阿片王―満州の夜と霧
さて、先日のエントリーで半分くらいだった「阿片王」であるが、昨年中に読み終えている。内容については、多少、期待はずれのところもある。例えば、満州時代の活動だが、半世紀以降の取材の限界だからしようがないだろう。里見が携わった偽札や阿片による工作の内容にしても、その恩恵を受けた東条英機や岸信介との関係にしても、里見本人が秘匿して死んだらしい、ということがわかったわけで、具体的な内容はわからない。
むしろ、著者の興味の中心も、里見の「シゴト」よりも「人間」のようだ。妙に、里見のことを良く書いているように思えるのは、対象への好奇心の所以だろうし、彼の金に群がった岸信介や笹川良一、児玉誉士夫らとの比較からだろう。そして、その人物像が浮かびあがったかというと、多くの謎は残されたままだ。
読んで思ったのは「わからないことを調べる楽しさ」だ。一連の取材を著者が楽しんでいるように思えるのだ。例えば、里見の周辺人物についても執拗に取材を続けるのだが、本来の取材目的からは逸脱していってるようにしか思えない。それでも、調べることや、何かがわかることが、とても楽しそうなのだ。
その気持ちはわかる。何か調べごとをしていて、答えが得られたわけでもないのに、些細な発見があると、嬉しいものだ。検索してもヒットしない事項が、他の関連語句でチェックしてみたら発見できた。その程度でも嬉しい。
だから、取材先に出かけ、関係者に会い、資料をあたり、そして、何か発見があると、その楽しさの「中毒」になり、本来の調査から逸脱して行くような感覚だ。けれども、読んでいてその楽しさが伝わるので、何となく共感してしまう。内容の隔靴掻痒ぶりにかかわらず。
ノンフィクションというより、半世紀以上昔の闇につながる世界への「紀行文」のような感じだった。
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