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12/09/2009

お玉おばさんをあえて擁護してみる・・

 前回総選挙に対して今回は、その裏返しだったという感想を持っている。前回での自民党戦略で印象的だったのは「マーケットセグメンテーション」であり、「刺客という演出」だった。そして、意図的なものかどうかはともかく、同じ手法によって自民党は公明党は敗北した。その「マーケットセグメンテーション」で有名になったコトバに「B層」がある。つまり「IQが低く具体的なことはよくわからない」が小泉のキャラクターや「改革」を支持する層と定義されていたと思う。それらの層は、今回、「IQが低く具体的なことはよくわからない」が麻生のキャラクターを嫌い「政権交代」を支持することになったわけである。
 それが悪いというわけではない。政治について、私も「具体的なことはよくわからない」という分野は多々ある。明日の飯に困るというわけではないが、今日と同じかそれ以下の明日への閉塞感を感じ、新しい展開を望むという意識を持つ人も多いと思う。そして、何よりも「具体的なことはよくわからない」が、何かしらのイメージによって投票行動を行う人たちにより、政治的な方向性が決まるからと、それをどうにかできるものでもない。ならば、その層を取り込むことが、政治活動にとって重大になってきているということだろう。
 政治ネタを扱う個人ブログはけっこう巡回先にあるのだが、「政治ブログ」というのは概ねくだらないなぁと思うから、見ることは少ない。個人ブログとして「政治」に言及するのではなく、マスメディアの「政局」評論の「ごっこ」をしているようなものや、それこそ、具体的な内容はなく「いい話」やスローガンで、イメージ訴求に終始しているようなもの、そして妄想だらけのもの、こういう自称「政治ブログ」が氾濫しているのが、くだらないなぁと思う所以だ。
 なので、ネット上で政治的主張を行うことの効果を信じている人などいないだろう。可能だとしても非常に困難だろう。ネットと政治といえば、むしろ政治的判断のために、マスメディアは埋もれてしまうような情報の収集であったり、分析というと大層だが「見方」の参考にしたり、さらにはネタに転がすというのが、むしろ政治的主張よりも伝わることが多いように思う。
 そういう「政治ブログ」の中で特異なのがお玉さんで、リアルな政治運動との連動を常に意識しているということを感じていた。「主張」ではなく「一緒に勉強しましょう」というスタンスであったように思う。いわば、子どもを教えるというのではなく、子ども目線で一緒に考えるという姿勢のように思う。
 お玉さんは、両生類ファンだとかレシピの参考にしたという「義理」があるからじゃなく、ネットでの政治活動のあり方として、「情報共有」からは進んでも「主張」として完結させないというのは、ひとつの方向性だと認めざるを得ない。
 護憲というコトバがある。お玉さんもそうらしい。いわゆる護憲派も改憲派にも、現憲法の文言そのものを変えるべきでないとは考えていないだろう。憲法の背景には、その国はどうあるべきか、という考えがあるわけで、国のありかたについて、玉虫色の解釈ができるようじゃいけない。それで、現憲法の制定時の理念の見直しをしよう、というのが改憲であり、その理念を追求していこうというのが護憲ということになっているようだ。つまり、現在の体制を護るか改めるか、ということではないわけである。
 「具体的なことはよくわからない」が閉塞状況に希望を見いだしたい、そういう流れに、現状維持ではないという点で「新憲法」というイメージが結びつくこと、つまり、未だ実現できてはないない、なし崩しにさえされている、現憲法の理念が検証されることもなく、「現行」というだけで否定されるというのは、護憲派にとっては怖れる事態だろうと思うし、そうなりかねない層を取り込むことが重要になってきているんだろうと思う。
 レイシズムも歴史修正主義も、憲法によって排除されているわけではなく、むしろ、個人にその自由が保証されているように見える。しかし、現憲法の理念からは、というよりも、国際的な理性からも、政治に携わる人には相応しくない。護憲の理念の両極のものだろう。
 護憲派のお玉さんが、城内実さんを温かく見守る、というので、ちょっと驚いたし、他にも意外に思った人は多いようだ。
 でも、リアルな政治運動との連動を考えるお玉さんなら、堅固な「護憲派」や「改憲派」へのアクションではなく、イメージに流れそうな「あやうい」層へのアクションが重要だと思っても不思議はないわけだし、ネット上の活動では、ネットウヨだの堅固な護憲派は置いてでも、護憲を自称しつつ、結果的にレイシズムや歴史修正主義を容認してしまっているというような、どうにでも流れそうなあやうい層とこそ、積極的に対話し、一緒に考えましょうというアクションをとろうとし、その目線に降りてみるのは、それはそれで「マーケットセグメンテーション」としては、有効なことかも知れない。
 なので、決して支持をするわけではないが、城内実を容認してしまうような人たちと、その行く末を一緒に見て行きましょう、というのならわからないでもない。

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Commentaires

南郷力丸さん、はじめてコメントさせていただきます。
「マーケットセグメンテーション」はわかりますが、感性だけは達者な人も多いですからね。非寛容な者に寛容であるとしても、その非寛容によって叩きのめされた者に寛容を強いることになり、非対称性(党派性)からのがれることはできません。そのことに気づいた人も多いと思います。
お玉さんは、城内実氏に抗議のメールを送ったことで、ひとつの「けじめ」はつけたつもりなのだろうと思います。その「抗議」の内容はわかりませんが、もし差別的言辞で揶揄された者を代弁して「抗議」したのだとしたら、その抗議の姿勢を途中で引っ込めるべきではありませんね。もしかしたら、喜八氏と同じく、城内実氏が憲法九条堅持派だと誤解しているのではないでしょうか。彼女への期待は私にもありますので、「あえて擁護」する材料をさがしていたところです。

Rédigé par: さつき | le 13/09/2009 à 22:33

 小選挙区制の元では、必ずしも得票率が議席数に比例するわけじゃないので、比較多数のための「マーケットセグメンテーション」が有効だったんでしょうけど、この手法が有効になることが、選挙制度の問題ではあるんですけどね。
 現実にこのような制度になっている以上、リアルな運動を行っている人は、理想論だけじゃなく、この制度の元での効果を考えざるを得ない、と思います。
 ただ、ここで「あえて擁護した」内容は、私の勝手な解釈ですけどね。
 もし、自称「政治ブログ」を中心にしか見ていないのなら、反城内というのは、城内が右翼だからだと思ってしまうかもしれません。そのような政治姿勢からではなく、現代の理性に反する故に反城内という人が、それ以上に多いことは予想外だったのかも知れません。
 食えないから、と刑務所に入ろうとする人ってのは、少数ですよね。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 14/09/2009 à 01:05

お玉さんの城内氏擁護のポイントは「自らの判断が間違っていた時、正直にそれを認めることができるところ」一点だったはずですよね?
あとは、「テレビを見ていて誠実さを感じた」とかいう、わんばらんす氏(オーラの形です!氏ですな)の「911をテレビで見てこれはおかしいと感じてしまったからしょうがない」と同レベルの印象論。

わたしは城内氏が「自らの判断が間違っていた時、正直にそれを認めることができる」ことを見せてくれた場面をいっさい知らず、個人的にはそういう人だと思えないのですが、これはお玉さんの単なる(願望込みの)「印象」に過ぎないのではないかと考えるのですがいかがでしょう。

さらに、おっしゃるような「戦略」でお玉さんがあのエントリを書いたとも思えず、南郷さんの「擁護」は好意的に過ぎるように思いましたが。

Rédigé par: ちょちょんまげ | le 14/09/2009 à 01:07

 「自らの判断が間違っていた時、正直にそれを認めることができるところ」というのは、誰もが不思議に思っているわけで、私も「間違っている」の定義を聞いたくらいです。
 ここからは一般論ですが、こどもに「間違っている」と頭ごなしに指摘しても、かえって「わかんない」と居直って、頑なになってしまうことってありますね。いいオッサンなのにこんな人もいますよね。
 なので、例えばピーマン嫌いの子に「ピーマンを食べなさい」と言わずに「ピーマンを食べられる○○ちゃんは偉い」と言ったりする、そういう話法なのかもしれません。好意的に過ぎるかも知れませんが。
 「政治ブログ」という世界じゃ、こうまでしないと「愛がない」と批判されたりするのかもしれません。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 14/09/2009 à 01:20

「ピーマンを食べられる○○ちゃんは偉い」という言い方はいじけるからよくない、という話も聞きますが。
そういえば、「トンボに詳しいのーとんさんは知的でかっこいい」という評価を聞き、いきなりいじけて「知ったかぶり」を始めたやつがいましたな。
それはともかく、今回のように人のブログを名指ししてバカにする人たちは、城内のことを支持している全ての人たちをチェックして平等にバカにして欲しいものですよ(笑)それこそ世の中を良くする偉い人なのでしょうしw 。
このようにすれば「愛」を感じていただけるんでしょうね。

Rédigé par: ちょちょんまげ | le 14/09/2009 à 13:37

 結局、「総括」によれば、お玉さんは城内を護憲派と誤解していたようですね。他人の「自らの判断が間違っていた時、正直にそれを認めることができるところ」を評価するわけですから、ご自身もそうされるんでしょう。
 でも、私が深読みしたような「護憲を表明しつつ、城内をを容認する」ような「あやうい」層、論旨よりも「愛がないとか」言い方を重視するような連中、こういうのって、ネットだと勝手にやっとれですむにしても、それぞれに一票あるわけですから、そこにどうアクションするかは、リアルな活動をしている人にとっては、重要な問題だと思いますよ。城内が当選したのだって、政治姿勢や政策よりも、同情でしょうし。
 民主主義というのは、誰もが議論や言論を理解できることを前提にしているはずなんですが、その議論や言論を理解せずに、「なかよしグループ」みたいなルールを勝手に設定して、言論ごっこをしている。その中に入らないことには、話も通じないわけですから。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 15/09/2009 à 04:36

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漠然とした毅然 を書いたあたりから、ずっと考え続けていることをツラツラと。 わしは、ヘタレである。 どのぐらいヘタレかというと パニック映画の最初のほうで、一人だけ助かろうとしてみんなを裏切って逃げ出して、結局はそのせいで最初に死んじゃうキャラクター ...... [Lire la suite]

Notifié le le 13/09/2009 à 01:20

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