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16/06/2014

頭を使うのは嫌でござる

 このブログのむし記事を注意深く読んでいるとわかるのだが、私は頭を使わない。
 別に頭を使わないといっても、例えばショウジョウバエと聞いて、自分のアタマで考えて、実験動物だから見た人は少ないと、オリジナリティあふれる判断をせずに、安易に調べて、そこらにおる小バエのことか、ですます、そういう頭ではない。
 はてぶ経由で見たこの記事のように、蝶を数えるのに頭を使うこともあるが、私は使わないというか、使うのが嫌なのだ。
 この記事についたブクマによると「蝶に限らず昆虫関係は短報だろうが採集旅行の紀行文だろうがソノ手の雑誌などに投稿するときは頭で記述する」らしい。ところが、私は虫素人であり、ソノ手の雑誌には無縁なのだ。で、素人が専門家の用語を使うのは時として恥ずかしい。寿司屋で店員の使う符丁を使う客みたいなもんである。電車で車掌さんに「カレチ」さんとか呼ぶとか、そういう恥ずかしさを感じるからだ。
 もうひとつ理由がある。この国立国語研究所の記事だ。
 「蝶を「頭(トウ)」と数えることが知られています。これはもともと,アマチュアコレクターの間で,独得の言葉遣いであったらしく…」とある。「アマチュアコレクター」で「独得」だそうだ。
 知人のトンボ屋さんやその知人たちも、採集はしてるし、標本も作ってるだろうし、そのつもりで冷蔵庫にため込んでいるんだろう。けれど研究会を作ったり、学会に出たり、博物館活動に協力したりしてるわけで、標本は手段であって目的でなく、アマチュア研究者であっても、コレクターではなさそうだ。
 それに対して「アマチュアコレクター」て、手段の標本が目的化しているわけである。趣味は人それぞれなんだろうけど、私個人の感想としては「何か気持ちが悪い」と思うのだ。なので、このブログでも「死体収集癖」という表現をしている。
 特に、今年はわりと蝶も撮っているし、撮った蝶が何者かとか、ネットで調べることも多い。そんな時に行き当たる個人サイトでよく見る、どんだけ採集したかとか、採集した個体の綺麗さにはこだわるけど、収集した結果のファインディングスが何も書かれてない、そういうのを見て、余計に気持ち悪くなった。
 以前いアオバセセリを載せた時に、誰でも思いつきそうなことだけど、シジミチョウの尻尾のように、アオバセセリも後翅端を頭に見せかけてるんじゃないか、それを調べてみた。肯定するような記事は見つからなかった。素人でも誰でも思いつくようなことなんで、違うなら違う出、誰か確かめてると思ったけど、それも見つからない。見つからないだけで、そういう記事があるのかも知れないけど、「アマチュアコレクター」なる人は、翅が切れてるかどうかは大事でも、なぜ切れてるかという疑問には無関心のようだ。
 そんなわけで、「アマチュアコレクター」から広がったという説がある以上、特に蝶に関しては、頭は使うのが嫌なのだ。

追記
 もちろん、おかしなコレクターが悪目立ちするわけで、まじめに専門研究者がデータを利用できるように蝶を採集してる人もいるだろう、ということは予想できます。
 同じように鳥の写真を撮ってるように見えても、箱庭作って餌付けしたり、営巣中にへばりついて営巣放棄させたり、とかそういう連中を「シャシン屋」と言って内心バカにしてる「トリ屋」も多いんですが、ムシ屋にもそういう構図があるんだろうなとは思いますが。

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