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10/08/2009

ろんりてきしこう

 この方は「あなたはろんりてきしこうができてない」といわれるらしい。ご本人は「褒め言葉かもしれないと思い始めた」らしいけれども、やっぱり、ろんりてきしこうができない、よりもできる方がいいだろう。そこで、なぜ、ろんりてきしこうができないのか、この方がいわれた例とは違うかもしれないが、思い当たった「ありがち」な例をまとめてみた。

 まず、ろんりてきしこうができないというより、しこうそのものをしようとさえしないのではないか。
 地底人は友好的か攻撃的か、誰か知ってる人はいるだろうか、おそらくいないだろう。ということは、どちらの可能性も考えるべきである。従って、地底人の攻撃に備える必要がある。攻撃に備える必要がないというのは、友好的であるという前提がなければ成立しない。つまり、友好的か攻撃的かという出発点のしこうさえしていないのである。

 次に、ろんりてきしこうには、ろんりだけでなく、最低限のじじつにんしきも必要だ。彼はO型だ、私はB型だ、従って、つきあえばいい、というのはろんりてきだ。でも、O型の男性とB型の女性は相性がいいということを知っていなければ、このようなろんりてしこうはできない。
 例えば、電子機器を作る場合でも、半導体ひとつひとつを組み立てていくことはない、ある程度に半導体が集積された部品を使う。このように、ろんりてしこうには、ろんりをひとつひとつ組み立てるのではなく、じじつやていせつを使うことがある。ここでは、血液型を例にしたが、真弓先生や東中野先生の説でもおなじことだ。そういう基本を知らないとろんりてきしこうができない。
 別に、こういうちしきを得るのは難しいことではない。マンガにもなってるし、本を読まなくたってネットでも得ることはできる。専門書なんか読む必要はない、読んでもかえって混乱するだけだ。

 さらに、ろんりというものがわかっていない。「pならばq、qならばr、ならば、pならばrである」というのはろんりてきしこうの初歩だ。「タマはニャーとなく、ニャーとなくのはネコだ、ならば、タマはネコだ」ということだ。同じように「野球はスポーツだ、スポーツは外来語だ、ならば、野球は外来語だ」「関西の肉じゃがは牛だ。牛は角を持つ、ならば、関西の肉じゃがは角を持つ」というのは、三段跳び論法と言ってろんりてしこうの基本だ。
 これは、最初にあげた方より、むしろ、ちょちょんまげさんに理解してほしい。「スポーツ」や「牛」でなくて「科学」について、お友達のろんりてきしこうを理解するには必要なことだから。

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Commentaires

なるほどわたくしがろんりてきしこうに向いていないことがよくわかりました。
「科学教」というまるで死ね死ね団のようなわるいオカルト団体がこの世をしはいして亡ぼしてしまうかどうかは誰も予測しえないことですから、当然警鐘をならすべきでありますね。
朋友きこりんさんとその「界隈」の人々の言説のせいとうせいがここに明らかになり目からウロコが落ちた思いです。

半導体のれいも大変に味わい深いですね。
「人のおもいがぶつりてきにぶっしつにえいきょうする」というきちんと集積された痴識体系が無ければ「~ちゃんの野菜は猛々しい味がして、~さんの野菜はやさしい味がする」理由など説明できるわけもありません。「野菜」は「ナス」かも痴れません。

Rédigé par: ちょちょんまげ | le 12/08/2009 à 14:03

 そんなことはない、と最初から決めてかからずに、一見あほらしいことも含めて検証しようというのは「ちてきせいじつせい」とも言うらしいですね。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 13/08/2009 à 12:23

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