31/01/2015
お雛さんの道具だろう「御十三揃」という、昔の化粧道具のミニチュアが出てきた。昔、お雛さんのセットがあって、今は姪の所に行っているのだが、取り残されたようだ。というのも壊れていたからか。
中の衣桁とかバラバラになっていたのだが、接着し、隙間は埋めた。塗装の修復は、合成うるしを使うか、カシューを使うか、それとも塗料を買わずにラッカーかエナメルを使うか考え中。
やっかいなのは、止めてあった糸。右端の盥のように、各道具は糸で台に括ってあったのだろうけど、元の配置がわからん。
いっそ、載せておくだけでいいと思うのだが、そうなると台の穴をどうにかせにゃならん。
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ローマ教皇が、「他の人の信仰を侮辱してはならない」という意味のことを言ったそうだ。報道では「もし友人のガスバッリ氏が私の母のことをののしったら、パンチが飛んでくるだろう。それは普通のことだ」とも書いてあるんで、倫理としていけないんじゃなくて、当然に報復されるだろうからいけない、という趣旨だったのか、どうもわからんことが多いニュースだった。ともかくも、例の仏週刊紙が襲撃された件を念頭に置いたものだろうけど、でも、ここからは、仏ともイスラムとも関係ない話。
教皇はもちろん進化論を肯定しているだろう。教皇が選ばれ、教皇を選ぶ枢機卿だってそうだろう。アタリマエだ。十何億人の信仰を指導する立場なんだから相応の知性をお持ちだ。聖書の書かれた時代には進化論は提唱されていなかったんで、聖書が進化論を踏まえていないのは当然で、聖書の作り方が手書きから木版印刷に、活版印刷になり、電子印刷になったように、その読み方だって時代によって変わるのは当然で、規範としての聖書は、文理解釈ではなく論理解釈すべきものなんだろう。
別に、生活の規範がフィクションであってもかまわないわけで、私だって、バカボンのパパを生き方の規範にしているくらいである。
もちろん、カトリックだけではなく、他のキリスト教徒だって、学校を運営しているし、科学者の中にもキリスト教徒は大勢いる。聖書を規範とした信仰を持つ人たちの多くは進化論を肯定しているだろう。
ところがである、一方で聖書の記述を理由に進化論を否定する人たちもいるらしい。その差は何なのか。キリスト教の神学についての知識はないけれども、一方で聖書を規範とする信仰を持ち、進化論を肯定する人たちがいる以上、常識的に考えれば、それは信仰の問題ではなく、読解力であったり、認識力であったり、思考力の問題ではないのか、私にはそう思えるのだ。
なので、本人は「信仰のゆえ」と進化論を否定しているかもしれないが、どう見ても「知性のゆえ」に肯定できないとしか思えない。ひょっとしたら、この手の連中には、私はヒト、Homo sapiensであって、子羊、Ovis ariesではないとか反論したら、わけがわからなくなるかも知れない。
「他の人の信仰を侮辱してはならない」、私もそのようにしている。でも、「信仰の故に」のつもりで進化論を否定している自称キリスト教徒を侮辱したって、それは、聖書を規範とする信仰を侮辱しているわけではなく、規範を理解できない知性を侮辱しているわけなんだが。
ついでに、例えば、ネーミングライツや名誉博士号を買って、それを吹聴する。それが自称発明家なら侮辱していいけど、「信仰」の指導者だったら侮辱してはいけないのだろうか。これとて、信仰を侮辱しているわけではないのだが。
牟田口廉也に言及しても、とある新興宗教の祭神になってる東條英機や木村兵太郎に言及しても、普通には「侮辱」するような言説になるわけだが、後者だけが信仰の侮辱になる、というのも変だし。
元の教皇の言葉とは無関係なこんなことを書いてるのも、こういう「知性の問題」を他の差異にすり替えるということに、どうにもうんざりしていることがある。専門研究者の見解と、学問研究の成果に値しない与太話と、どちらを肯定するかは知性の問題のはずである。なのにそれをイデオロギーの差異とすり替えて、政治的に意見が分かれているなんぞという。おかげで、私なんぞは、どちらかといえば右翼的信条を持ち、それゆえに「専門の研究者」という権威を尊重し、研究者の意見に拠る傾向があるのだが、かようなすり替えによって、サヨクよばわりされたりすることもある。
他の人の信仰やイデオロギーを侮辱はしない。ただ、アホにはアホと言うてるだけである。アホ言うもんがアホやと言われれば、そうやと答える。それだけである。
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29/01/2015
なぜに,その昔の食堂車のメニューだの予約券だのが出てきたかというと、探し物をしていたから。
なぜ探し物をしてたかというと、久しぶりにプラモデル作ったから。頼まれモノというか、こっちから志願したわけだけど。ところが、久々なんで、道具類とかに行方不明のやつがいて、それを探していたからだ。
プラモデルだし、そんなに大きくないし、部品点数も少ないし、実際にかかった時間はわずか。でも、金属製の鉄道模型だとハンダでくっつけるんで、付ければすぐに次の工程に移れる。ところがプラスティックだと接着した所が固まるまで、次の作業に移れない、なので、1日に数分しか作業できなかったりする。
接着や塗装の場合は、揮発性の高い有機溶剤を使用するのだが、やっかいなのはマーク類。マークには印刷面の下に接着成分が含まれていて、溶剤としてジハイドロジェン・モノオキサイドという常温では液状の物質を使用する。こちらは揮発性が低いために、貼った所にすぐに触るとマークがずれたりするんで、貼っていくに従って、持つとこがなくなり、中断を余儀なくされる。さらに、この溶剤は金属を錆びさせるので、金属製の道具に付着しないように扱わないといけない。
こういう、事情と道具探しとかの時間がかかって、実質数時間の作業に1ヶ月近くかかってしまった。
で、作ったのがこれ。


なんで、こんな地味な機体がセレクトされて送られてきたのかは不明。
基本的に、説明書の通り組み立てただけ。でも依頼主のとこには幼児がいて、触るだろうから、折れやすい、取れやすい部品とかは、最初から切り取ってしまった。ピトー管、後方警戒アンテナ、アレスター・フックとかがないのはそのため。キャノピーは開閉が選べるのだが、壊れやすいので、閉じた状態で固定。
その分、手間が省けるかというと、そうでもなかった。エアーブレーキも説明書のような開状態では外れやすいので、閉状態で固定したのだが、外形を整形するための接着剤の乾燥待ち時間が必要になる。
水平尾翼や脚カバーも、塗装してから接着した方が、楽だし見栄えもいいのだが、強度を高めるため、先に接着してから塗り分けてるんで、マスキングの手間がかかったり。
しかし、海軍機というと、F-14デビューの頃まではハデハデだったのに、えらい寝ぼけたような塗装になったもんだ。
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先日にも見かけた裏山のトラツグミ、Zoothera daumaだけ。今日はミミズを食うてた。
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28/01/2015
27/01/2015
25/01/2015
24/01/2015
またまた先日の鮒鮓の関連エントリーである。
先のエントリーは、都民に対して挑発的なタイトルであったが、ブクマを見ると、むしろ千葉出身者の反発を買っているようだ。なぜ滋賀名産に千葉出身者が反発するのか、と考えた時、滋賀と千葉の共通点が多いことに気付いた。
ともに漢字も仮名も2文字で2音節である。佐賀もそうだがローマ字では4文字、ヘップバーン式では滋賀と千葉はともに5文字である。
さらに県土がともにドーナツ状である。円形ではないにしろ、位相幾何学的には同一形状である。滋賀は外側に「山地」があり、「可住地と農地」があって、中央は「水面」という構造になっている。千葉は逆に最も外側に「水面」があり、「可住地と農地」があって、中央は「ゴルフ場」という構造だ。
ちょっとした買い物に行くのに、県庁所在地に行かずに県境を越えるということも共通点だし、身分証明には、免許証や保険証、パスポート以外に、滋賀ではHOPカードが、千葉ではマツモトキヨシポイントカードが使用できる。
滋賀では新幹線の新駅計画があったが中止された、千葉では新幹線の新線計画があったが中止された。滋賀といえば八景であり、千葉は八犬伝。滋賀県民は「ヨイト、ヨイヤマカ、ドッコイサノセ」と聞けば踊り出すし、千葉県民は「なのはな体操」の音楽を聴かせると踊り出す。京都や大阪への滋賀の殺し文句は「水やらへんで」であり、東京や横浜への千葉の殺し文句は「醤油やらんぺ」だ。
かように似ているのに、なぜに、というか、似ているがゆえに、滋賀に対抗心があるのではないか。でも、滋賀には「ふなずし」があるのに、千葉には「ふなばし」しかない。なので「ふなずし」に「ふなばし」の人が反発するのではないだろうか。
そういえば、同じ2文字で2音節の県、佐賀では先日の知事選挙で、酷い候補が落選した。滋賀の知事は誰か知らんけど、小沢と組んで晩節を汚したとはいえ、あの嘉田氏の後継だそうだ。千葉はあの自称剣道2段だ。また、千葉には500m以上の山もなく、クマもいない、いるのは着ぐるみのネズミくらいだ。ここらも、千葉の滋賀コンプレックスを刺激しているのか。
しかしである。ふなずしの効能がトンデモっぽいと言えども、トンデモ具合ではふなばしの市議にとうていかなわない。自信を持ってほしいものである。
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22/01/2015
鮒鮓もろた。食うた。
風邪が治った。
くれた人も、鮒鮓食ったら風邪が治ったそうだ。
(個人の体験です。効能を示すものではありません)
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21/01/2015
20/01/2015
15/01/2015
15日は小豆正月。ということでぜんざいを作って食べた。そしてぜんざいには塩こんぶなのだ。
ところが市販の塩こんぶ、ぜんざいに付ける程度の量では売ってない。写真に写っている塩こんぶですら多すぎで、この半分でいいのだが、それでも売ってた袋のホンの一部なのだ。
残った塩こんぶはどうするか。そもそも塩こんぶというのはぜんざいのついでにしか食わない。そして、ぜんざいというのも、そう食う頻度は高くない。
それで思いついたのが、春になって土筆を摘んできたら、軽く塩抜きした塩こんぶと炊けばいいんではないかということ。まだ2ヶ月半も先のことなので、忘れないよう書いておこう。
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14/01/2015
13/01/2015
09/01/2015
07/01/2015
05/01/2015
04/01/2015
うちの前の積雪で、どこにも出かけようという気がおこらん。
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