今日のヨシ原・昨日の島原(2/20)
今日は久しぶりにヨシ原に繰り出したものの、見事にふられた。初会や裏を返しただけじゃなく、馴染みにならねば、というのは以前にヨシ原通いをしてた時に知ったけど、数年ぶりだと馴染みもリセットされるらしい。







ところで、昨年12月にウグイスの画像のキャプションに書いたことだけど、おさらい。
歌舞伎の「御存鈴ヶ森」の台詞に「阿波座烏は浪花潟、藪鶯は京育ち、吉原雀を 羽交につけ……」というのがある。
阿波座烏というのは、「阿波座に住むカラス」でも「たまたま阿波座で捕獲された烏」でもない。大阪新町遊郭の冷やかし客のこと。「買う買う」と言いながら群れてるからだとか。
吉原雀というのは江戸吉原の冷やかし客。雀というのは、かしましい町民達を言うことも多いけれど、特に「吉原雀」というのはヨシキリのことだとか。オオヨシキリなんかもっとうるさい。
だから「藪鴬」は京島原の冷やかし客のことだというのは文脈上からは明らか。でも、何で「藪鴬」と言うのかがわからん。
ネットで検索してもわからんので、昨日、用事のついでに現地に行ってみたんで、今日のヨシ原ついでに昨日のシマ原。
島原大門、小暮警視のとこの団長、バビロンの妖怪とともに、三大大門と言われる。ただし、通っても普通の住宅ばかり。路面が石畳になってるのが違うくらい。
、たまに登録文化財だという旅館なんかがある。
角屋、ここが博物館になってるんだけど、しばらく閉館中だとか。問い合わせ電話番号があったんで、学芸員がいるか聞いてみたら、相手が代わって何を聞きたいかというんで、藪鴬のことを言ったら「聞いたことない」。何か資料でもと思って行ったんだけど、閉館中なんでそれで終わり。
歌舞伎の「御存鈴ヶ森」の台詞に「阿波座烏は浪花潟、藪鶯は京育ち、吉原雀を 羽交につけ……」というのがある。
阿波座烏というのは、「阿波座に住むカラス」でも「たまたま阿波座で捕獲された烏」でもない。大阪新町遊郭の冷やかし客のこと。「買う買う」と言いながら群れてるからだとか。
吉原雀というのは江戸吉原の冷やかし客。雀というのは、かしましい町民達を言うことも多いけれど、特に「吉原雀」というのはヨシキリのことだとか。オオヨシキリなんかもっとうるさい。
だから「藪鴬」は京島原の冷やかし客のことだというのは文脈上からは明らか。でも、何で「藪鴬」と言うのかがわからん。
ネットで検索してもわからんので、昨日、用事のついでに現地に行ってみたんで、今日のヨシ原ついでに昨日のシマ原。



そうなると、腹が減ってきた。昼飯がまだだ。帰ろう。
途中で、3階の廊下の奥に食堂があるという看板があった。面白いじゃないか。そう来る所じゃない、入ってみよう。客が多けりゃテイクアウトもあるらしい。
親子丼を注文する。値段が変わらずに大盛りに出来ると言われたが、どうも嫌な予感がするので、普通盛りにした。
普通盛りでも、量が多い。予感は当たった。それはいいんだけど、「藪鴬」のことは進展なし。まあ、島原の専門家が分からんということが分かったのは、それは貴重な情報だ。
昨年の記事では「連子窓の向こうをウロウロしてる様子から」という仮説を書いてるけど、連子窓があるのは確認できた。
そういやウグイスは、江戸時代になって「法、法華経」と鳴くようになった。その昔は「うぐひー」だったんでウグイスになった。室町時代、蓮如の時代は「法を聞け」だった。ところが。藪鴬は「法華経」と鳴かない罰当たりなのだ。そのあたりが由来かな、という仮説も考えた。
途中で、3階の廊下の奥に食堂があるという看板があった。面白いじゃないか。そう来る所じゃない、入ってみよう。客が多けりゃテイクアウトもあるらしい。


昨年の記事では「連子窓の向こうをウロウロしてる様子から」という仮説を書いてるけど、連子窓があるのは確認できた。
そういやウグイスは、江戸時代になって「法、法華経」と鳴くようになった。その昔は「うぐひー」だったんでウグイスになった。室町時代、蓮如の時代は「法を聞け」だった。ところが。藪鴬は「法華経」と鳴かない罰当たりなのだ。そのあたりが由来かな、という仮説も考えた。
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