アートとバイト先の先輩
以前に日本舞踊の公演のことを書いた。金取って見せる会と金払って出る会じゃ、そもそも違うということ。
ところが、現代舞踊とか現代演劇というのは、この間がシームレス。おまけに公演の採算性とか動員と影響力というのは全く別物。おまけに団体でやるもんだから、同じ公演に、全く別の考えで参加している人もいるわけである。
例えば、ある舞踊公演。この群舞はトップレスで踊ることにしようという話になる。もちろんブトーなんかじゃ、すっぽんぽんに▼なんてアタリマエだし、少なくとも現代舞踊じゃよくあることだ。そうしたところ嫌だというメンバーが出てきたとする。別に路上でトップレスになれと言ってるわけじゃない。舞踊の会であるから普通のことだし、この振り付けじゃそれが当然だ。何で嫌なの、と「現代舞踊」の枠組みで考えていると理解できない。一方、嫌な人は、嫌なものは嫌なのだ。「現代舞踊」の枠組みで考えることは出来ないのだ。
もちろん、観客としても、自身が振り付けると考えても、トップレスが正しいことはわかる。でも、そこまで真剣に舞踊をやってるわけじゃないのだ。最初は、お友達と「今度の公演に出るから来てね。」「わー、すっごいキレイだったよ」というのが楽しいから始めたし、所詮、世界ツアーをしたり、公的助成を受けるだけのカンパニーでもないだろ、なんて気もある。もちろん、今では、世に問う意識もあるが、見に来るのは舞踊のことがわかってる人だけじゃない。舞踊のこともわかんないバイト先の先輩にきっと「乳出して踊ってたね」って言われるだろう。さらには、知らないトコロで「着やせするんだねぇ。けっこう立派だったなぁ」なんて言う人だっている。ただ、それが嫌なのだ。
現代演劇だと、地方の100人も入らないホールで3公演くらいのカンパニーが、何の拍子か、日本のあるシーンを代表する劇団になっちゃうことだってある。でも、そうならない劇団の主宰者が、世界の演劇シーンに対しての姿勢なんてことを言い出したり、そこまで行かなくても、地域文化を支えるのは我々草の根文化活動で何ちゃらと言い出すのは、「道楽でやってるんだろ、ウチワしか見に来ないのに」と思い、ある意味、滑稽でもある。
かと言って、少なくとも「世に問う」意味で公演しているわけで、宴会芸じゃないんだから、演劇シーンに何の意味もないような舞台を見せられり、「友好劇団」との馴れ合い合評会なんてのは醜いと思うし、ちょとオカシイと思うわけである。世に問う意識を持った主宰者としても「あの人が、綺麗な衣装着て注目されるのに、何で私がゾンビ役なん?」などと出演者が文句言っちゃ困るのだ。困っても、そういう意識で参加して来たんだから、どうしようもない。
そして、そのどちらでもない、ごく普通の中堅カンパニーに、乳を出すのはアートの論理では正しいが、観客がそうじゃないから、やはり出したくないと苦悩し、やっぱり出せないとするメンバーがいるわけである。
アートにはアートの論理があるわけである。それが正しいかどうかということは、アートへの距離感に対しては無力なのである。もちろん、無力であるから無価値ってわけではない。
ともかくも、トップレスで踊るのを嫌がったメンバーがカンパニーを辞めても、舞踊の理解者であり、よき観客であり続けてほしい。





載せるのは3回目か4回目かも知れない。中身が変わるわけじゃないが、比較すると今年は日差しが強め。
黒い御神体。
赤い神輿。
近所の神社での鳥居脇の焚き火。1日に撮ったけど今頃、掲載。
西東京市は不明。合併前の保谷市はシジュウカラで
それで、京都市の鳥を決めるとするなら大本命は、「鴨川千鳥」とも言われたイカルチドリなんだろうかと思う。いわゆる千鳥紋というか千鳥の意匠はいろんな所で見られる。「通り抜けできます」とか「酢」とか「有次の型抜き」とか。でも、このイカルチドリ、護岸や河原の浚渫工事でしばらく姿を消していたらしく、それで決められていないのだろうか。
「千鳥」というのは、元々、岸辺にいる小鳥全般を言ったようなので、ぱっと見似ているイソシギも「千鳥」扱いされていたかもしらない。鳴き声もチリチリやー、チリチリらしい。
それで都鳥といえば隅田川、ということで巨大な金のウンコが似合う鳥であり、ユリカモメは「東京都の鳥」になり、お台場行きの電車の名前にもなっている。
先日の
そこでひとつの疑問であるが、近所のコンビニでは、黒のレースの「ガーターベルト」を売っている。「ガーターベルト」というのは、コンビニで売ってると都合のいいものなんだろうか。
そして、これが「シークレット足袋」である。シークレット部分は別部品で、専用の足袋があるらしい。
横から見ると、数センチはかせげるようである。
後は、親分直々に取材をしてもらいたい。カバンを買うついでにでも寄って。
↑ これは、きっと産経新聞に非難されるだろう。
↑ ムラサキシキブとメジロ。たぶんコムラサキシキブだと思うが。
こちらは「妙」。
準備中。
水に流す船というか板の上に、人形と飾りを付けたものを、持って集まる。
川というか、道路の側溝のようなというか、農業排水路のような、水路にそれぞれ入って、飾られた船を流す。
流すと言っても、流してしまうわけではなく、流れる後をついてまわるというか、浮かべたものを押してるようにも見える。水路の上には、笹や提灯が飾られている。
水路の巾も広くなって来る。それで、川に出る前に船を回収する。
今日は組み立ててあるはずの「蟷螂山」だが、台風の影響の雨のため、柵と土台の一部だけ。
こちらは「蟷螂型おみくじマシーン」。
カマ掘り山も、骨組みだけ。金のオカマを掘り出した郭巨のフィギュアが載ってるので「郭巨山」、通称カマ掘り山という。手前の酒樽には「キンシ正宗」と書いてあるが、昔は「金鵄正宗」だったらしい。
こちらは函谷鉾。
御霊祭に出てきた昔のトレーラー、牛車である。
休憩の際には、トレーラーヘッドというかエンジン部を分離。スペアもいる。
なので京都最古の祭りだそうだ。葵祭の方が古いが、葵祭は市町村合併で京都市になっただけで、元々市外の祭りということになる。
元々は手持ちの武器だった鉾も、巨大化したのが出てくる。すると一人じゃ持てない。
持ちきれないから、車にのせてゴロゴロ引っ張ることになる。
ということで、その車が巨大化すると、御霊祭ではなくて、祇園祭の鉾になる。祇園祭も祗園で行われた御霊会が起源。
楽屋になってた建物の横にあった薬師堂にかかっていた古い「めめ絵馬」。
沿道に並ぶ旗で、お祭の雰囲気を盛り上げる。この「おかめ」さんの口元はエロっぽいのだが、この写真じゃわかりにくい。
まずは、諸钁神社にて神輿を前に神事。
この人たちはアラブの人じゃなくて、神輿と一緒に行列する鈴のお供。「ヒネ様」じゃなく「ヒメ様」だそうだ。
猿田彦の先導で、姫の宮までの神幸祭の行列が出発する。
御神輿。昔は「ご神体」の形というか、その元というか、モロの格好の神輿だったそうだ。相方の田県神社の御神輿が、今でもモロなのに、これも性差別じゃないのかね。
神輿の後ろには酒樽とコップを載せたリヤカーが続き、沿道の人に振る舞う。
諸道具、金の鈴、銀の鈴、日月旗、四神旗を担ぐのは還暦の人の役目だそうだ。青龍旗を持ったおじさんは、まんこ衣装のヒメ様、オーストラリアから来たという観光客とポーズを取る。
今ではデマだったことが知れ渡った「ロシアの圧政に苦しんでいたフィンランドの人たちは東洋の小国・日本が大国ロシアを破ったのを聞いて驚き,そして喜んだ。トーゴー・ビールはこれを記念して作られたのである。」(藤岡信勝著・呪縛の近現代史)という話だが、そのデマの元になったのが1970年から売られ、その後に醸造元が倒産して作られなくなった提督ビールだ。
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