« 今日の野良鳥(9月23日) | Accueil | 今日の野良鳥(9月25日) »

24/09/2008

他人のそら似

 琉球舞踊は、元々、冊封使のレセプションのための芸能だった。一部には薩摩在番のレセプション用に作られたのものもあるのだが。それで古典的な舞踊は宮廷舞踊とも言われている。
谷茶前 ところが、琉球処分によって琉球王国が強制廃止されてしまうと、ダンサーは失業してしまう。そこで、一般向けに公園を行うようになり、庶民生活を描写した舞踊も創作され、それらを雑踊りと言う。その中の代表曲ともいえるのが「谷茶前」で、恩納村谷茶の漁民の男女の様子を描いたもので、一般に日本の舞踊は足袋を穿くことが多いが、ナマ足というのが珍しいと思ったし、櫂を持って踊るところ、頭の筒状の被り物とビジュアル的にもユニークなダンスと感じた。
江差追分踊り この「谷茶前」を見たしばらく後に、江差に行ったのだが、そこで「江差追分踊り」というのを見た。おそらく作られた当時の「異文化」への興味からだろうけど、先住民の漁民を描写した踊りで、それが、ナマ足で櫂を持って、頭に筒状の被り物をしての踊りだった。
 なので、音楽的には全く違うのだが、ビジュアル的には、何か似ている感じがする。でも、それぞれの踊りの経緯のように、「たまたま」似ただけなのだが、そういう経緯を無視しちゃうと、列島古来の舞踊が周縁に残っただの、昆布の流通の影響がだの、そういう妄想が生まれてくる可能性はある。

 さて、このblogを読んでいる人なら、生物が現在の形態で何らかの知的存在に作られたなんてヨタ話は信じてないと思う。進化がモンスターのヌードル触手によって進められたということは常識であろう。
 そのヌードル触手が「収斂進化」といわれる状況を起こすことがある。異なった形態へ進化してきた生物が、似たような生態となることで、身体的特徴が似通った姿になるという状況だ。例えば、夕方に鳥と蝙蝠と蛾が飛んでいても見分けにくい。鳥は恐竜のなれのはてで、蝙蝠は恐竜とは別の系統であり、蛾にいたっては骨すらない。いるかとさめの形が似ていても、魚類と哺乳類であり、卵胎生と胎生だし、変温と恒温で、生理的に違っているし、ヒレの由来も違えば、知能だってさめは低い。

 このblogに、このところ、やたらに鳥の写真が載っているし、ネットには鳥の写真を載せているblogは他にも多数ある。けれども、このblogの鳥の写真は、日常雑記の延長だ。毎日に見たものの写真を載せていくうちに、その中の鳥の比率が高くなって、見た鳥のカテゴリーが出来たという経緯だ。一方、他の鳥の写真のblogはというと、これも2系統くらいに分けられるだろう。ひとつは鳥が好きな人。見るだけでは写真も撮る。そして、それを載せるblogを開設するという経緯だ。もうひとつは写真の好きな人。いろいろ撮っているうちに、鳥を捕ることが中心になっていった人。前者なら生態的におかしな絵は載せたくにだろうし、後者ならあまり気にしないだろう。
 私の場合、その経緯から、その日に撮ったのが原則だ。やはり、鳥好きからの人なら、あまり見られない鳥を優先するだろうし、写真好きからの人なら、写真としての出来を優先するだろうけど。私の場合、その日の撮った種類の中からセレクトするだけで、あんまり珍しい種類は載らないし、随分と酷い写真が載るし、もっとましな写真になりそうな気配もないのだ。

 見て回ってるblogの主に「右翼的」な方がいる。観測者が「右翼的」であろうが「左翼的」であろうが「右でも左でもない」でもあろうが、事実は事実である。事実を検証する科学的手法や「学問研究の成果」は変わらないし、臨床試験で効果のないゼリーが効くはずはない。当然、「右翼的」な方は、思想の左右で変わるはずがないことも書かれるが、そうすると、その部分については「左翼的」な方と同じことを言っているように見える。すると、なぜかサヨク認定してしまう人がいるのだ。ヒラヒラ飛ぶからと蛾を鳥と認定するような人がいるのだ。
 それで、私の回ってる範囲には、政治的主張をしている所は少ない。というか、そういうトコってあんまり行かない。皆無というわけではない。なので、思想的な傾向はわからないけれども、ニセ科学だのニセ歴史が嫌いな人が多い。考え方の右も左もない下は嫌いやという感じだ。
 もちろん、あらゆる言論は政治に関わるともいえるわけだが。ただ、そういう所に「政治的な主張をしている所と似ている」ということで、妙に政治的ボキャブラリーで言及しているのには、やはり違和感を感じてしまう。

|

« 今日の野良鳥(9月23日) | Accueil | 今日の野良鳥(9月25日) »

Commentaires

そーぞーろん否定、かつ、ヌードル触手に言及?
明らかに貴ブログは合衆国建国の精神に乗っ取り、「ヒダリ」であります!

ちなみに、本当のさめの知能は、以下を見る限り我々が持つさめの低能イメージよりはましなようです。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/4515/biology.htm#intelligent

Rédigé par: てふてふうんまげ | le 24/09/2008 à 07:02

 日本だと「自由」「自治」「独立」というのは「ヒダリ」になってますんで、合衆国建国の精神に反した方が「ミギ」なんです。車線だって、左右が逆になってるでしょう?

Rédigé par: 南郷力丸 | le 24/09/2008 à 21:38

あらゆる言論は政治に関わるとはたしかに言えますが、一方で政治的な主張ではなく政治「について」語ることは政治そのものではなく、やはり文化の領域に属すると思う。だから、勝ち負けはさして気にしないし、毒物や音楽を語るのと同じノリで政治を語るという芸風も捨て難い。私の場合は大概失敗してますが。
ついでに言うと、私は別に毒物が好きでブログを書いている訳ではないのであって、げに常連の期待とは恐ろしい。

Rédigé par: 非国民 | le 25/09/2008 à 04:06

 この記事自体は文化の領域に属するわけですが、政治的でないとは言えません。そもそも政治はマジメに語るモノ、馴れ合いは砕けて語るモノ、というわけでもないわけで、それこそ外形的特色だけでは、その系統を見誤ることになりますね。
 そして、いくら地域に馴染めないと言えども、毒物の一代拠点という文化環境というのは、確実に居住者のblog言論に反映するということでしょうし、毒物を毒物と認識できる個人の素養あってのものです。これは読者の期待のみに帰するべきものではないでしょう。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 25/09/2008 à 04:29

>それで、私の回ってる範囲には、政治的主張をしている所は少ない。というか、そういうトコってあんまり行かない。皆無というわけではない。なので、思想的な傾向はわからないけれども、ニセ科学だのニセ歴史が嫌いな人が多い。考え方の右も左もない下は嫌いやという感じだ。

流暢な文ですね。ぱっと見ただけでは、「ニセ科学だのニセ歴史が嫌いな人が多い」のは「政治主張をしている~トコ」だと言っているのか、そうではないのか判じがたい。というか、じっくり見ても誤読する可能性はある。でも、それを覚悟で、

南郷さんの「回ってる範囲」に(あたしの大好きなちろさんのブログを含めて)「ニセ科学だのニセ歴史が嫌いな人が多い」と言ってるんですよね。

あたしもニセモノと「言う」のはあんまり好きじゃないけど、ファンタジーは好き。似せものなら「オマージュ」はいいけど似非はダメ。つまり、「詐称」科学を自称してデタラメを喧伝するからダメ、なんでしょ、「降伏の科学」とか。論理を称揚して屁理屈をこねくり回したり。日常雑記の延長だと言いながらネット巡回先で人のことを嘲弄したり。一人の人間に対する差別的言辞は全体を差別することとは違う、と言ってみたり。

「自称フェミニスト」を自称したり。

要するに、人間ってのは他からの評価を離れて「オリジナル」にはなれないわけで。その自分のかけがえのなさを「自分の思うとおり」認めてくれる相手を探してさまよい続けてるって話し、だよね。それで、そういう相手をやっと見つけても、周囲にはくそもみそも一緒みたいに言われ続けて屁の突っ張りで頑張ってみても、結局のところ最後には永遠っていう途方もない奇跡にたよるほかはないと。

でも、だったらなんでその「奇跡」にたよってみようと思わないのかな。一対一ではなくて「みんななかよく」するためには、知ってる範囲で全部をひっくるめた「共感」が基本。そしてその「共感」にいたるために、「AをAであると認識できる個人の素養」みたいなものを信じる「文化環境」を尊重してみること。そのためにまずは、「考え方の右も左もない下は嫌いや」という差別感情を排すことだ、とそう言ってるんだよね。

長っ!(ちょんまげをほどいた落ち武者の髪の毛みたいだ)


「お師匠様、死んでお詫びしようと思ったのですが、この毒は、いくら食べても、死ねませんでした(泣、笑)」

Rédigé par: gon | le 28/09/2008 à 10:03

 野球するんだったら、自分よりはるかに上手い人や下手な人とやるより、同じくらいの人とした方が楽しいでしょ。考え方の「上」の人の話を読むのは楽しくなくても勉強になるかも知れない。でも考え方が「下」の人、例えば、普通に考えれば、おかしいとしか思えない、ニセ科学だのニセ歴史だの陰謀論を信じてるような人、そういう人と話すのは、社会的に意義があることだし、やってる人も多いけど、楽しみのためにやってる「お気楽な雑談blog」であるここですることでもないってだけです。で、そういう人のところに行ってることが多いけれど、全部がそうじゃないよ。
 読者に鳥はいいけど蛇は嫌だって人も、ピーマンはいいけどイナゴは嫌だって人もいるけど、読者に楽しんでもらうより、自分が楽しむのが優先だから載せてる。でも、私には、ここでは書いてない趣味もあるんだけど、偶然に同じ趣味を持ってるけどやはり書いてない人と出会うような「奇跡」もネット上で起こることもある。私だったら、その趣味が周囲からどう言われようと、「奇跡」があった僥倖を喜ぶけどね。
 最後の台詞だって、死ぬことがお詫びになると考えない文化の人には、通じないよね。それを、無理矢理、わかってもらうのか、わかってもらえないと泣くのか、なぜ通じないのかを考えて、どこが違うのかに気付くのか。私は、3番目が、楽しいけど。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 29/09/2008 à 02:17

Poster un commentaire



(Ne sera pas visible avec le commentaire.)




TrackBack

URL TrackBack de cette note:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23135/42574789

Voici les sites qui parlent de 他人のそら似:

« 今日の野良鳥(9月23日) | Accueil | 今日の野良鳥(9月25日) »