PING言論
2・3年前に、何度か言及していたのが、「意思疎通」のためではなく「位置確認」のためのコミュニケーションだ。
最初に例にあげたのが「オタク」の世界である。語源的に言えば「オタク」というのは、2人称の使い分けができない人が、オールマイティの2人称に「おたく」を使ったことに由来する。つまり、コミュニケーションのプロトコルを確立しない相手と、ただただ趣味について語るだけで、連帯感を得ている例だった。
このような例にいいサンプルになってくれたのが、2年半ほど前に話題になった「伊勢崎のドンキホーテ」だった。コミュニケーションのためなら「説得力」に対応して、相応の「納得力」が期待できるはずが、「自分の位置」を確認したいだけのコミュニケーションだから、相手と自分の位置が優先で、その位置次第で「納得力」が大きく変わるということだった。位置を知りたいだけだから、違うと全く「納得力」を発揮しないから、いかに「説得力」があっても無駄であり、逆だと全く「説得力」がなくていい。
今になって、なぜにこういうことを持ち出して来たかというと、とある所での「アタマがくるくるぱーになりそうになるんです」という話からだ。そういう「不可解な言説」についてのコメントの後半に書いたのが、こういう方々のうち何人かについては「主張や意見の「中身」は重要ではなく、表明することに自体に意義があるのでは、としか思えない。概念を共有するためではなく、立場を示すだけ、自分の妄想に浸るためだけのコミュニケーションというのが存在する」ということである。なので、その内容について理解しようとすること自体が期待されていないわけで、「アタマがくるくるぱーになりそうになるんです」ももっともだ。
およそ、どういう意見を表明するにあたっても、その根拠が事実か事実でないか、どうでもいい、ということは通常はありえない。それを不思議に思わないということもない。つまりは、自分たちが交換している意見自体はどうでもいい、ということだからだ。なのに意見を表明し交換する。その「どうでもいい意見」に賛成であれば、よりバカバカしいコメントでも喜ぶし、否定的に言及されると「攻撃」と見なす。つまりは、概念の共有でなく、立場の確認のためだけのコミュニケーションなのだ。
このコメントを書いた3日後に、コミュニケーションを行うこと自体が目的で、その内容に意味はない、というスタイルのコミュニケーションについて、「光るナス」でも記事を書いていた。
そのコメント欄で、このようなコミュンケーションをネットワークにおける「データ交換」と「コネクション」に例えている人がいた。ネット上でコミュニケーションについて語る時に、ネットワークの仕組みを比喩的に使うことはよくする。例えば、言語によるコミュニケーションにおいては、まず共通の言語を使う必要、言語の概念を共有していることを確かめる必要について説明する際に、ネットワーク用語でいう「プロトコル」や「シェイクハンド」という用語を使ったりしたこともある。
その意味では、「根拠が事実かどうかはどうでもいい」ような内容自体に意味がないのに、コミュニケーションを行っているような言論は、ICMP言論やPING言論と言えばいいのだろうか。ただ、ICMPというのはそう一般的じゃないし、「PING−blog」なんていうと、blogの更新通知用のPINGサーバーと紛らわしいか。
前述の「光るナス」では、このような「PINGコミュニケーション」の典型例として、知人どうしの挨拶をあげている。考えてみれば、というか、考えてみなくても、このblogだって、ほとんど毎日は、テキトーに撮った写真を載せているだけで、別に意味らしい意味はないわけで挨拶みたいなもんだ。「更新したぞ」という意味しかないようで、二重の意味での「PINGコミュニケーション」かもしれない。
一方で、「アタマがくるくるぱーになりそうになるんです」の例の方では、スタイルとしては「言論」のカタチをとっている。
全く話は変わるが、人類の文明は遊戯化する。狩猟採集社会から、農耕や牧畜が始まった。すると「狩猟」や「採集」は遊びになった。農耕や牧畜も園芸や飼育という遊びになった。工業も工作になったし、ネットオークションも儲けるためやリサイクルより、遊びとしての商業としてやっている人が多いだろう。なので、研究や言論だって遊戯化するわけである。「研究ごっこ」や「言論ごっこ」である。ごっこであるから、内容や効果よりも、カタチが重要なんだろうし、それで一部は「PING言論」になってしまうこともあるのだろう。
なお、釣りや園芸や工作が立派な趣味であるように、「研究ごっこ」や「言論ごっこ」も立派な趣味だし、否定する気はない。ただ「研究」や「言論」のツールとしてネットを使っている人、専門家でない人でも「研究」や「言論」の普及をしようとする人、さらには、理解しようと学習ツールにしている人だっているわけであるから、「PING言論」の方々は、釣り人の漁師に対するような遠慮はした方がいいと思う。
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