すずがも・八丈・藪鴬
そんなこともあり、一昨年の12月にハチジョウツグミの名前の由来について少し触れた後、翌年にやや詳しく追加して言及した記事と、内容は重複するけれどまとめなおし、この「改訂版」にした。
結論を先にいえば、江戸時代の鳥類図鑑「観文禽譜」に、「八丈紬に似た色だから八丈つぐみ」とあって、その通りだろう。
以下はこの結論に至るまでの解説というか経緯。なお、Turdus naumanniのナウマンさんはナウマン象のナウマンさんのお父さん。
その頃に出かけた先でビロードキンクロを見たついでにスズガモを撮ったのがそもそものきっかけ。
「ご存じ」というくらいだからこの芝居は広くご存じされてるのだろう。1823年の四世鶴屋南北作の「浮世柄比翼稲妻」の一幕で、幡随院長兵衛が白井権八と出会うと言うだけの芝居だ。私も見たことはあるのだが、どうも印象が薄い。片岡孝太郎の権八を金比羅歌舞伎で見たことくらいしか覚えてない。
むしろ私の場合、「鈴ヶ森」といえば、義太夫の「恋娘昔八丈」の七段目「鈴ヶ森の段」の方が思い当たる。人形浄瑠璃の初演は1775年だから「御存鈴ヶ森」より半世紀ほど早い。そして、この「恋娘昔八丈」の「八丈」というのは地名ではなく織物のことだ。ビロードキンクロというのはビロードのような羽色のキンクロハジロ、それと同じことで、八丈のような羽色のツグミで八丈つぐみと思ったのだけど、その後に八丈島で捉えられたとかいう記述を見て、少しチェックして書いたのが昨年の記事だ。
鈴ヶ森から八丈って、獄門から遠島と罪一等を減じたみたいだけど。
上はその床本というか稽古本の最初と最後のページ。以前に浄瑠璃の稽古をした時に、お駒やその両親、代官堤弥藤次よりも、冒頭のちょい役の野次馬の会話を語り別けるのに難儀した覚えがある。野次馬は江戸っ子なんだけど義太夫節なんで上方アクセントというのも何か変。ともかくも、芝居では、結局、お駒は違法性阻却事由が明らかになって「お駒が命赦免の状」が届いて釈放される。
その場でお駒が着ていたのは、最後のページの4行目に「重ねて黄八丈。昔語ぞ今ここに」とあるように、タイトルにもなってる織物の「八丈」。
この芝居は大ヒットし、翌年5月までのロングランとなる。翌安永5年、1776年には歌舞伎化されて上演される。この年に大流行した風邪、旧型コロナウィルス感染症だろうけど、それが「お駒風」と名付けられたくらいに大当たりする。八丈紬のメーカーのサイトに、織物の「八丈」が大人気となったのは芝居が契機とあるくらい。アメリカが独立戦争をやってた頃、日本じゃ黄八丈が大流行してたわけで、当時は「八丈」というのは地名というより、流行りの芝居に出てくる織物のことだったのだ。
なお、この白子屋の事件当時の江戸南町奉行は大岡忠相で、「恋娘昔八丈」では出せないが、事件は後に大岡政談として脚色されてゆくことになる。有名なものに明治になった1873年に初演された「梅雨小袖昔八丈」があり、通称「髪結新三」。やっぱり八丈の衣装は引き継がれる。なおこの芝居を元に、1937年には山中貞雄監督の「人情紙風船」という映画が作られ、白子屋のお駒を霧立のぼるが演じている。モノクロなので衣装の模様はそれっぽいが八丈かどうかはわからないのがチト、サビシイ。
こちらは歌舞伎の「恋娘昔八丈」の、幕末の月岡芳年の絵。黄八丈といえば、黄色地の濃色の細い格子が現在では一般的だけど、当時の「八丈」にはこういう色合いが多かったようだ。こういう鳶色がメインのものも含めて、黄色の色を使ったものの総称を「黄八丈」と言ったらしい。
しかし、当時のお抱え絵師の形骸化した絵に飽き足らずに、清国から1731年に沈南蘋という画家を招聘する。彼は2年間滞在し、写実的な鳥の絵を伝えることになった。なお、この南蘋風の絵は、かの伊藤若冲にも大きな影響を与えている。
この堀田正敦は、江戸時代の鳥類図鑑として有名な「禽譜」とその解説書「観文禽譜」を編纂し、寛政6年、1794年に一応の完成を見ている。
この「観文禽譜」は国立国会図書館デジタルコレクションで公開されており「八丈つぐみ」も載っている。つぐみは戦後すぐくらいまでは、食用鳥として重要だったので当然だろう。
そもそも「八丈島」という地名さえ織物の「八丈」の産地ということで呼ばれたのが由来だとか。
このように八丈つぐみという名前はマリー・アントアネットが首ちょんぱされた頃には一般的だったようである。
なお、正敦の五男で家督を継いだのが堀田正衡で、やはり若年寄となっている。こちらは貝類の図鑑「観文介譜」を作っている。この正衡の近習だったのがシャケの絵で知られる高橋由一で、日本画の限界を超えた質感の写実性を追求して油絵の技法を習得した成果があのシャケである。
「観文禽譜」は国立国会図書館デジタルコレクションで公開され誰でも見られるようになって10年以上、それ以前から現物は国会図書館にあったのに、何でいまだにこんな説が流通してるか不思議でさえある。
阿波座というのは現在も地下鉄の駅名になっている大阪の地名。阿波座烏というのは「たまたま阿波座で捕獲された烏」でもない。大阪の新町遊郭の冷やかし客のこと。「買う買う」と言いながら群れてるからだとか。
吉原雀というのは江戸吉原の冷やかし客だろう。「よしはらすゞめ」というのは、先の「観文禽譜」には「剖葦」つまりヨシキリのことと載ってる。
「連子窓の向こうをウロウロしてるから」かと思ったが、客は吉原のように窓越しに相手を選んで入店するのではなく、島原では入店してから別の店から呼んでもらうというシステムの違いがある。けれども連子窓があることは確認できた。
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