、Anas poecilorhyncha。ほとんどの子供はそこそこ成長しているのだが、まだ、こういうのもいる。
カワラヒワ、Carduelis sinica。
アオサギ、Ardea cinereaとオイカワ。
ゴイサギ、Nycticorax nycticorax。このところ、いつも同じ所にいる。
ササゴイ、Butorides striatus。もう1羽いると思ったら微妙に違った。こちらは目が黄色い
ササゴイは新ネタなので、もう2枚。
アオバズク、Ninox scutulata。今日は八条さん。
カワラヒワ、Carduelis sinica。
ゴイサギ、Nycticorax nycticorax。
イカルチドリ、Charadrius placidus。
メジロ、Zosterops japonicus。
ヤマガラ、Parus varius。
アオバズク、Ninox scutulata。近衛さんのお父さん。
近衛さんのお母さんも外にいた。
今日は富小路さんちの子供は3羽が外にいた。
三兄弟の真ん中だけがケツを向けている。
メジロ、Zosterops japonicus。
アオバズク、Ninox scutulata。お馴染みの富小路さんのお父さん。
富小路さんの子供が姿を現していた。今のところお一方で、お母さんと一緒。
富小路さんちの子供。
花山さんちのお父さん。
花山さんちのお母さん。
花山さんちの子供は、まだ樹の穴の中で、外をうかがっている。明日にも出てくるだろうか。
ツバメ、Hirundo rustica。
カワラヒワ、Carduelis sinica。
ゴイサギ、Nycticorax nycticorax。
アオバズク、Ninox scutulata。いつも同じ場所にいるので、それぞれに勝手に名前を付けることにした。これは富小路さんの奥さん。初掲載。
富小路さんの夫とお手伝いさん。6月から載せてる方。
近衛さん。初掲載。
八条さんのご夫婦。昨日の1枚目は夫さん。
八条さんのご夫人。
花山さん。夫も方で。昨日の2枚目がご夫人。
ゴイサギ、Nycticorax nycticorax。
カイツブリ、Tachybaptus ruficollis。
オシドリ、Aix galericulata。雄も今の時期はこんな柄。
コシアカツバメ、Hirundo daurica。
今日も、いつもより山奥。他にも見かけたが、樹が茂っていて撮れず。
ホオジロ、Emberiza cioides。
キセキレイ、Motacilla cinerea。
カワガラス、Cinclus pallasii。
オオルリ、Cyanoptila cyanomelana。
普段の行動範囲よりも、やや山奥まで、といっても路線バスの走る道路沿いに出かけたのだが、見かけた池がモリアオガエルの産卵池だった。
色や乾き具合からして、この数日に生まれた卵があった。
一方、成長したオタマも。この大きさだと一緒に写ってる「天敵」も食いにくいかも。
前脚も出る直前のオタマと後脚も出てないオタマ。
上陸中のもいた。かなり長い期間に渡って産卵が行われている池のようだ。
もう尻尾もなくなっている仔ガエル。
カルガモ、Anas poecilorhyncha。
カイツブリ、Tachybaptus ruficollis。幼鳥は顔が縞模様。
ツバメ、Hirundo rustica。
ゴイサギ、Nycticorax nycticorax。今日も見かけたが、川というより用水路から飛び立った。
ケリ、Vanellus cinereus。これも赤い眼。
「けりっ」と鳴くからケリらしい。そこらの田圃にフツーにいる鳥だが、うちの近所じゃ見なくて初出。同じ市内だけど、出かけた先で見かけた。
営巣中は近づくと威嚇して来るらしいが、今は、あっさり飛びだして、よその屋根の上に避難。
今日もいた。イカルチドリ、Charadrius placidus。
同じく、引いて撮ったイカルチドリ。こういう状態なので、河川敷で撮っていると犬を連れたオジサンやオバサンが寄って来て、何を撮っているのかしばらく眺め、やっと気付くということがよくある。
問題は、飛び立って他の所に着地した場合とかだ。こういうオジサンは、たまたま近くに着地したりすると、そのままそこにいて、私が近づくのを待ち、そこにいると教えてくれたりする。きっと本人は親切なつもりなんだろう。
私が彼らに何か望むとしたら「あんたが排便のしつけをしなかった動物を一刻も早く公共空間から連れて帰ること」だ。それがわからないのは仕方がない。でも「あなたがなかなか気付かなかった動物に気付いた私に、あなたでさえ気付いた動物の存在を教えてもらう必要があるか」という極めて簡単なことが、なぜわからないのかは不思議だ。「善人」なおもて往生しまっせ。
カワラヒワ、Carduelis sinica。
ツバメ、Hirundo rustica。5月27日にも撮影した巣で、当時は巣立ち間近だった。つまり、1つの巣が何度か使われるようだ。
友人からふくろうの質問があり、ちょうどヒマな時刻だったので、ご案内。昨日と同じ木にいたが、場所を変えており、撮りにくくなっていた。
アオバズク、Ninox scutulata。昨日の最後の1枚と同じの。
昨日に数枚載せたアオバズク。この木の下は人通りがけっこうあるので、そちらを見ている。
先月に載せてたアオバズク。
ムクドリ、Sturnus cineraceus。寺の杉林にいた。
ゴイサギ、Nycticorax nycticorax。帰りに川沿いを歩いていたら抜かして行った。
ハクセキレイ、Motacilla alba。たぶん。アタマ全体が白い。
アオサギ、Ardea cinerea。というより、オイカワがキレイだったので。
アオバズク、Ninox scutulata。前月に載せてたのが今日は葉っぱの中にいて撮りにくかったので、離れたトコロにいた別の個体。
先月に載せたアオバズクよりオデコの白い部分が小さい。
別の個体を探しに行った帰りに見たら、向きが変わってた。
留まってる背景が違うのは移動したわけではなく、また別のアオバズク。
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