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06/08/2010

8月6日の雲

雲
雲 雲の陰が雲に出てた。

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Commentaires

壮大ですね。NHKの大河ドラマのオープニングは、こういった映像が多いような印象。
テーマ曲はN響が演奏する。

Rédigé par: kuroneko | le 08/08/2010 à 14:48

 こういう光景って、あまり見たことがないので撮ったのですが。見たことないので、どんなオープニングなのかも知らないんですが、確かに「NHKの大河ドラマ」に妙に納得してしまいました。いかにも「大勢には受けそうだがそれだけで、毒にも薬にもならん」という絵になってしまってます。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 09/08/2010 à 02:50

こーいう
「おぉ、キレーやなぁ ( ̄▽ ̄) 」
って絵は薬にはならんかもだけど、滋養にはなってまっせ。

Rédigé par: アスコー | le 09/08/2010 à 20:14

 でもさ「いかいもキレーな絵」って他人が撮ってると何とも思わないのに、自分が撮ったら、抵抗ない?

Rédigé par: 南郷力丸 | le 10/08/2010 à 04:07

まーそれは仰る通りなんだけど
「いかにも」とか「らしい」とか「絵葉書的」なのとかは芸風で逃げられんので真面目に狙うと結構難しいよ sad

Rédigé par: アスコー | le 10/08/2010 à 23:17

 「いかにも」「らしい」「絵葉書的」というのは、それ自体が悪いわけじゃないし、そうなってるのもあるんだけどねぇ。生物を撮ってても「図鑑的」ということ自体が悪いわけじゃないし。
 真面目に狙うと難しいからこそ、偶然の産物という気がするし、ダメさも目立つから、抵抗あるのかなぁ。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 11/08/2010 à 04:14

偶然の産物と云う気がするのは、たぶん自分が撮ったと云うより
‐被写体に撮らされた‐
感じがするからじゃないかなぁ。
普通は主題とか狙いとかが自己に内包してるもんだけど、その手のものは被写体自体に定型としてあるものに沿って撮ってる気がする。

写真には概ね被写体が必要だし、被写体の魅力に依存する割合も大きいから仕様がない時は仕様がないのだと私は思ってますけどねー。

Rédigé par: アスコー | le 12/08/2010 à 00:03

 確かに、被写体に力がある時は、見たまま写せばいいんですけど、被写体の力にもいろいろあるわけです。
 いつもタネを食ってる鳥が虫を食ってるとかがあると、そのシチュエーション故にシャターを切るってことがある。それで出来た絵が、そんな生態への知識がなくとも、綺麗とか迫力とかで評価される時がある。そういう偶然が、絵面を狙った時よりもいいという難しさがある。
 特に私の場合、写真としての「狙い」はほとんどない。被写体の側に撮った理由があるわけで、それを写真の質として評価されたりすると、とても居心地が悪いんですわ。
 先日のひまわりだって、向日葵が背日葵になってるので撮ったわけですが、そのこと自体に気づかれなくても、非日常的なひまわりと思われるならいいんだけど。

Rédigé par: 南郷力丸 | le 12/08/2010 à 04:23

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